沖縄紀行 風と波が強い一日でした三月末のいわゆる春休みを家族で沖縄旅行に行きました。仕事ではいつも行っているのですが、ほとんど観光らしい観光はしたことがなかったのです、むしろ行ったことがない所のほうが多いでしょう。
4月はしかしながらいつも風や雨などで天候がとても不順です。今回も寒暖の差が激しく風もとても強い数日でした。
雄大な万座毛 一見、家族サービスなようで、それだけでは終わらせないのがセラピスト魂でしょうか・・・月曜日に沖縄に入り、その夜には比嘉竜二さんとの会食をセッティングしてもらいました。双方家族連れでのお食事会です。やはり地元の人の紹介する店で、地元の方と交流するのが何よりの観光だと思います。竜二さんは現在、名護にできます新しいクリニックの立ち上げに奔走しています。名護市を動かしその必要性を訴え、着工にこぎ着けたまさに比嘉さんの熱意が形になった名護市スポーツリハビリテーションセンターなのです。なかなかできることではありませんし、実際に実現されているセラピストは片手に満たないのではと思われます。思えば昭和大学リハビリ病院もセラピストが病院を動かし形になった病院です。そこでは当然リハビリの地位といいますが存在感は高く、誰もが堂々としています。いわゆるよくある病院のなかでも微妙な立場に置かれているリハビリ科が多いと思いますが、病院からも医師およびスタッフからも十分に認められた中でやれている病院はそれこそ本当に少ないと思います。ましてや、理学療法の技術的な側面を認められての立場は、治療家としての誇りであり名誉でもあります。診療とはいいませんが治療部門として認められるぐらい自尊心が高められる場面はありません。よって、昭和のリハビリスタッフはどことなく貫禄といいますが雰囲気があります。それは環境がなせる技なのです。昭和の先生方をみていると、あたかもPTの価値がとても高く感じさせてくれます。我々のやっている治療がとても価値あるものだと思わさせてくれます。しかし自らの職場に帰るとどうもその限りではありません。単純に単関節のROM訓練をしているだけでも昭和の場合はとても価値あるものに見えてくるから不思議です。おそらくその動かしている中には、多くの思いや考えがあっての関節運動であるからなのでしょう。しかしながら、客観的にみれば単なる一つの関節が動いているにすぎません。そのあたりは、あまり考えていることに重きを置きすぎると、現実的に物理的に起きている生体の反応としてはたかがしれているということも確かです。刺激の量に比例するわけではありませんが、必要最低限の刺激で効果を出すことは究極の理想系だといえます。しかし他動では内部環境を整えているにすぎないのです。能動的な活動につなげて初めてリハビリなのです。もちろん関節運動を極力おこさないようにして治癒機転に乗せなければいけないときもありますので、その時はいかに感覚入力をするかがカギを握ります。
いずれにせよPTである比嘉さんが市に働きかけて作った病院といっても過言ではありませんので、その時点でセラピストにはWBCのように「ジャパンは誇りであり憧れである」という気概に近いものがあるのです。これは大きいです。組織として、セラピストの理念が前面にでるだけで、どれだけのアドバンテージがあるかをまず自覚しなければいけません。新しくできる名護市スポーツリハビリ
テーションセンターは、5月にはこけら落としを経て晴れて開院となります。建築面積は約200m2の二階建てでフィットネスもプールもあり、介護保険下での通所リハビリも行うなど、まさに世間もリハビリもどことなく地盤沈下しつつある御時世のなかで、20世紀少年バリの「理学療法の最後の希望だ!!」の価値があると思います。まずスポーツリハビリそのものが、理学療法の業界で今ひとつ盛り上がりを欠いたことが機能的、治療的なイメージを高められなかった理由ではないかと考えています。パォーマンスを扱う業種として当初は君臨していましたが、現在の理学療法は年月とともに体育系の理論や発想ほどインパクトも結果にも反映できていないのが現実です。それでも動きの質を良くすることが我々の持ち味だと思いこみ、一生懸命他の分野の専門家が入り込めない領域にはいるものと自負しています。しかしながら、その入り込めない領域が、実は別に入る必要もあまり無い領域だとしたら、これは社会に必要とされていない一人ヨガりか趣味の世界になってしまっているということです。理学療法士は基礎がしっかりしているので、身体運動に関わるあらゆる分野でも将来的な伸びは違うと思います。しかしながら、その現状に胡坐をかいていたら理屈をこねる耳障りな存在になってしまいます。
食事後のワンショット!年末か年明けには「比嘉竜二&山本尚司の理学療法コンセプトセミナー」をこけら落としで開催すべく話しをしました。お楽しみに!! さてさて、リハビリの世界ではマイナーになりつつあるスポーツリハビリを、あえて掲げて大きな施設を立ち上げたそのことが既にチャレンジです。学会をみてもテーマがスポーツになってもいいぐらいだと思います。EBPTとかなんだかだんだん聴きあきてきたテーマでなく(すみません)、実践的なカラーをよりだすことでしょう。脳科学やEBM,そして大学院の創設にともなう学術的なカラーの台頭は、ともすればノーベル賞の系譜にのっている学者タイプの雰囲気、それこそが真のセラピスト像であるイメージが協会の中枢部には焼きついてきているようです。文献を読んで、学術的に実証していくという趣味の世界に熱中する人もいてもいいでしょう。それを一臨床現場にいるセラピスト全員に求めていることそのことが間違いです。学際的な視点を持ちましょう~大いに結構ですがそれは学校の教員や研究者こそがやるべきことです。ノーベル賞をとるような人が営業の片手間に研究をしているとは思えません。どんどん臨床現場でスポーツ現場であらゆるフィールドにて結果を出し続けていくことが大事なのです。研究や論理や説明を求めすぎる風潮はちょっと置いといて、臨床現場にはまた違った風が必要なのです。現場のスピード感や展開力、そして構成能力はゆっくりと考えて本を呼んでいる暇はありません。5年目ぐらいまでにできれば、臨場感のあるリズムで臨床をこなしていけるモードを作るべきでしょう。
さて上のツーショット写真の注釈にも書きましたが、比嘉さんとコラボセミナーを是非開催しようと考えています。沖縄チャンプルでも比嘉さんのプレゼンを聴かさせてもらいましたが、何か一つの部分や部門の専門というわけではなく、臨床コンセプトの専門家つまり臨床家なのです。今の時代、身体のある一部分の専門のPTだと言っても時代的にはナンセンスであることは誰もが思うところです。部分で発展していくのが医療ですので、常にその情報はアップロードしていくべきものだと思いますが、トータルでどう考えるかを身につけなければいけません。何かのテーマからであれば話せる人は沢山いますが、臨床コンセプトを語れるセラピストはあまりいないようです。比嘉さんはまさに理学療法コンセプトに長けたセラピストといえるでしょう。コンセプト重視は何でも対処できるので、ある意味特色がないともいえるのですが、話せば突っつけばいくらでも出てくるのが臨床家です。よくわかりません、とか文献では研究ではまだわからないとか決して居直りません。自らの試行錯誤がそのまま血となり肉となっています。
岩に同化した魚 鮮やかな色彩の南国の魚 〆はジンベイザメですね さてさて本当にいいたかったことは、こんなことではなくてちゅら海の魚は何故にこんなに鮮やかで、見事に環境に適応しているのだろうかということです。まるで岩か砂に同化しているかのような色彩の魚や甲殻類などなど・・・進化の過程で順応して進化してきたといえばそれまでですが、実に不思議です。寒さや暑さに適応するのはなんとなくわからないでもないですが、色まで適応することはないでしょう~と思うからです。人間も必要に迫られて草の色と同じになろうと思えば昆虫のようにそうなるのでしょうか?色や形が自然と一体化するという進化は、生き物そのものが視覚や聴覚かはわかりませんが、その波長を感じ取ってもしくは脳?で同化したかのようにイメージをすることで肉体的にも変化してくるということですよね。見たり感じたり、そして本当に心からそう想うことで念じることで、ゆっくりではあるけれど変わることができるということです。どうやって色や形まで自然に同化していったのか・・・全ての生き物は精神・気持ちという超能力が宿っているんかもしれません。
島袋クンの奥様とも初接見しました。水曜日にささやかなお祝いの食事会をしました。 ビオスの丘 湖に向かってブランコ 豚もお座りお手お回りするんですね