「理学療法の専門性」

臨床思考過程


知り合いの理学療法士から以下のような質問を受けました。

「いつもブログ拝見させていただいております。
 さて、今回山本先生の理学療法協会理事選出馬や、先日先生の研究所での施術を拝見さ
せていただいたり、また先日ブログにありましたIRA研究会の活動目的などを見るにつ
けましても、多くのことを感じ、今後の人生設計も含めてよく考える機会となりました。
そのなかで、やはり「理学療法の専門性」ということに疑問を感じました。
 山本先生は、理学療法士でありながら、カイロ、ジャイロ、セロトニントレーナーなど
多方面の知識と経験をお持ちだと思います。
 多くの場面に接する山本先生だからこそ考える理学療法士の専門性とはどこにあるとお
考えですか?もちろん、私のような整形外科クリニックに勤めるものとしては、カイロ、
オステオパシーなどの治療コンセプト、各種ボディワークなどは、自分の武器や治療エッ
センスとして有益であることは間違いないと思います。
 しかしながら、それぞれ、それ一本でやってこられている治療家になれるわけではない
と思いますし、ボディワークのインストラクターになるわけでもないと思います。
治療は治療家、身体技法を取得するならボディワーカーに指導を仰ぐことがそれぞれ優
れているとすると、臨床における理学療法士の専門性とは?というところで思考停止に
陥ってしまいます。」

私自身もタイムリーに上記について考えさせらる出会いがあり再考していました。

まず昭和40年に制定された理学療法士法が我々の専門性を表しているという認識はありません。

理学療法士の専門性ですがもともと理念がしっかりとしていないので

全国の理学療法士が迷っている状態です。時代とともに文面を変えなければいけないことは確かですが、変えたと

ころでおそらく会員にはそれほど感銘を与えることはないでしょう。

 学校教育のなかで明確に哲学を刷り込んでいないというメリットと、各病院にて各論は学べばいいという学校本

来の担うべき役割を丸投げしてきた経緯が現在のidentity crisisに繋がっています。

上記の質問者はまさに現代の日本の理学療法の抱えている根底にある問題を代弁しています。

いわゆる、have [go through] an identity crisis 自己喪失になる[を経験する]. 状態なのです。

よってあらゆる理学療法テクニック、団体、オステオパシーやカイロプラクティック、bodywork、など多くの分

野に理学療法士は拠り所をもとめていきます。それが欧米式のエビデンスもしかり、欧米から来る著名な講師の先

生方もしかりです。これこそが、我々の専門性だ!!現存する理学療法の足りないところだ!!いい意味でも思想

教育を受けていない日本の理学療法は、当事者においては黒船襲来をむしろ歓迎する傾向があります。そして、自

らの理学療法が大したことがない、下にみる気持ちが湧いてきます。さらに心酔するという好循環?です。

また、黒船の当事者でなければ、それはまさにidentityの危機でもあるので警戒を高めます。攘夷ですね。

それが現代の横のつながりを断絶している原因となっています。もともとは拠り所のない烏合の衆が、やった見つ

けた屋台骨をそう簡単にかけ変えることはできないのです。

よって、建築基準の違う相受け入れられない建物が乱立し、玉石混合、多国籍料理、味噌も塩も醤油もとんこつも

あるラーメン屋になります。多国籍料理屋も流行っていますので、別に悪いことではありませんが、各々の良さ

を理解し、尚且つ新しい創造と統一感を出さなければ流行りません。

外来種のいない、アホウドリ状態、しかしながらガラパゴスにも成りえていないのです。ガラパゴスとはある意味

独自に進化して確立していることです。理学療法は歴史が浅すぎます。

もしもですよ、欧米ではなく中国などの東南アジアのリハビリが席巻してきたとしたらどうします??

中国経済で病院経営が日本でも成り立ち、中国式?のリハビリが提供されだしたら危機感高まりますよね。

その時に日本の理学療法の特性はなんですか?と聞かれたときに「・・・・・」

介護保険をベースに在宅を中心としたリハビリを国の施策に基づいて従事しています。

それは、国の施策であって我々の専門性を表す言葉としての説得力は??

国が守っていてくれる・・そんな時代はもはや終わりつつあります。

国の政策のなかで尽力していく、また政策に入る様に尽力していくという取り組みが当然なされている

とは思いますが、外来種が来た時には自らの個としての名刺が不可欠なのです。

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最近というか2月26日土曜日に京都から杉元先生という歯科の先生が勉強会参加ついでに八王子に遊びに来られました。ただの顔見知りというだけでは忙しい中時間を作ってくる意味はありません。新しい創造的な仕事がコラボしてできないかという気持ちが根底にあります。このように理学療法士である我々に可能性を見出していただいている内にしっかりと社会に浸透していける道筋を立てていこうと思います。
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 実はTACT8の中村尚人くんとも知り合いで、スタジオの視察も兼ねて八王子への来訪です。話は臨床にとどまらず日本や世界の経済、政治そして未来について我々がどうするべきか。日本人論が展開されました。
 歯科の世界ではカイロプラクティックや整体とコラボしている人たちが珍しくありません。何故なら身体機能と咬合は深く関わっており、咬合が身体に身体が咬合に影響をお互い与えあっているからです。よって整体をしてから歯科咬合治療をするという考え方もあります。しかしながら、最もコラボとして最適なコメディカルは理学療法士であろうと思っています。医療の中でどのようなスタンスで立ち位置で臨むかを叩きこまれた理学療法士は歯科の先生方とも上手くやっていけるのです。カイロプラクティックはもともとはアウトサイダー的なスタンスであり、日本の医療の文化のなかで育ったわけでも適応してきたわけでもありません。あくまで自分たちの専門性を絵提供する対等の立場で付き合おうとします。もちろんパートナーとしてた対等でもいいのですが、実際は医者と理学療法士は立場としては対等ではありません。その微妙なスタンスこそが大事なのです。つまり医師が望んていることは実証性のある医療です。エビデンスというと毛嫌いする人もいますが、エビデンスに基づいた臨床ではなくて、大事なのではエビデンス的な臨床思考過程なのです。clinical reaseningとも言われますが、オーストラリアの提唱するものは、日本人としてはどうも堅苦しくて馴染めない印象です。やはり日本人による日本人的感覚に即したフォーマットを作り直すべきでしょう。診断的なカラーというかスクリーニング的な要素だけでなく、心身や感覚的な実感なども含めた思考過程そして評価体系、治療計画、プログラムの立案が不可欠です。ともすれば敵対する関係になるカイロプラクティックなどとは違い、補い合う思想のリハビリ専門家こそがパートナーとしては最適なのです。


最近は理学療法においても多くのコラボレーション企画た立ち上がっています。脳卒中のリハビリにおいてようや

くボバースやCI療法、認知運動療法などとのコラボ企画がみられるようになっています。

若者にとっては、何が良くて何が悪いなどと言う議論はどうでもよくて、

どれが効果的なのかだけを知りたいのです。

もはや理学療法士当事者ではプライドや自己防御などのバイアスがかかってしまい、

本当の意味での客観的な思考はできない、自らを綺麗な鏡にうつしては自然に直視して評価できないのです。

相撲ではないのですが、第三者機関が必要です。研究でもエビデンスでも結局は都合の悪い理論は排除するわけで

すから当事者では無理なのです。「本当にそうなの?」私が大学院にいたころは良く言われたフレーズです。

えらい先生が言っているからいいとか・・カリスマ性があるとか・・・話が上手いとか・・・おおよそサイエンス

とは関係ないことです。大御所が何を言おうと「本当にそうなの?」と一言全く違う分野の人たちが問いただせば

返答に窮する可能性があるのです。

ビニールハウスで育った作物は、外来種が来るとあっという間に席巻されます。理学療法にないものに触れると、

そこに宝物を見つけたかのような気持ちになります。こんな凄い世界があったのか!!と・・・

海外旅行に行くと全てが新鮮で物珍しく見えるのと同じです。

観光と居住するのでは話が違うのと同じです。

外から見てみれば良く見えても、内情は決してそうでもないことが常です。

カイロプラクティックなど外から理学療法を見つめるからこそわかることがあるのです。

逆の立場で理学療法に入ってくると、そこにまた新たな素晴らしさを見つけることができます。

ただ中にいる一人ひとりの理学療法士に自信がなければ、下を向いていては外から来た人は何だ理学療法は大した

ことないんだと思っていしまいます。

不思議なことに、理学療法士が外の専門家に説明するときには「大したことないんですよ」と自らの世界の劣って

いる様をさらけ出します。

謙虚と言えばそれまでですが、私が15年以上関わっている、カイロプラクティックの分野から見れば理学療法は

「自分の好きなことができなくてつまんないね」「医者の言いなりだね」「口だけで何もできないね」

となってしまいます。

では欧米のセラピストはオステオパシーやbodyworkをどう捉えているのか?

欧米ではもっと割り切ってあらゆる分野のものを取り込んでいます。

あくまで自らのビジネスの手段としてです。Physioそのものがidentityですので

他の何も取り込もうと参考にしようと決してPhysioであるという気概は変わりません。

日本の場合は心のよりどころとして模索しています。

よって、その新し分野そのものをidentityと化してしまうのです。

理学療法士の専門性はあくまで医療ですので他の分野とは発祥が異なります。

治療プログラムとして科学的な思考をもってエビデンスを追求していく治療こそが

理学療法になります。杉元先生との話でもありましたが

エビデンスは平均であり、その平均に入らない人たちを見ているのが

我々なのです。平均ではないからこそ来ているのだと・・・

特に自由診療や咬合治療などでは尚更です。

そこにエビデンスを当てはめても仕方がないわけで大切なのは

臨床思考過程なのです。この臨床思考過程を評価とだけ捉えてしまうのは間違いです。

評価だけではなく治療アプローチも含めて、そして単発ではなく治療計画と経過も含めて

総合的に思考する過程です。これこそが理学療法士の専門性でありスタンスなのです。

一つの治療技術や技、テクニックが理学療法の本文ではなくて、治療過程なのです。

マッケンジーなどはその治療過程の体系が秀でているのです。

治療方法は伸展という単純なものです。特別なテクニックではありません。

しかし、その思考過程に基づいて提供していくタイミングであったりさじ加減

こそが真髄になるのです。一つの動きや反応などは臨床ではないのです。評価です。

それは反応だからです。良くなったとはいいません。変わったとはいいますけどね。

リハビリ的な改善とは生活の中でセルフコントロール、マネージメントできるということです。

それも顕著な効果を実感できながらのセルフマネージメント方法である必要があります。

それには実感が伴わなければいけません。セラピスト側とある程度共感できなければいけません。

同意と納得。特に脳のレベルでの納得が必要です。書面上の同意というニュアンスでは、あくまで法律上の問題で

あり、治療効果としての影響は弱いです。

もっとわかりやすくスローガンを出すとすれば理学療法愛!ですね。私があらゆる分野に精通しながらも、どっぷりと取り込まれていないのは理学療法士こそがidentityだからです。リハビリテーションの思想の根源的な意味とその理念の素晴らしさ、評価治療そして再評価、家族指導などなどそのどれもが卒後間もない時期では特別なテクニックではないかもしれませんが、ベースとしてしっかりと持っておくことで、さらにカイロプラクティックやオステオパシーを学ぶ中で医学的な臨床思考過程が武器となってくるのです。寄り結果のでる最短距離で行こうとするのではなく、経験とデーターを積み重ねて10年-20後に新しい医療に匹敵する治療を確立することが我々の責務なのです。
 それには新しい分野を今は貪欲に勉強し、その付き合い方を学ばなければいけません。研究的な思考も常に忘れずに、臨床的エビデンスを各々が持つことです。そして、全体を理解しつつも、ある専門的な分野に特化した得意を作っていくことです。
 歴史的には身体の部分から発展して全体への広がりを模索してきましたが、ある意味失敗に終わっています。全体的な身体機能としての考え方を身につけてから部分へと戻っていく作業がこれからは大切です。そうすることによって、20年前の部分隆盛時代とは違った新たな部分の解釈ができてくることでしょう。発生や発達といった視点が盛んに言われるのは、そういった時代の流れからのです。
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この疑問に答えます!

伊藤 ちから
山本先生に質問されたPTさんに是非私の講演を聞いて頂きたく投稿させて頂きました。
全てにおいて真剣にお答えしたくなってきました。
先生の様に疑問を持たれている方は成長期です。今です。
どのような成長か?目で見て肌でも感じれる方法も公開いたします。
身体が勝手に行動したくなる形まで噛み砕きお届けします。
このコメントでは届けられない物を会場で感じて頂ければ幸いです。

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