バンクーバーオリンピック開幕

Category: トピックス
バンクーバーオリンピック開幕

 
 バンクーバーオリンピックが開幕しました。毎回オリンピックになると究極の戦いが繰り広げられ、最近は有名な選手においては、その4年間の過程を知っているがゆえに思い入れもひとしおです。人生をかけた極限の戦いのなかで多くの身体運動に関する知見がでてきます。真剣に取り組む過程においてオリンピックに挑むぐらいの姿勢はなかなか日常生活では味わうことはできません。それこそ自分が自分であることがこれほど感じれる場面は人生においてもそうあるものではありません。感動・興奮・そして歓喜、悲喜こもごものドラマが繰り広げられるオリンピックは何物にも代えがたい魅力があるのです。私自身もシドニーオリンピックに行った時にはその興奮は帰国後も一週間ぐらいのぼせた状態が続きました。つまり同じ空間に世界中からあらゆる国の人たち民族があつまり、それが一つの大きなウネリとなってエネルギーになるのです。その空間にいるとそのエネルギーで酔ってしまうのです。オリンピックは特別な時間です。ナショナリズムを始めて感じた瞬間でもあります。日本人とあうと、とても嬉しく感じ誰彼となく話しかけたくなります。オリンピックでは知らない日本人通しがあっという間にコミュニティーを作って、お互いの情報交換のもとに会場に車で乗りあいで行ったりと、おおよそ日本国内では知らない人たちとはいつも緊張感をもってすれ違う雰囲気とは180度変わります。解放感、本来あるべき人としてのつながり、それこそが無上の喜びなのです。沖縄が人気があるのは観光地として景勝地があるからではありません。その空気と雰囲気なのです。無意識のうちにつながっているその空気を感じて魂が癒されるのです。現代はココロも形態も核家族化してきており、毎日暮らすだけでストレスになっているのです。ということで3月にも運動連鎖アプローチ研究会がありますので是非ご参加ください。

 各種スポーツ種目があるなかで今回の注目はなんといってもフィギアではないでしょうか。Numberで「あなたの知らないフィギィア」が特集されているぐらいです。このフィギィアが人気があるのはもちろん日本が強いからですが、それだけではなく感情の揺れや気持ちのコントロールなど人間的な側面が多々関係してく競技だからです。科学的な取り組みが各スポーツで行われる中で、フィギィアは演技するという芸術的な面があるためが科学的トレーニングが全面にでてくることはありません。つまりフィジカルなトレーニングそのものは大切ですが、それが直接競技成績やパフォーマンスに直結しない印象があるからです。反面、スピードスケートのようなタイムを競うものに対しては合理的な身体操作とバイオメカニクスなど理詰めで詰めていけます。
 しかしながらフィギアの場合は「スケートが好き」という感情を取り戻すことがとても大切であったりします。採点競技、難易度などテクニカルなロボットのような精巧さが求められる反面、芸術的なロボットとは対極にある要素が求められます。理学療法でいうとエビデンスやバイオメカニクスと、手で感じる、こころのひだ、身体イメージの変化を察せられる感性といったところでしょうか。採点という点数をおう思考と、表現する披露するというスタンスでは心の中での内省が全く違います。何かをイメージしたり考えた時に全く違う脳内の色に感じることができます。このココロの色こそが脳内の働きの違いといえます。つまりは筋骨格系でもある主動作筋ばかりつかっていとやがてパフォーマンスを落ちていくように、反対側の拮抗筋を使ったり、軸を変えて運動連鎖のバリエーションをつくることが必要なのです。いいパフォーマンスをができていても少しずつマイナーチェンジを繰り返さなければ維持できないことは、スポーツをみていて明らかです。もし毎年同じ練習で同じ取り組みして精巧に再現することが正しいのであれば、きっとそのような流れができているはずです。結果的にそうでないということは、変化そのものが身体にとって何か合理的な要素があるということです。つまり使い続けると筋肉は実はドンドン発達して柔軟性が得られてきます。使わなければ硬くなる廃用になってしまいます。実は私も使い続けると硬くなるのではと考えていたのですが、運動連鎖的に使われているならば基本的には硬くならないというのが現段階での私の持論です。運動というのは筋肉だけでなく靭帯や骨性の支持も使います。つまり制動したり梃子の原理で支点として使う場合は骨靭帯にて構造的な支点をつかったほうが力学的にもより早く重心を移動でき、そして筋肉の働きも最小限ですむからです。筋肉は運動の方向と向きをガイドするだけであとは慣性にて動くということの繰り返しこそが緩急につながり、見る者を魅了する巧みな動きができるのです、巧みな動きは動作分析ができません。つまり言葉で表現するにはその華麗さはとても文章化できないからです。「すごい」そこには感嘆で十分なのです。この感嘆にはどのよなメカニズムがあるからなのかということは考える必要はあります。
 Nikolai Morozovという荒川静香を金メダルに導き、そして今回も安藤美姫と織田信成、アイスダンスなど日本代表の半分をみているコーチがいます。「人間的成長とプラス面を引き出す」というところがポイントのようです。スケーターはそれこそ若いジュニアの段階で頭角を現すことが不可欠であり、それゆえに一般の同じ世代に比べ社会的経験が欠如しやすいとのことです。オリンピックのピークにおいても高くても225歳未満といったところです。つまり何故滑るのか?滑ることん意味をしっかりと自覚することこそが、高いハードルを乗り越えていく上では不可欠なのです、ゴルフや野球においても若い二十歳前後の選手が活躍しています。共通しているのはその年代とは思えないほどの受け応えと取り組みと姿勢です、おおよそ自分に置き換えればわかりますがが、現在においてもあれほどまでに自分をもって物事に取り組めているかどうかは疑問です。モロゾフコーチは安藤には叱ってコーチングをして、織田選手には褒めて伸ばす方針とのことです。個々の個性を考え、基本はよいところを伸ばす方針ですが、そのアプローチ方法は千差万別です。
 人は一人では自らの脳を客観的にコントロールできないようになっています。人間の脳はそうゆうふうにできているのです。よって人の意見に耳を傾ける、謙虚になるということは心象的にいいという感情レベルの問題だけでなく、脳科学的に最適なアプローチなのです。いつまでたっても説明責任が成されていない、初期対応が遅いなど凡例は山程あるのに毎度同じようなこてを繰り返し、一向に学んでいかないのはいわゆるパニック、ワーキングメモリーの枠が無くなってしまうからなのです。また危機的状況に対して基本的にはノルアドレナリンが働き戦闘モードに入ります。究極の局面においては目の前の敵に対して全てを集中するために、いい意味で視野が狭くなり思考も限定されます。つまり、そんな局面においても冷静に判断するためには、よくスポーツでいわれる「楽しんで。感謝の気持ちをもって。」など究極の勝負とは別の次元の相反する定義によって脳の別の部位を働かせているのです。つまりこの楽しんで・・というフレーズは脳の働きに変化を与えるおまじないのようなものです。スイッチを入れるために使う言葉の前提には、自分自身がそのま逆の究極の心身状態になければいけないのです。究極の心身状態において、別の思考をすることでリラックスした動きができる。ブルペンピッチャーと呼ばれる人たちはこの究極の場面においてプルペンを再現できない人たちのことをいうのです。つまり本当の動物のような生きるか死ぬかというような場面においては、攻撃よりも防御するという反応がまず優先されるのだと思います。地震がおきると人はまず固まります。その瞬間にすぐに動ける人はいないでしょう。状況を見極めるためにということもありますが、まずはじっと揺れを感じながら高速回転であらゆる思考を巡らします。運動神経を休止させて、思考に集中するためでしょう。また何かが来たときに咄嗟にしゃがみ込む、頭を抱えるという一連のだれもが無意識にとるこの反応の準備ともいえます。
 スポーツ場面においてもそれは例外ではなく、しかしながらベストパフォーマンスをしなければいけない。つまり形を変えた危機的状況において固まるのとはま逆の動くということを強制されるわけです。つまり動くためのキーワードは楽しむでありリラックスなのです。お祭りや踊りにおいて固まっていても仕方がありません。危機的つまりプレッシャーや過度な重圧です。この究極の重圧とプレッシャーを栄養素とするためには、研ぎ澄まされたゾクゾクするような眼が笑っていない楽しむが必要となります。
 モーグルの上村選手にはせめて銅メダルでいいのでとってもらいたいですね、浅田選手もしかりです。テッペンしか納得できないような周りの空気はありますが、滑り切ることそのことにのみ取り組んでいってほしいです。集中してとか楽しんでという表現をあえて使わなかったのは既に形骸化している言葉だからです、その言葉に新鮮味も新たな脳内の刷新もありません、その効力、呪文としての効力は既に切れているのです。かえってまたかというマンネリとnegativeな感情を引き起こしそこに期待が含まれている言葉としてリングしていることを悟ってしまうとプレッシャーとなってしまいまうのです。滑り切る!!そのことで十分なのです。
 
スポンサーサイト

コメント:0

コメントの投稿

トラックバック:0