アイデア

Category: 多事総論
アイデア

商売や自営にて生き残っていくためにはあらゆるアイデアを商品などに転換させていくことが不可欠です。しかしながら、このアイデアも半年もたてば新しいものにとって変わられる厳しい世の中です。さてこのアイデアですが、果たして病院という組織のなかで理学療法の治療において必要不可欠なものだろうか?病院はあらゆるシステムが歯車のようにかみ合って成り立っています。医療においてはアイデアを即実行できる環境ではありません。少なくとも医師や看護師など命を預かる立場にあると、的確な診断と治療、リスク管理が最優先されます。商品を開発するとなるとアイデア商品と言われるように、発想が大事です。医療は創造的な仕事とはニュアンスが少し違うといえます。エビデンスや科学をベースに実証性のある理学療法をという意識が強いと思われます。何故ならば、あまりにも膨大な情報量と知見を散見するだけでも大変な作業であり、ましてやアイデアと思い付きは紙一重だからです。思いつきで医療はできません、しかしながら随所に新しい発想にて治療をすることはできます。言葉のニュアンスの問題ですが、任務を遂行するというのが正しい表現かもしれませんね。この任務を遂行する、義務を果たすという言葉からはどことなく堅苦しいイメージが付きまといます。やりたいとかやりたくないとかいう前にやらなければいけない・・・からです。この場合は成果を上げるというよりも、ミスをしないでやり遂げるということが求められます。つまりミスなくできて当たり前、ものすごい成果が期待されているわけではない。確実に義務を任務を果たすということです。このようななんとなく拡がりのない堅苦しさは現代の風潮そのものにも当てはまります。あっというまにパッシングされて、有名人がやり玉にあげられる様をみるにつけ、確かに仕方がないところもあるのですがまるで何か獲物を探して見つけたら「それかかれ~」とばかりに説明責任だ~なんだと追い詰めていきます。そもそも納得のいく説明を!!と全てのゴシックネタでテレビのコメンテーターが言っていますが本当に納得のいく説明ってあるのでしょうか?大概、この納得のいく説明が遂行されることがありませんというか、納得は絶対しないというのが前提にあると考えるしかありません。もし完璧な説明があったとしてら、逆にコメンテーターたちは立場的に納得しました!!と全面的に公表することをとまどうでしょう。それはコメンテーターにとっても困るのです。世論に近いであろうコメントと立場に終始することがコメンテーター自身を守る術だからです。つまり、人は動物は危機的状況に陥れば、まず守備的になるのです。つまり防御です。この本能がある限り、最初から全てをさらけ出して自分を滝壺に落とすようなことはできないのです。大概最初は隠ぺい的な行動にでます。自らにあてはめた時に果たして本当に素直に公表できるかどうか・・・本能では知っているはずです・・できればうやむやにできないかと。しかしここで立場や判例などにて学習していれば、このあとどのような展開になるかを想像することができれば違った行動、つまり潔い行動をするこができるかもしれません。しかしながら身の保身は誰だってしたいものです。そもそも保険に入ること自体が身の保身であり、人間の将来に対する不安感という本能の部分をあおって成り立つ商売なのです。危機的状況を回避すべく動いていしまう、その場にいあわせると誰もが多かれ少なかれパニックに陥ります。ゲーム感覚でもしできれば、それは楽しんで対処できるのかもしれませんが、大体はパニックに陥ります。病院でも転倒事故を当事者として目の当たりにすると、経験的にどうでしょう。マニュアルなどがあったとしても、目まぐるしくグルグルとあらゆることが脳内でめぐってきて冷静には対処できないはずです。周りのスタッフが随所に動いて来れることでなんとか事が収まります。その時に冷静に判断できる指示できる人が必要なのです。当事者では無理で、本当に客観的な立場、部外者に近い立場の人であれば尚更客観的に指示できるはずです。
マネージャーなどが咄嗟の判断で隠ぺいして親分を守ろうとしたことが報道されますが、まず守ろうとするのでしょう。自らの子供を守ろうとする気持ちは否定できません。それさえも打ち破って社会的道義にそって行動できるには、、普段から相当厳しく自らを律していなければ無理なことでしょう。一体どれだけの人がそのような行動をとれることでしょう。逆にそのような行動をとったとしてら称賛はされるかもしれませんが、称賛している側は一体何を満足しているのでしょうか?説明責任をと迫っている側は何を求めてそのように思い攻撃するのでしょう。きっとそのような人たちは、一つの事件が収束するとまた新たなターゲットを求めて目を光らせ、そして攻撃するのでしょう。納得がいかないと回答をもとめる・・・きっとそのこと自体が人間の本能なのでしょう。矛盾を感じると脳はきっと解決すべく回答を求めるのです。ものすごい勢いであっという間に情報が伝播していく時代において、ある方向性にものすごい勢いで世論が収束していきます。そして大勢を占める世論がまた世の中を規定していきます。規定が多くなればなるほど、何故だか住みにくい世の中になっていくような「あれもダメこれもダメ」ルールがどんどん多くなっていって守らなければいけない項目がドンドン増えています。規範は多数決で決められたようなものですので、当然違った価値観をもった人たちもいるのです。しかしながら決まったものには従わなければいけません。納得できるできないではなく、守るべき義務になるのです。これはココロから納得しないで言葉上で理解することになるのです。頭で理解してカラダでは理解していないということです。いや頭でも理解できていないで記憶する、覚えておくといったほうが正しいかもしれません。最近草食系の男子が多くなったとか覇気がないとか言われますが、やっていはいけないことを言葉として言い聞かされてきた教育の果てに落ち着いた適応の結果なのです。そうすると豪放磊落というような猛者は当然いなくなります。坂本竜馬がこれほどまでにブームになっているのは、この現代に欠けている自由方便な生き方と振る舞いへの憧れからなのです。本能の琴線に触れない限りはこれほどまでのブームにはなり得ないのです。現実にそのような人物が存在したとしたら、これは当然面白くない連中がいてパッシングします。しかしながら、ヒーローとしてのイメージが形成され既に存在しない人物に憧れをいだくことそのことは何ら問題ありません。しかしながら現代のヒーローは清潔感があってそれでいてスマートで誰もが好感をもてる石川遼君のような存在になります。たまたま全てにおいて現代の価値観のなかで合致するヒーローです。

 最近、国民の立場を代表しているという気概がない政治家が多いということを聞きますが、誰がそんな生き方をしている人が周りにいるのか?、そのような考え方を持てる環境や教育を受けてもいないのにそれは無理でしょう~と言いたくなります。もちろん国会議員はそうであっては困るのですが、無いものをねだっても仕方がありません。言葉で円雑でただ国民のためにということを連呼していますが、大概聞き飽きてしまっています。そう言っておけば一番現代においては的を得た象徴的な記号になるのです。
 この現代の環境のなかで育った写し鏡のような政治家に対して、我々はパッシングするのです。つまり世の中の価値観のなかで育てばほぼ得ることができない気概が必要な政治家に対して、自分たちが持ち得ていない、欠けているものを実は政治家を通して見ているのです。
 清廉潔白な生き方ができていないと、身を守れないそんな難しい時代ですね

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