内転筋

内転筋とCore軸の関係

 さて巷ではGWに入りましたが、ここで早朝一本コラムを書きたいと思います。今回のテーマは内転筋です。pilatesなどのbodyworkでは内腿に力を入れて意識してというフレーズがよく用いられます。何故なら、内腿に意識をすることでより正中に保持することができるからなのでしょう。りかしながら理学療法士にとって内転筋は決していいイメージがある部位ではありません。何故ならこの内転筋の短縮などによっておこる弊害を多々目にしているからです。たとえば代表的な例としては投手のスタンスにおいて内転筋の柔軟性の欠如が多々報告されているあらです。この内転筋の短縮によって踏み込みの幅さ狭くなり、結果的に胸郭の伸展などの動きが制限されてしまうからです。では何ゆえ内腿に意識をもってくることをbodyworkでは強調するのでしょうか?bodyworkの成り立ちはもともとは経験から先人達の知恵が集積してできあがったものです。もちろんその中には時代とともに淘汰されたり改編されたりしてこともあったでしょうし、現代の科学的な知見にて新たに加わった考え方もあるでしょう。しかしながら、この経験則に基づいた体系は逆にいえば事実が先にあって解明されていない宝物のようなものであるといえます。漢方もアーユルウェーダももとはといえば口伝のような体系であったあとからその効果検証されて薬として売り出されているのです。あとから西洋によて特許のようなものが申請されて昔から経験的に使われていた流通が使えなくなってしまうというおかしなことになっています。後から来た人たちが勝手に現代の法律を押し付けて、ルールを適応させてしまっているまるで詐欺のようなものです。いずれにせよ、身体運動においても解剖や運動学、バイオメカニクスが発達していてもはや身体運動の解析においては現代の知見が最高峰であると思い込んでいることが多いのです。しかしながらこれは間違いといえます。測定できる動きの規定はあまりにも小さく、そこには内面的な表象も伴っていないからです。へん平足つまり足部のpronationから始まった運動連鎖、そしてscapula-humeralリズムから始まった上肢帯の運動連鎖、解剖の関節構造の分類によって発展した関節運動学的アプローチ、どれもが現代だからこそなしえた知見ですが、いってみれば起源はこんな程度なのです。そこには何百年いや何千年という身体運動の芸術的な蓄積にて成り立っているクラシックバレーやヨガの膨大な英知は何ら解明されていないのです。解剖学者を発端として身体運動学と、身体運動を実践している専門家とはまだ全く融合していないのです。実践者はひたすら実践をする専門家であり、理論やメカニズムには興味はありません。たまたたセンスのある合理的な身体運動ができる天才がでてきて人を魅了し、しかしんがら凡人にはいくらやっても体現できないという世界です。学者はあくまで目で見えるものと書籍や文献などから組み立てていくわけでその専門は学者はとても狭いものです。身体運動という膨大なテーマが研究課題にはなりえないのです。ナンバ走りなどの身体操作に関する知見は今ようやく始まったばかりであることを考えると、まだまだ膨大な知見が眠っているのです。比較的なパーソナルで選手についていて、学術などに縛られないトレーナーや接骨院の先生方が身体の法則における私見を体系化して書籍として発売しています。実際に多くの選手が実践し効果を上げていることを考えると、それはアイデアや創造性そして経験がなしえた体系なのですが理にかなっているといえます。かたや理学療法士は身体運動にかかわるプロでありながら、何かしら確証のある事実を得ることでスキルアップしようとします。個人のアイデアや創造性とはかけ離れた世界であり、まだまだ全く解明されつくしていない世界において、人が何かを発表してくれたり教えてくれるのを待っているのです。そんなことをしていたら人生なんてあっという間に終わってしまいますね。人の機能とは何なのか?せめて何年後かには人とは何かを全貌のその片鱗をつかみたいとおぼろげながらに分りたいと思っているのとは裏腹に、全くもってそのペースでは追いつきません。多くの身体機能の持論を各々が持つことで、その知見を持ち寄って議論して交流していけばさらに何かが早くできるはずです。議論なくしては何も生まれない。人の話を聞いているだけでは偉い先生のお話を聞いて満足しているだけでは何も生まれません。

 患者さんにおいては弊害となる内腿つまり内転筋群やハムストリングスなどの機能的や役割と機能障害の成り立ちについて検証していく必要があります。股関節症や寝たきりになった患者さんは往々にして内転筋が短縮していてストレッチの対象となります。また腰痛症の患者さんいおいてもハムストリングスのタイトネスはストレッチの対象となります。確かにハムストリングスはランニングをしていても途中で伸ばすととても気持ちよく走れます。反面、ある競技においてはストレッチをやりすぎるとつまりは抑制しることになってしまうので動きが低下するということも言われます。ストレッチの生理学的な効果については各種報告されており、かなりわかってきていることが多い手技といえます。しかしながらはっきりいって理学療法士にとってストレッチの効果をいくら解明されてもあまり興味がわかないのも確かです。ストレッチは本当に昔から延々と行われており、その誰もが認知している分野です。だからこそ当たり前となっているストレッチにおいて今更解明されてもというのが本音です。おそらく他の全く違う方法などの紹介のほうが興味がわきます。どんなに解明されてもストレッチの方法論が変わらないからです。いつもやっていてなおかつその効果もある程度実感しているものをさらに突き詰められてもというのが感想なのです。それ以上もそれ以下もないストレッチとはそのような存在のはずです。

 さてそもそのなぜに内転筋やハムストリングスは短縮しやすいのか?おそらくこの答をある程度導き出さなければなぜに内腿を意識するのか?なぜに強調されるのか?がわからないのです。まずハムストリングスと内転筋が硬くなるというのは動物に比べて可動性をより獲得した部位であるということがいえます。常に使ってるところが硬くなるのではなく実は使っていない廃用性委縮によって硬くなるのです。昔のように重いものを持ったり生体の構造の耐えうる以上の負荷が加わり続けたのなら、骨も変形しいわゆる骨関節レベルで硬くなります。使いすぎて硬くなるoveruseの障害です。しかしながら現代はoveruseになるような生活はしていません。長い時間コンピューターの前に座り続けるからこそ起こっている機能障害も確かにありますが、むしろこれは運動不足つまりじっとしていることによる弊害です。外力が加わってではなくじっとして静止しているからこそ起こっているのです。昔はコツの構造にて支持する使い方だからこそマッサージや整体などのアプローチが効果的だったのです。つまり固定する支持する上からの重みを耐えるなどの骨関節、そして姿勢を適応させることに焦点があったのです。常に骨関節の求心的な刺激は入り続けることで自然とローカルマッスルとグローバルマッスルがより実践的に自然についていったのでしょう。だから昔の人は身体が強いなどと称されるだと思われます。昔の投手の半端ない登板回数と連投が可能になっていたのも強い強靭は骨の土台に自然とハラが備わりパフォーマンスを支えていたのでしょう。「太い骨格」これこそが筋肉に頼らない現代人とは違う身体構造としての機能なのでしょう。現代は手足が長くなりなんとなく顎も細くて全体的にか細くなっています。むかしならお尻の大きい選手がいいとされていましたが、今のプロ野球をみているとスマートな選手の多いこと。もちろん近くでみればかなりの殿部の発達が見られるものと思われますが、江川選手のようなどっしりとしてイメージはありません。ましてやダルビッシュやイチローにいたっては殿部はスマートに見えます。現代はそういった意味でも骨支持から筋肉の働きコントロールが不可欠な身体革命時代なのでしょう。つまり、これほどまでにインナーだアウターだと言われるのにはわけがるのです。骨支持では得られないさらなる高見に向かうには筋肉のコントロールが不可欠だったのでしょう。微細な調整はまさに筋肉のなせる技だからです。
 そして現代は「強靭な強さ」から「滑らかさとしなやかさ」しいていえば「美しさ」ということにつながってくるのでしょう。「強い選手は美しい」というキャッチコピーがあるように現代はパフォーマンスも上がり、あらゆる競技レベルが上がってきているその背景には筋肉をどのように機能させるかということが、骨構造に頼った支持論からの脱皮につながっているものと思われます。しかしながら筋肉は疲労します。よってある程度のローテーションの間隔であったり休みが必要になってきます。
 動物の膝は正座できるほど可動性はありません。また内転も交差するほど可動性はありません。しかしながら人間は脚を組むことができますし、正座もできます。つまり短縮位になることが多いのです。あとは二関節筋においてはモーメント的な解釈をすると遠心性の収縮による弊害はあります。実はこの遠心性の収縮、動きがとまってしまったら硬くなってしまうのです。つまり滑らかさのある動きができることが二関節筋の緊張を起こさないことにつながるのです。いわゆる短関節筋の多くか関節の安定性にかかわっているとされていますが、まさにおの軸のさらに根っこを支えるインナーマッスルが働くことで二関節筋は遠心性か求心性かをはっきりと役割を与えられます。

 さて内転筋に戻りますが、ギュっと締めすぎると立位においては案山子(かかし)のように動きの幅が小さく狭くなってしまいます。私の最初の疑問は内腿を閉めるという行為は本当に機能的なのだろうか?
 私も実はpilatesに初めて触れて感じたことの疑問はこの内腿への意識でした。いったいこの内腿への意識の意味は何なのか?そしてどのうように指導することがさらにコンセプトを体現できることにつながるのか?単純に内腿を閉めてというキューでいいのだろうか?などなどこの内腿論争はまだ始まったばかりというか、始まってもいないのでここで始めたいと思います。やみくもにすべてのエクササイズで内腿をを締めることを強調しすぎると弊害がでます。人によっては重心が上がってしまし胸郭は硬くなり肩甲骨も挙上位となってしまいます。内転筋はきかせながらも股関節はフリーで動くというのが正しい内転筋の作用といえます。私が実践しているんは立位でも臥位でもいいのですが、骨盤をswayさせてから内腿に意識を向けると殿部がリラックスしたまた内転筋を作用させることができます。すると正中感覚と軸の感覚がものすごく意識しやすくなります。いままで胸郭や呼吸によてって正中の位置を特定していたのですが、内転筋をうまく使えるようになると本当の意味でのイメージのなかでCOREができてくるのです。内転が主導ではなく骨盤のswayにともなう内転筋の適度な制動こそが機能的な内腿の意識なのでしょう。この正中感覚ができてからは宗形テクニックでのセルフアライメントコントロールの意味がますます理解できるようになりました。つまりこの正中をベースに股関節の側方ズレや頚椎の側方ズレなどを考えると基線がはっきりしているので微妙なさじ加減がわかるのです。頚椎の下部がなぜ重要なのかも必然的にわかってきます。つまり肩甲骨の左右差と首の立ち直りのパターンが交差しているので、この下部頚椎はやっかいなのです。徒手的かもしくは他動でないと自動では戻らない部位であることがわかります。骨盤の高さも股関節の調整つまり殿筋からの股関節の分離ができなければ直らないのです。



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コメント:1

私は、o脚がなおるには内転筋と言われ、必死に鍛えて17kg以上の重りを寝位にて持ち上げるほどまでにしてしまいました。実際にo脚はなおってきたのですが、これにより何か別の弊害などありますでしょうか?内転筋ばかり集中的に鍛え、5kg近くは内転筋が肥大したと思います。筋力のバランスなどを誤るとなにか負担になるものがあるのでしょうか?答えていただけるととても助かります。すみません。

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