リズム呼吸Ⅲ

セロトニン道場 リズム呼吸Ⅲ
インナーとアウターのBodyと潜在意識と顕在意識


 9月21日、宮浦清先生によりますリズム呼吸の講座の3回目になります。セロトニン道場を通じてセロトニン神経を活性させるためには呼吸がいかに大事か、そして呼気に伴う意識性と丹田の概念を包括した腹式呼吸の有効性が必ず強調されます。この日は、前日にソファーの座イス部分に頭をもたれかけるようにして寝そべっていた後頭部を伸張しすぎたようで、その後に独特の違和感が右後頭部に覚えました。別段、何か症状があるわけではなかったのですが、身体感覚としてかなり左へ傾いたような膜系の全体的な歪が生じていました。膜系が全体的に歪むと呼吸をしていても横隔膜がスムーズに動かないというかアウターで力んで呼吸しようとしてしまいます。意識的に随意的に呼気を意識をすることは大切ですが、これが過剰な努力を伴うといわゆる力みにつながります。左の横隔膜が意識できない、そんな最初のセッションの30分でした。四拍子+1のリズムで音楽に合わせながらコアーを球体に見立て、上下左右前後と呼気に合わせて軌道を描いていきます。このリズム呼吸の素晴らしいところは、普通のコアーエクササイズなどでは体幹の筋肉をターゲットするがゆえに、isometoricもしくは一軸性の運きになりがちです。しかしながら、呼吸エクササイズという観点にて体幹筋を動員することで、3Dの動きに変換できるのです。三次元の動きは身体運動を評価するという立場でいうと、データ化できない数値化できない、定量化できないという難点があることで、エビデンスにて医療と経済が成り立つ価値観に立脚している限りはなかなか踏み出せない領域となっているのです。病院という長らく実証性を基にした環境にいたせいか、この3Dに代表される不確かな動きや考え方と対極の思考で固まっています。私がセロトニン道場で学んでいる師範と呼ばれる先生方は決して医療や体育系などの専門家ではありません。むしろ各々の立場で突き動かされるように突き詰めていくうちに到達した体系なのです。自由だからこそ、医療という教育のなかで、病院という箱の中で、規制された思考のなかで身体を考えるがゆえに、我々が気がつかなかった見落としている観点からの見方ができるのでしょう。真理を探究するというスタンスが実は欠けているのかもしれません。サックス奏者のプロフェッショナルとして何故ゆえに呼吸をそこまで突き詰めていったのか?ふとそんな疑問が湧いて質問してみました。すると、決して音楽のためだけに呼吸を探究したわけではなく、自身の健康を害した体験からどうしたら普通の人のように走ったり運動したりできるようになるだろうか?そんなひっ迫した状況のなかで自らの身体をモデルにして探究していったものなのです。それを聞いてなるほどと思いました。例えば自らが脳卒中なり四肢の怪我なり、手術をしなければいけないようなs頸椎疾患にかかったとしたら、現実的に自分ならどうするだろうか?誰に見てもらおうと思うだろうか?今は病院で医師からのオーダーがあるからこそ自然と自分や同僚が患者を見る立場に立っていますが、決して患者自身は自分にかかりたいと望んだわけでもなく、いろんな方法を比較検証できるわけでもない患者はもう身を任せるしかないわけです。まるでくじ引きのような危うさです。そこでエビデンスという考え方が出てくるわけです。誰がやっても普遍的な結果がでる公理を見つけようじゃないかと・・・それが後々の医療の発展に寄与するというわけです。
その発展は一歩かもしれないし半歩かもしれないし、アイドリングぐらいかもしれません。後世に残すこと、大義名分としては素晴らしいことです。また医療保険も実証性のあるものに対して点数をつけるという風潮となってきており、これも税金を使うわけですからしっかりと説明ができるものである必要があります。そのためのエビデンスであるわけです。
 しかし、臨床はやはり結果です。考察や検証はもちろん必要ですが、結果の積み重ねにより法則を見つけていくというスタンスが臨床家です。エビデンスは患者にとっては、意味のないことである可能性も高いからです。アメリカ的な訴訟国家におけるエビデンスに基づいた治療などという触れ込みをよく聞きますが、それは治すための特効薬があるわけでもマニュアル本があるわけでもないのです。ただ治療者自身がこれでいいんだという後ろ盾を得ることで安心するというのが一番の効能でしょう。後々になったいくらでも科学の常識や再発見・新発見がでてくるのが常である業界において、でてきた知見だけを追って拠り所としても仕方がありません。もちろん新しい情報をドンドン吸収することは大切ですが、人間に対する真理の探究というややもすると哲学的な観点こそが前面にでてこなければ、本当の意味での患者に信頼され貢献できるセラピストには成れないでしょう。
 思えば理学療法士になって20年余り・・こんなことに気づくために随分遠回りをしたもんだとつくづく感じます。見せかけのテクニックや知識だけでは、患者という全人間的な存在に対峙することはできないのです。セラピストは医療従事者であり先生と呼ばれてしまう立場にはありますが、医療という思考の枠に囚われてしまったり、業務的にルーチンをこなす作業員となってしまい、日々の生活やライフスタイルが中心となってしまっては、おおよそ約40年近い臨床生活を満ち足りたものにすることはほぼ不可能です。真理を探究すること、自らを信じて暗中模索の中で諦めずに繰り返し実践していく継続性、結果至上主義にこだわる信念を持って歩んでいくことで初めて極めたものだけが纏うことができる深みと独特のオーラが出てくるのです。
 どうして、そんな領域にまで進んでいけたのだろう?それは知識と情報という常識に囚われなかったことが、結果的に真理に到達する近道であったということなのでしょう。セロトニン道場の師範からは、そんなことを強く感じます。近道と行っても、「紆余曲折(うよきょくせつ)」30年ぐらいはかかってしまうようですが・・・
 さて座位での呼吸方法を繰り返す中で、身体の深層の感覚と表層の感覚を分けられることに気づいてきます。薄々感じていたのですが、その深層に眠っているというか普段は意識下されない軟部組織と、無意識に力むことで認知しようとしているアウターの組織は、そのまま潜在意識と顕在意識とリンクしているのではないか?ということです。私はもともとアウターが発達している典型的なアウター人間ですので、その太く発達した筋肉の感覚を削いでいくことは至難の業ともいえます。なんとっても発達して運動単位の動員がされやすいわけですから、それは意識しやすいのは当然です。しかし、この横隔膜と骨盤底に挟まれ腹横筋や腹斜筋に囲まれたコアーのさらにセンターである丹田を意識化していくためには、まずこの意識しやすいアウターをより鮮明にイメージすることから始めていくことで実はインナーの意識も高めていけるのです。アウターのみを意識することでインナーとの感覚をセパレイトさせていくということです。そしてそのアウターの中の感覚を少しずつ高めていくことで、身体の膜系のバランスの核をまず整えていくことができるのです。そのためには直線的な一軸性のベクトルではどうしても歪さえもさらに助長させてしまうのです。そこで、お粥をかき回すように練りこんでいくことで結果的に最も自由度の高いバランスが形成されてくるのです。さらにsupineでもお腹から骨盤をフライパンのように見立て、チャーハンを掻き混ぜるように自由に動かしていきます。さらに股関節の内外旋にともなう骨盤の前後傾の運動を、四拍子のリズムに合わせ呼気に乗せて動かしていきます。このころには私自身の違和感はほぼ解消されていました。
 このように自らが実践する時は3Dの概念がとても有用ですが、理学療法となるとこの三次元の動きの何を評価するのか、また評価に基づいたアプローチというプロセスを踏めるのだろうか?このあたりが理学療法の真髄ですので、結果的にアレンジをする必要があります。何でもそうですが、他の領域や国外から入ってきたものすべては、一度日本の理学療法なりにアレンジして翻訳する必要があるのです。むやみに、そのままの発想や哲学を持ちこむがゆえに無用な揉め事に発展するケースがよく見られます。文化の違うものをいきなり持ち込んで、「そら認めろと言っても」それはもともと育ちの違う個人同士における結婚という単位においても、相当の努力と妥協が必要であることを考えてもそんな簡単なことではないのです。
 潜在意識に気づくことで身体の深層も弛むことはしばしばあります。心身は連鎖しているということは、この筋膜などの膜系の概念が入ってきたことで、一気に我々日本の理学療法の世界においても新たなパラダイムシフトが起きてくることでしょう。しかしその変化は医療という枠組みをともすれば外れることになります。医師の下でのという立場からの脱却を意味します。これは、ようやく独り立ちすること、専門性を持つことにつながるのです。
王道である行政の視点であるエビデンスとは別のアンダーグランドを模索する動きは、現在相当の勢いで進んでいます。そのアンダーグランドの動きを束ねて繋げていくのは、発足当初から活動理念としていることであり(コラボレーションの理念)運動連鎖アプローチ研究会の真骨頂ですね。
 このインナーと潜在意識にアクセスする一つの方法がタッチングになります。身体運動学セミナーで吉田さんが披露したTAへの感覚入力もその一つになります。実は、そのいわゆるローカルマッスルをも包括したinner bodyをイメージしアプローチすることで、あらゆる疾患の治癒が促進されていくことがわかってきました。例えば難攻不落と思われているFrozen sholder(凍結肩)などもそうです。もちろんこのインナーボディーだけの概念だけをあてはめわけではありませんが、かなりの助けになります。
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