人の気持ち~セロトニン道場~

Category: 人生訓
人の気持ち

 「人の気持ちも知らないで」ドラマでよく言われるセリフですが、本当に人の気持ちがわかるのでしょうか?わかろうとする気持ちが大切だとは思いますが、実際のところ相手の身になって立場に立って考えるのは至難の業だといえます。それができたら戦いや争いなどかなり回避できるはずです。民族、世代、男女などなど理解できないとされている事例は古今東西変わりません。ということは本当に人間は、いや動物はという言い方が正しいかもしれませんが基本は自分の存在こそが一番興味の対象であるはずです。自分が一番可愛いというのが正直なところでしょう。エゴやプライドなどは、まさに自らの存在を守るための手段なのですから。セロトニン道場に参加していると、この人の気持ちがわかるということは、人間が人間であることをたらしめている前頭前野の働きであることがわかります。別名、共感脳とも言われるこの部位は、人間らしさを演出している場所なのです。この共感脳はヨガでいうと第三の眼(サードアイ)、アージュニヤーチャクラの部位になります。具体的には腹内側前頭前野と背内側前頭前野に分かれ、意欲・集中力。共感などの人間らしさを司っています。この前頭前野の活性化とセロトニン神経には密接な関係があり、鬱病の人ではこの前頭前野の血流が低下しています。
 8月9日月曜日にサウンドヒーリングという講座の第二回目がありました。創始者は喜田圭一郎氏であり、その経歴は幼少のころの入院生活が起源にあるようです。その後、野口整体などの治療に触れながら人間の治癒力というものに目覚めていったようです。音楽家という言い方もできますが、身体の探求家ともいえます。セロトニン道場の講師陣は専門性は違えども、人間とは心とは?その真理の探求の果てに行き着いた己の結晶です。人生の長さに比例して、深まっています。真理の探究とは明らかに人間としての経験が不可欠です。時代もあるでしょうが野口整体は本当に日本のあらゆる分野に影響を与えていることがわかります。日本人らしい日本の気質と身体機能と文化を継承したなかで生まれた治療方法ということだけでなく、真理への探究があります。リハビリテーションは間違いなく西洋から入ってきた学問ですが、日本人がオリジナルでもし体系づけたらきっと野口整体に行き着くのでしょう。

 さて今回のヒーリングバイブレーションという施術について、お弟子さんであり歌手である『ニーニャ』さんです。倍音が含まれている声は人に響くといわれており、そのおひとりのようです。このヒーリングバイブレーションというのは、HPにもあるように体感音響機器を使って施術します。大事なことはこの機器ではなく、その根底にある以下の3つのコンセプトにあります。
1.呼吸
2.ヒーリングタッチ
3.プラスの言葉
具体的には、ゆっくりした呼吸に合わせてヒーリングタッチを繰り返します。その時に施術者の心構えとして「ありがとう」などのプラスの言葉を心の中で唱えます。おそらくヒーリング癒しというのは医術の根底にある理念であるはずですが、膨大な知識に埋没してしまっているせいかこの基本をおざなりになりがちです。探求心と向上心はもちろん大事なことですが、そこにココロがおざなりになってしまいがちです。医療とはもちろんプロとしての技術が大切であり、研究という名の探求がメインになっています。その知が膨大であり絶対的なものとして君臨しているがゆえに、迷うことなく信じることができます。迷うことなく人事手覚えるということは、これこそが教育です。思想教育とも言えます。絶対的な知見は人を高みに引き上げてくれるかのように錯覚をおこさせます。それは社会や世間の評価とも連動しているからです。
 今回のサウンドヒーリングの実習を通じて、実は自分いは三番目の気持ちの部分が足りないことがわかりました。プラスの言葉というのは、ココロが無くては成り立ちません。心からそう念じなければ「ありがとう」や「愛」などの気持ちは伝わらないからです。想うだけで何が違うのか?エビデンスとはまさに何がっても変わらない真理であると・・しかしながら、タッチングというこの行為はどうやら金属喘の導子を当てるのとは訳が違うようです。ひと肌や感触もあると思いますが、感情がおりなすバイブレーション、エネルギーなどが関係しているのかもしれません。医療から入ると、このヒーリングタッチに行き着くのにはかえって遠回りになるのかもしれません。医学とは病理の世界だからです。
 理学療法においてタッチングは触擦になります。技術的な側面が強いタッチングになります。呼吸は理学療法では意外に重要視されていません。せいぜい吐くときにストレッチや筋力強化をするぐらいで、セラピスト自身の呼吸についてはとやかく言われることはありません。しかしながら整体などでは患者と施術者の呼吸、呼吸の間隙を狙ったなどの表現がでてきます。阿吽の呼吸など本来日本は息と身近に生きてきた民族だったのです。私自身は整体やカイロプラクティックそしてbodyworkに取り組む中で呼吸とともに人の営みがあり、施術にもとても大事な要素であることが実感できます。いかしながら最後のプラスの言葉はちょっとノーマークでしたね。治すではなく治っていただく・・などは時に耳にします。感謝の気持ちを持って、祈るような気持ちで、は治療時には思い浮かばないですね。
 ヒーリングタッチを実践する中で、感謝にも似た気持ちが実は第三の眼と深く関わっていることがわかります。お坊さんが座禅の後には人の気持ちが手に取るようにわかるほど直観が冴えてくるとのことで、しばらく時間を空けなければ支障を来すほどだそうです。もしかして、人の気持ちがわかりすぎると治療などはできないかもしれません。手術や注射なども最たるもので、人の心の叫びがもろに伝わってしまったら、生きていくのは大変になりそうです。もしかしたら敢えて他人の気持ちがわからないように、自分を最も愛して守るようなシステムが優先されているのかもしれません。まずは個の命が大切なのですから。しかし、家族や大切な人に対しては、自らの命を顧みずということもあります。これこそが、人が人としてたらしめている本来の機能であり、働きすぎると我を忘れて二次災害ということもよく聞かれます。わかりすぎると、自らの存在自体が危うくなるのです。
 relaxしてゆっくりと呼吸をして、そしてタッチングに気持ちを込める・・その時に働くのは間違いなくサードアイです。昔、受験生だったころ瞑想をよくしていたのですが(勉強しろ!)眉間のあたりが熱くなって赤い大豆のようなものを感じれるようになっていました。フィジカルなナルシストとなってしまっては他人の気持ちは推し量りようもありません。理学療法士になって、どうしてもフィジカルや知識や情報に埋没してしまっていたのでしょう。この十代のころに感じていた共感脳をお座なりにしていたのです。静かな心とは雑念のない澄み切った気持ちとも言えます。もう少しいえば自らの何かへの拘りは姿勢や歪となって現れます。お参りやで拝むときに自然に偏りのない自らの内面に集中できる環境になります。それこそが実は人の気持ちがわかる状態でもあるのです。そっと目を瞑るとなんとなく額のあたりが熱くなってきます。前頭前野です。実はこのとき感謝の気持ちでなくてもいいのです。ただ自分への呪縛が解けるであれば、なんでもいいのです。己の欲つまり邪念では、身体のどこかやと硬くなったり偏りがでてきます。共感できる状態とはきっとフィジカルのみでなく、何か人の心に響くエネルギーレベルでの浄化作用があるのでしょう。
その自分を解き放つイメージが、さらに愛情に満ち溢れていたら、自分の心さえも胸の奥からこみ上げてくるものがあります。集中する。そしてよりポジティブな気持ちであればより細胞レベルで好転反応がおきやすいということなのでしょう。
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