自己実現と理学療法

Category: 多事総論
自己実現と理学療法

 学生時代に勉強をしなかった生徒が臨床に入ってしばらくしたらガラリと化けていた。つまり昔あんなだったのに今や別人のように活躍している。というような話はよく聞きます。しかしながら何故にそのような現象がおきるのでしょうか?往々にして優秀だった学生が臨床にでて輝きを失うこともあります。不器用な人が後々伸びていって指導的な立場にたっていくこと、指導的というより先頭に立って引っ張っていく独自の道を歩んでいくこともあります。指導的なというと教師のような感じですので、この表現はあたっていないですね。むしろ自分の道を歩んでいることが、とてもわかりやすいということでしょう。つまり社会人になると試験はなくなるしそのモチベーションのよりどころが問題になってきます。モチベーションのよりどころとは何か?端的にいえば臨床が自己実現と同期している場合はモチべーションが生きていることと同義ですので落ちることはありません。つまり自己実現の歩みを止めてしまうということは、生きていることの意味がなくなるということです。人間生きている意味がなくなるとこれほど不安なことはありません。浪人時代に何の肩書にも属さない存在なんだと気がついて少し背中が寒くなったことがあります。このままもし変わらなければ履歴書には空欄が長くなっていくと・・・では器用で優秀であるということは既にコンプレックスの大半は学生時代無いことになります。試験が強いことほど羨ましくて優越感を感じることはありません。試験というリトマス試験紙があることはとても明確な価値基準なのです。つまりコンプレックスというものはいい意味でモチベーションにつながることもあります。勉強をもっとしておけばよかったという思いは臨床にでても根底に残り、そして臨床のなかでも探求することの喜びと意義を感じます。つまり勉強していくことで学んでいく習得していくことの意味をしっかりと認識しているということになります。いわゆる秀才タイプですと、自己実現の方法としての勉強はありません。それは既に達成していることだからです。別の目標が必要です、お金持ちなるとか名誉とか地位とか政治的な利点であるとか・・・自己顕示欲などもそうです。そして最も高貴な?モチベーションは好きだからということになります。臨床が大好きで患者さんと接することが大好きで人間が好きで・・まさに天職です。そうありたいと思いますがなかなかそれだけで満足できるというスタンスには私はまだまだ到達していません。きっとそこまで行き着かなければモチベーションをキープできなことは薄々わかっています。自らの身体を鍛え、体力的にフィジカルでメンタルを網羅できるような取り組みも効果的ですが、最終的には自らのメンタルコントロール、自らに勝ち続けることができるメンタリティーこそが目指すべき道になります。そして豊かな感情表現んと共感性・・・社会貢献できている感じれる実感・・・その手段が理学療法という職業なのですが、その手段が目的となってそして我さえも超越した人のためにと心から思える境地に至れないだろうか?そんなことを考える今日この頃です。開業して世間と接するともろに社会の風を感じる機会が多くなってきました。病院の壁を乗り越え社会に飛び出す勇気は実はまだできているとは言えません。この二年間はまさに病院気質からの脱却を図る上でのリハビリ期間といえます。もう少しすればその糸口が光が見えてきそうな気がします。社会に対しての責任を負うことが果たしてできるかどうか?それが試されている一年になりそうですね。



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