龍馬伝!!薩長同盟ぜよ!!

Category: 人生訓
龍馬伝!!薩長同盟ぜよ!!
~人生とは死に場所を見つけることなり


 8月29日日曜日放送のNHK大河ドラマの龍馬伝!まさしく龍馬の人生においても、そして日本の国においても大きな転機としてのクライマックスである薩長同盟でした。命をかけてという言葉がこの時代は現実であったことが良く分かります。薩長同盟の五つの取り決めにたいして桂小五郎が違和感を唱えた時に、龍馬が「もう一文加えてはいかがですろーか」という場面。志半ばにして多くの命が無くなっていった同士の思いも反映した一文を提示したのです。間違いなくいこの時代の志士達は、命を捨てる覚悟で臨んでいます。身近に常に死が隣り合わせである日常など想像もできませんが、現代においては明らかに私心のほうが優位であることは間違いありません。いや古今東西、国が腐敗していく過程においてはいつでもこの私心が勝っていたのでしょう。その状況を打開するのは間違いなく、志なのです。武士は刀を持ち歩いたわけで、例え友人であっても腰に刀がぶら下がっていたら間違いなく現代の友人関係よりも緊張感があったでしょう。刀の扱いに長ける以上に、刀を抜かないための鍛錬も必要でしょう。
 龍馬は自分の身の回りに危険が迫っていることをひしひしと感じながら薩長同盟に赴きます。どの時代においてもスパイや隠密はいるんでしょうね。その動きはじきに幕府の知るところとなります。最終的には暗殺される龍馬ですが、史実においても自分の身に何かあった時に、妻のお龍を頼むと知人に話していたのです。身の保身、保障、安定、自分を守るというスタンスの現代においては、知る由もない時代背景ですがこの幕末から明治維新にかけて多くの現代人が惹きつけられるのには、そこに人生の意味を感じるからなのです。女性は少し違うかもしれませんが、新撰組は女性ファンが多いと聞きます。人気がある新撰組も近藤勇ではなくて土方歳三や沖田総司などのイケメンなのでちょっと見方は違うのかもしれません。 
 はなしがそれましたが、武士はどのように死ぬかが非常に重要視されていたことがわかります。武士として切腹させろ!という下りなどはまさしくその代表です。
 人生とはどのように終えるか!!つまりは死に場所に相応しい人生を歩むことが重んじられたのではないでしょうか!武士道、サムライ魂、サムライジャパンなどは、その精神を継承しようとするDNAなのでしょう。我々は侍がなんなのかは知りません。しかし何故か侍というとなんとなくイメージが湧きます。やはり継承されているのです。女性は撫子(なでしこ)と敬称されることはあまり好まないかもしれません。男が勝手に女性に抱いている幻想だろうと・・・白衣の天使のイメージと同じですね。
 近藤長次郎などただ留学したかったというだけで、切腹自害して果てました。留学したかっただけですよ!考えられませんね。もちろんもちろん当時は鎖国していたので密航は重罪です。これは現代における亡命と一緒なのでしょう。海外に出ていくことにまだまだ消極的ですが、本当に英語ぐらいなんだ!!簡単に諦めるな!と思えてきますね。ゲームや引きこもりのような内向きではなく、安定した社会だからこそ守りに入る意識がかえって外へ出ていくことへの勇気を奪っているのでしょう。WBCそしてワールドカップと日本のサムライ魂を時代が望んでいるかのようです。明らかに本田選手の活躍で日本のサッカー選手のコメントをスタンスが変わりました。
 この死生感こそが覚悟となりそして行動の源となり、人を動かす原動力になるのです。利害関係で動くこともビジネスの社会では多多ありますが、最終的には利害関係だけでは立ちまわれなくなるのではないでしょうか?成功の法則などするビジネス本は沢山ありますが、そのテクニックが大事なわけではないのです。
この辺りは8月22日開催された開業独立セミナーレポートにて記載します(記事が遡っていきますがすみません)
 しかしながら死と隣り合わせという生活は到底できないことも確かなので、それに順じた意識が大切になってきます。
 ワールドカップの日本代表クラスにおいては超エリートではない選手が多々いましたよね。気持ち反骨心、コンプレックス、必死さ!!本当の意味でそれをわかっている選手が日本代表にもいるのです。長友、本田などはその代表のようなものです。さらにはドイツからのレギュラーがほとんどいないなかで、出番のなかった遠藤は今回本当に活躍しました。そのメンバーが今回のがけっぷちのなかで、あらゆる既存の流れや常識そして人生観に行き着いた可能性はあります。悩み苦しんだあとにある、そこには死生観とは表現できないまでも真理に行き着く過程となるはずです。往々にしてエリート育ちの選手がそのまま順調に成長するケースのほうが少ないのは何故だろう?と考える必要があります。
 ある程度はスポーツ競技における素質はあるでしょう。努力してもなれそうもないタレントは確かにいます。しかしその這い上がっていった過程は我々の人生においても共通するものです。
 死を覚悟すればハラが座ります。つまり腹から肚になるのです。丹力ともいいますが、その覚悟の積み重ねそして鍛錬が時代を動かす大きな柱(コアー)を作るのです。コアーとは体幹のstabilityという意味合いだけでなく、心のコアー、意識のコアー、人生のコアー、時代のコアー、日本のコアーへとつながっていくのです。個々が志というコアー(軸)を持つことで、「日本はかわるがじゃ!!」理学療法士は武士の士であり、看護師などの師匠の師ではないですが、この武士の士こそが理学療法士には最も相応しいのです。志とは武士の心ともとれます。理学療法士また作業療法士が志をもって日本の心を取り戻す取り組みをしなければいけないのです。日本の理学療法士の役割は、この停滞した閉塞感のある日本を元気にするための役割の延長線上に貢献をしようとするならば、体幹機能を通じてハラを作ることになるのではないでしょうか。
 
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