共感脳

共感脳2

共感できること、それが被災地への支援のキーワードとなっています。忘れ行く記憶!!忘却することが脳にとっての営みであるとするならば、大切な人や出来事を忘れてしまうことを寂しく思ってしまうが故に、各地で多くの鎮魂への祈りの集いが開かれるのでしょう。忘れてしまうことの罪悪感と、後世に語り継がなければいけないという思い。いつの間にか人々の記憶の中から消えてしまうことは、自分自身の思いと周りが乖離していくということ。できれば共感しても欲しい!!そう脳は言っているのかもしれません。前頭前野の内側部に共感を司る中枢があると言われており、共感すると血流が増えてくるのです。どのように自分が被災地のために長く意識を保てるかということをテーマとしてきましたが、約二ヶ月間常に新聞の記事やネットでの情報、テレビでの番組、雑誌などなどを読み漁ってきました。おそらくこの二ヶ月間相当の文献を読んだかのような勢いです。この二ヶ月間で一番自分が被災地への想いに引き戻される、つまり共感脳が働くのが個人的な体験に基づく記事なのです。個々のドラマは短い記事においても、ぐっと引きこまれます。何となしなければと思うその時は最大限に前頭前野が働いているものと思われます。二ヶ月間そのトレーニングをひたすらしているようなものなのです。そうすると普段の臨床においても、副次的に効果があることが気が付いてきました。それは、患者の気持ちをしっかりと聞くこと、聞きだすこと、耳を傾けること、それも相手の立場に立ってです。相手の立場に立ってというのは形骸化していそうな言葉ですが、実際には言葉でなくしっかりと想像することなのです。聞いたとか知っているというのは、経験ですがそれは試験の暗記のようなものでいわゆる記憶のレベルです。より行動に掻き立てるモチベーションには成りえません。しかし人を行動に導くそのきっかけは共感することなのです。この前頭前野をなんとかしなければ、なとか力になれないだろうかと、日本全国の方々が考えること、それが前頭前野の活性化とより人間らしさの繋がりをつくる起点となるのです。
 共感できると臨床での結果が違ってきます。手ごたえが違うというか、余計な手間を省くという合理性よりも人間をみるという視点ができます。すると全く慌てなくなるのです。共感するということを続けていくと、もう一つの発見は集中力が増すということです。前頭が熱くなってくるのがわかるのですが、明らかに集中して患者をみている自分に気が付きます。日々になんとなくむらがあったりするのは、まさに集中できているかどうかになります。集中して共感つまり想像を利かして、自分なら見てもらいたいいな?受けてみようかな?と思えるかどうかがポイントです。テクニックとして接遇を知識として接遇を学ぼうとしてる間は共感脳は働きません。知識からではなく集中してしっかりと全身を使って感じるのです。皮膚感覚で感じなければ共感にならないのです。
 頭で理解しようとしてはいけません。身体で感じるのです。一年目のころは知識と技術がないので、この共感の能力をフルに使って臨床をしていました。だから一年目の臨床における患者さんへの対応は今でも凄く覚えています。その反面経験を積んでいった中でみた患者さんのイメージはだんだん薄れてきます。顔は覚えているのですが臨床でのリアルな印象が薄れているのです。実際に一年目は良くなった印象があるのです。一生懸命その患者さんのために一週間考えるといったことが幾度かありました。
 現在では直ぐに支援モードになれるように自ら洗脳が完了したといった感じですね。同じ境遇には絶対になれないのですが、ひたすら一つのことを淡々とやり遂げるということが一流スポーツ選手の条件であることは、多くの知見から明らかです。本当に特別なことではなく日常のちょっとしたことをやり続けることがいかに難しいか?それは、実は相当の信念と思いが必要です。そのやり遂げるためには集中力が不可欠なのです。長く絶対にやるんだという思いが必要です。その集中力はスポーツに直接関係します。そして集中力は臨床での結果に反映します。

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