南相馬市

Category: 東日本大震災
南相馬市原町被災地支援活動


                  佐久穂町立千曲病院 理学療法士 有井一貴

 今回4月29、30日に福島県南相馬市原町で被災地支援活動を行ってきました。今日本全国が復興に向けて頑張ろうという雰囲気の中、福島原発30キロ圏内のこの場所は他とはまた違った問題を抱えているように思います。このことを少しでも多くの方に知って頂くことで、少しでも南相馬市の力になればと思いレポートさせて頂きます。


 4月28日会津若松で1泊し翌日南相馬市入りしました。当初、29日は仙台で活動し翌日に南相馬市に入る予定でしたが、きっと仙台にはたくさんのセラピストやボランティアがいる、本当に行くべきは南相馬市ではないか?と考え山本先生と相談し初日より南相馬市に入ることとなりました。

 当日、現地へ予定より早く着いたので少し見て回りましたがガレキの山、何もなくなりまっさらな海までの景色は言葉を失いました。テレビで見るのとは違い自分の目で見た衝撃は相当のものでした。そのショックを引きずりながら避難所である原町第二中学校に行き、支援物資を搬入した後課長さんから話を伺いました。この避難所では100人強の方が避難しているそうです。原発から30キロ圏内なので基本的には避難が前提となり残っている方は仕事があるか、身内のご遺体が見つかっていないかのどちらかが多いということで、何かあった際には自分で逃げられることが前提となっているそうですが実際はそうも行っていないようです。またこの避難所は体育館ではなく1〜3階の各教室に10人から15人程度に分かれて生活しているそうです。看護士さんが事前にリハビリの対象者をリストアップしてくれてあったためそのリストにそって活動を始めました。


 部屋をまわって行くと、現在は各部屋に暖房と空気清浄機が設置され、そういう部分では不自由はないようです。しかし日中は仕事に行く方が多く高齢者は静かな部屋でぽつんと一人で残っていることがあったり、また数人で残っている部屋でも会話が少なく、私が部屋に入った瞬間に部屋の空気が変わることを肌で感じ、問診の際は部屋が静かであるために会話が部屋全体に響きプライベートな話ができないなど、少人数の避難所ならではの問題がありました。
 そんな中でタッピングタッチがとても有効でした。私自身が部屋の空気に馴染むために、またこんな状況では問診にも答えてもらえませんがタッピングタッチが10分を過ぎた辺りで少しずつ話していただけるというように、心の距離を縮めるのに役立ちました。
 また避難されている方は、やはり活動性が低下しているようで内側広筋の萎縮など廃用がかなり進んでいるようでした。先日の山本先生のクアドセッティングが効果的だという言葉が身にしみました。セッティングをこんなに指導したのは初めてではないか?という位指導しました。ただ筋力の問題ではなく、このような状況ではセッティングが選択しやすいのです。


 昼に山本先生より南相馬市立総合病院の及川先生とコンタクトをとってほしいとの連絡を頂いたので伺うことにしました。そこではボランティアカードを記入するよう言われ、今後の病院の避難所支援の予定の説明を受けました。我々は被災地とコンタクトをとり介入しましたが本来は及川先生がメディカルの窓口となっていたそうです。午後は一緒に活動しようとのことで、現地の理学療法士の小野田さんを紹介しもらい3人で活動しました。活動としては老健にて血栓予防を目的とした集団体操を行い私も少しお手伝いをさせていただきましたが、今日の活動はこれで終わりだったので病院に戻った際小野田さんと少し話をすることができました。

 話は壮絶なものが多く、院長より逃げるなら逃げろ、これから先は責任が持てないといわれスタッフが50人しか残らない中で活動していること。様々な協会から人的支援を断られたこと。「30キロの壁」による風評被害。震災がおきてから1日も休んでいないこと。理学療法士としての関わり方も、血栓予防の集団体操が主だが、そこに出てこない方こそ本当はフォローが必要なのではないか?しかし現状はマンパワーが足りないということ。郵便や宅配が昨日まで機能していなかったこと、などこの30キロ圏内であるがゆえにどれだけ辛い思いをしているかを伺うことができました。とても優しい方でしたが本当にぎりぎりの所で活動していて、その目の奥には深い怒りと悲しみがあるように感じました。


 人が絶望するのは災害ではない、誰からも手を差し伸べられなくなったとき絶望するんだとその時思いました。


 2日目は及川先生からの要請により、原町第1小学校で活動をすることとなりました。しかし現地に早く到着したため、昨日活動した中学校に少し様子を見に行こうと伺いまいた。すると昨日は目も合わせず笑顔もなかった方が「昨日よりいいみたいだよ」と笑顔で話してくれたりと昨日とはまた違う雰囲気となり2日訪れることの大切さを感じました。もしかしたら本当のリハビリは2日目からできたのかもしれません。そんな中で印象的だったのが、息子と2人で避難してきた80歳過ぎのおばちゃんでした。前日も治療したのですが、その時は「歩きも不自由がない!痛い所もない!」と元気に話をしてくれました。しかし翌日伺うと、「大東和戦争を経験し、若くして旦那をなくし苦労してきた。そしてこの歳になってこの津波だ。でも息子が私の背中をみている。だから私は頑張らないといけない」と、この歳になってなお息子を思い気丈に振る舞っていました。その話をきくと私は何も声を掛けることができませんでした。


その後原町第一小学校ではお昼まで活動しましたが、ここは皆さん体育館に避難していて全体的に活気があることに驚きました。30キロ圏内でも避難所によって雰囲気は様々です。


お昼まで活動した後、結局初日の2中に戻り最後の活動を行いました。やはり前日治療させていただいた方が「よくなったわよ〜」などと話してくれると、これを聞いている同部屋の方がじゃあ私もとなっていき、介入しやすくなります。しかし一方で未来に希望を持てていない方々に体操指導の紙を作ってもきっとこれはやらないな、と思う所もあり現地で継続して寄り添いながらリハビリを行うことの必要性を感じました。


今回活動させていただくにあたり、様々なスタッフの方とお話させていただきましたが、皆さん本当にぎりぎりの所で活動していました。帰りがけに頂いた感謝状の中にこのような一文がありました、

「長期戦を覚悟し、いち早く、復興にてがけられればと切望しているところです。」

この地区では、復興がまだはじまっていません。先の見えない現状と、30キロの壁による風評被害で前に進めずにいるように感じます。繋がりを断つことで絶望させるのが人であれば、繋がりをつくることで支えることが出来るのも人だと思います。現地へ入り活動することや、物資・義援金を送るなどではなく、心の部分での南相馬市への支援の輪が広がることを望みこのレポートを書かせて頂きました。


今回の活動が本当に意味があったのかはわかりません、しかしここからがスタートだと思います。粘り強く活動を続けていきたいと思います。

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