名取市・南相馬市活動報告

Category: 東日本大震災
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仙台から福島に入る道中にて。なんとなく橋が傾いている感じがするのは気のせいでは無いと思います。

022_20110505171505.jpg恵比須の目黒若菜さんが集めてくださった支援物資を取りに行きました。合計5袋ぐらいの大荷物でした。実は支援物資をお渡しする時に私の着替えなどを入れた袋とごっちゃになって避難所に渡してしまったようです。意図的ではありませんので仕方ありません。
 今回は多くの支援物資は皆さまからいただきました。本当にここまで短期間で集まるとはびっくりしました。既に長野の有井さん、そしていわき市の渡部さん宛てにも送る様にしていたので合計三台の車での物資の搬送になりました。当初は原町二中という避難所のみの訪問のつもりでしたが、物資が余りにも多いので急きょ原町第一小学校、石神第一小学校の避難所にも物資を運ぶことにしました。この三か所の避難所に行く予定にしたのは出発の直前の午後でした。臨機応変に対応することが個人の強みなのかもしれません。
 私の車も全く後ろが見えないくらいに塞がってしまいました。肉類があまり手に入らないという情報もあり、私の方でも鶏肉を100キロ購入して積み込みました。
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石神第一小学校に物資は搬入。現地の看護師さんが対応してくれました。そこでも多くの複雑な事情をおききすることができました。看護師さん自身が家が流されてしまっているのですが、それでも看護師という立場にてサポートする側につくことになります。何でもそうですが、間に立つ者の苦しさというのは同じです。この場合は行政や病院からの指示と避難所の利用者さんとの間にたっているということになります。

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原町二中です。とても天気もよくチューリップも咲き誇り表面からだけですと原発の影響を直接感じることはできません。
 
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こちらは閖上地区の方々が入っている避難所の舘腰小学校です。やはりがんばりしかないのです。やたら頑張ろうと声かけはいけないと言われていますが、本人たちは最後は頑張ろうなのです。頑張ろうとこちらが言わなくても、頑張らなくてもいいよというのも時と場合によりますね。システムとフォーマット化になっていることに対しては、今一度自分の皮膚感覚で問うてみる必要があります。

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仙台北部整形外科の佐藤さん。勉強会STARの会長です。既に多賀城地区の避難所にて活動しているようで、自らの意志にて動きだしています。4月29日舘腰小学校にて一日活動をしていただきました。「めんこいね~」やはりというか女性ならではの声のかけやすさはあるようです。一人でお昼を食べていたら、一緒に食べようと声がかかったりと、情報として女性だからこそ話しやすいという話はきたことがあったのですが、改めてそれは思いました。確かにオジサンはそうだろうね。なんだかんだいっても。女性であっても女性のセラピストがいいという人は当然いますからね。実は避難所への交渉においても今回は女性にお願いしたのですが、なんだか私が話すよりもスムーズに話が通っているような気がしました。

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南相馬市立病院。総合病院として南相馬市では中核病院です。現在、屋内退避が解除された関係で県外から市民が戻ってきていますが、生活するためには医療機関の整備は欠かせません。いまだに入院患者は受け入れられない状況で、救急も受け付けていません。隣の相馬市か福島市にまで車で行かなければいけない状況です。リハビリスタッフもかなり少なくなっており、震災後に一日も休んでいない状況でした。

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30日は南相馬市民病院の脳外科医師である及川先生(中)について避難所を回りました。左はいわき市の渡部さん、右は長野県の有井さんです。現地に入るまで市民病院とはコンタクトは全くとっていなかったのですが、前日に支援物資を運びながら避難所を回る中でコンタクトをとることになりました。やはり現地に入らないとわからないこと、入ることでできる繋がりがあります。このような予定外や想定外は当り前と考えた方がいいですね。
南相馬市民病院では現在4名の医者しかいないようです。とても運営できる人数ではありません。まさに混乱というか落ち着いて医療を根付かせることはできない状況と言えます。

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原町第一小学校ではホームローラーいわゆるトレッドミルが置かれていました。屋内退避の時期には外出もままならないので、このような設備は必要ですね。

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お昼には近くのラーメン屋さんに入りました。とても繁盛していました。入れ替わりに名古屋だったと思いますが、マッサージの人たちが数人でボランティアに入ってきました。南相馬市にも多くは無いでしょうけど、ボランティアは入っていることがわかります。
 現在、GWを境にドンドンと人が南相馬に帰ってきており、お店も開いています。まだまだ営業していない店も多いですが、明らかに3月4月からはゆっくりですが復興への道を辿っているようです。周りから想像で思うほど、まったく入れない雰囲気というわけではありません。今回のGW中でも原町区や鹿島区には数百名単位でボランティアが入っています。しかしながら宮城や岩手に比べれば各段に少ないのは確かでしょう。
南相馬のボランティア情報です。
http://ameblo.jp/minamisoma-svc/
私が行った4月とは既に南相馬市もどんどん変わっていることがわかります。県外からのボランティアも積極的に募集を開始したようです。しかしながらGWを境にボランティアが激減することを危惧しており、反面片付けなどのニーズは増えているようです。他県では多すぎて制限する現状のなか、南相馬市においては足りないことは確かです。

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石神第一小学校では午後3時~いつも体操の時間が設けられておりテレビの前に椅子を並べているスペースもあります。人数が多い避難所ではスペースがとれないところが大半ですが、ここでは椅子に座ったジャイロキネシスのコンセプトを使ったエクササイズを提供することができました。皆さんとても盛り上がってというか椅子に座っている人だけでなく、周りのスタッフや居住スペースにいる人たちも巻き込んでエクササイズできました。最初はこのような状況で集団のエクササイズに皆さんのってきてくれるのかな?と一抹の不安もありましたが、それも杞憂に終わりました。その後の皆さんのすっきりしたお顔と盛り上がりをみると、雛所であることを忘れさせてくれました。30分ぐらいのエクササイズでしたが、その後に治療の依頼が殺到ではないですが直ぐにでてきました。やはり何者かがわかるまでは、そう簡単に自分の身体を触らせませんよね。

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bodyworkのスキルを身につけておいて本当に良かったと思いました。またセロトニントレーナーとしての知識、もちろん理学療法士としての運動連鎖アプローチなどなど、総合的なスキルが要求されるというか、フルに自分を出しつくさなければいけいない場なのです。

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そして何度か言及している、被災地でのエース、大腿四頭筋エクササイズ。Quad settingです。本当に驚くほど効果があります。この男性も全く太ももに力が入りませんでした。落ちているのではなく忘れいてるという感じです。タルタルの緊張が無い状態です。要領を指導していくと、ボコッと盛り上がってきました。結構、周りも興味津々で覗きこみ場が盛り上がりました。普通に考えても、このような場において力学だの姿勢制御などの理論は形骸化してしまいます。選択肢に挙がってこないのです。より「心に響くものを」が基準ですので、自ずとシンプルでオーソドックスなことが残っていきます。流行やトピックスに振り回されるのではなく、基本の大切さを改めて認識しました。

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避難所のスタッフの皆さんはとても元気です。もちろんそれぞれが被災していますので、抱えているものは想像できません。それでも我々が考える以上に元気に見えるのです。毎日見ているわけではないので、現実はわかりません。何処でもそうですが旅行で一時的に行くのと、生活するのとでは全く違います。想像を絶する想定外の体験をした人の境遇はその人でしか窺い知れません。それでも、共感という能力をつかってその気持ちを汲み取ろうとすることが我々にできる大切なスタンスであると言えます。
 舘腰小学校においては三度目の活動でしたが、三度目だからこそ声をかけてくれる人、打ち明けてくれることがありました。一過性に終わらない活動を心を自ら努力して続けていきたいと思います。仮設住宅にはきっと秋口にはほぼ皆さん入居することになります。その時には集団生活の避難所のようには気軽に声をかけてもらえたり、声をかけたりということはできないでしょう。そのためには、避難所でできるだけ多くの人たちと接して気軽に話がして貰えるような関係性を築いておくことが仮設住宅に移った時に、小さなことでも声をかけてもらえるようになるのではと思います。
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