カイロプラクティック徒手医学会関東支部in仙台

カイロプラクティック徒手医学会関東支部in仙台

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仙台徒手医学療法室SORA 本多直人先生です。

カイロプラクティック徒手医学会関東支部の活動はまだ始まったばかりですが、この度仙台にて開催してきました。仙台は関東ではありませんが、はやてに乗ると東京から2時間かからない距離にあり、カイロプラクティック学会でワークショップで講師をしていただいた本多先生を始め懇意にしていりセラピストも多いことも開催にむけたあとおしとなりました。私が運動連鎖アプローチ研究会を開催するにあたり仙台いりすることもあり、夜間の勉強会を番外編てきに開催しました。
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勉強会では本多先生による実演が行われました。身体呼吸療法というオステオパシーの頭蓋療法をさらに発展させた療法にて施術しました。

  東北にもカイロプラクティック学会員が20名ほどいることを事前に確認していたので、案内を発送して集まりを呼び掛けました。また仙台には小倉DCがいるのも心強いですね。メディアテークという仙台の文化施設ともいうべき会場にて10数名の参加者が集まっていただきました。参加者はカイロプラクティック学会ですが、リハビリ関係者が大半で会員の参加者はいませんでしたが、カイロプラクティックに興味をもつセラピストたちは少なくないことも改めて感じました。立場は違えどもやはり同じ機能障害を対象としているので気になるものです。病院内では決して評判はよくないカイロプラクティック、整体、柔整ですが、理学療法士には何も業務独占はないのです。運動療法も徒手療法も物理療法も、ただ病院に勤務できることと、介護保険下のサービスに携われることでしょうか。国が定めた法律というか行政次第なのです。守られているのは専門性ではなく、立場ということになるでしょうか。よって立場は自ら勝ち得たものではなく、国により決められていたものであり、機能障害というカテゴリーのなかで我々が優れている理由は何もないのです。医学をベースに理論武装しているから優れているとか、評価ができることを唯一の砦として、これも医学の賜物であって理学療法の効果を論じたものではありません。理学療法のエビデンスが今一つできないのは、本当はよくなっていないからかもしれません。つまり効果がないものにエビデンスはありようがないのです。楽になった軽くなったという事実が果たしてエビデンスになるのか?また類似の職業に比べてはどうなのか?知識はあるものの、ただ博識なだけで、評価もいくらやっても良くする方法ではありません。良くならない理由はいくらでもレントゲンなどをみて理由をつけられます。また本当に博識かは疑問です。脳科学や心理に関しては理学療法士は素人同然ですし、脊椎もしかりです。基礎から学んでいないことは、慨して付け焼き刃的なまだら様の知識と、勝手な都合のいい自己解釈に陥ります。ただ専門外のほうが内情を知らないので、既成概念に捕らわれずに、思い切ったことができてしまいます。人から教わり、大家を知っていれば謙虚にならざるをえませんが、独学で本から学んだ知識は一冊の本で鵜呑みにしてしまいがちですし、本当の歴史も知りません。パブリックでなく、狭い世界でほんの少し独学で知識があれば、若いセラピストばかりで対抗馬もいないので、あっという間に鼻高で偉くなってしまいます。名前で崇拝してしまう風潮が強い理学療法士において、これほど既得権益が守られた世界はありません。

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みなさん熱心に聞き入っていました。とても綺麗な光と空間の会場です。みなさん今回のカイロ勉強会を楽しみにしていたようです。今回、オープニングには私が症例報告がてら頭蓋と腰椎のヘルニア症例について発表しました。

  またどうやら若いセラピストが偉い先生を持ち上げすぎる現状も浮き彫りになっており、これでは先生方も胡坐をかいてしまいます。それだけ頼るものがない、精神的に自分たちの自信のなさによりすがりたくなる心境なのでしょう。つまりは、我々経験年数が高い年齢のセラピスト達が、現在のリハビリをとりまく現状に危機感を感じていない気がついていないことこそが問題なのでしょう。若い世代が勉強会をつくって、大きく飛び越えて上の世代と結びついていこうとする姿勢もわからないではないです。しかしながら、それもあくまでつなぎでしかありません。年齢の格差があるわけですから、同じようなスタンスでは歩んでいけません。
さて巷の健康体操なら、まだ医療という立場であしらうこともできますが、昨今のボディーワークは既に体系づけられ、欧米では理学療法士がインストラクターとして携わっています。海外から入ってくるものにいたしては日本は弱いので、頭から拒否できません。また既に海外では普通なのですからなおさらです。しかしながら古い頭の世代は、どうしても新しい自らに無い発想や概念はまずは疑念から入ります。当然と言えば当然ですが、その効果は?エビデンスは?といわれても、エビデンスのある運動療法なんてあるのかな?ということになります。大リーグでヨガが当たり前のようにとりいれられているように、いわゆる狭い見識のなかが全てと思っているうちは実際の現場でおこっていることについていけないのです。実験室のなかこそが全てと感じているのです。
 社会の事実を直視して、今ある環境の推移を見守る、そのようなスタンスに立つためにも多くの分野の見聞を広げていく必要があるでしょう。
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