イノベーター3

イノベーター3 報

一週間前に第二回目のイノベーター主催の運動連鎖勉強会がありましたが、一週間後の本日に第3回目のイノベーター勉強会が開催されました。
テーマはスポーツリハビリテーション2です。20年来スポーツ現場にでているのですが、スポーツ現場は本当にセラピストとして成長させてくれました。リハビリではマイナーなスポーツですが、病院でスポーツリハビリに携わろうとしても、もはや環境がありません。病院内でスポーツ選手を見たところで限界があります。やりたいことが病院内ではできないからです。単発で選手が来ても、スポーツリハビリテーションの一端を担ったにすぎないからです。満足のいく競技復帰が本当にできたのか?やはりチームが丸ごとみれて、監督とも信頼関係ができていて初めて、スポーツリハビリかなんたるかか分かってきます。

一般整形外科患者のなかにたまにスポーツ選手が紛れ込んでいるような状況では、なかなかスポーツモードに切り替えるのが難しいのです。むしろ一般整形患者の痛みや可動性を対象にしているほうがよほど優越感に浸れるというものです。そうなんです。痛みを対象にしたアプローチは楽なのです。楽で感謝してもらえて自らの存在意義や価値も実感できます。しかし繊維性筋痛症などの原因不明の不定愁訴においては無力です。都合のいい患者、つまり自らの範疇で診れる症例にばかり眼がいくために、その狭間にいる良くならない患者は記憶されないのです。医師が手術にて劇的に良くなる患者を診ているが故に、一般整形患者で手術対象ではなく大したことがないと判断した患者については、記憶に残らないのと同じです。街で綺麗な人が多いな~と思うのも実際は残像が脳に残るから、次々に現れるかのように感じるためであると聞いたことがあります。
さてイノベーター参加者はスポーツ現場にでている、もしくは現場に出た経験を有している人が多く参加しています。スポーツリハビリテーションの流れは、大きく二つの流れがあります。体協系と昭和系です。ま~そんな流れは世界から、いまや日本のスポーツ界ねなかでも、もはやどうでもいいことなんですけどね。体育会系バリバリの体協の伝統は今だに受け継がれているようでびっくりしました。全く同じ教育方針が脈々と遺伝子として残っているんですね~私が20年前に教わった時と全く変わっていないか、むしろ極端に特化した部分だけが残っていっているようです。方や、昭和系の流れは体幹と中心としたstabilityやモーメントが前面にでた体系です。スポーツ現場を意識したトレーナーに通じるコンセプトやスピリッツの体協に対して、昭和は病院内の専門家としてのカラーといえます。つまり専門性を自負できる身体機能が中心です。いずれにせよスポーツもお国柄やチームカラーがあるように、理学療法においても所属する団体などの関係で伝統とカラーがはっきりと伝わっていくのです。その誰もが自らのカラーを肯定はすれども否定はできないわけで、他の方法は基本的には受け入れないかお互い批判する無視するというスタンスにたっています。ただお互いがというわけではなく後発のコンセプトが既存のものを批判する脳血管リハビリの世界と違って、スポーツおよび整形においては既存のものが後発のものを批判するという構図になっています。部分の機能解剖を中心とするか、全体的な身体機能を中心とするか、医療という観点からすると機能解剖を中心とした部分だと思いますが、何故かそこにはヒトの機能を扱う新しい学問としては閉塞感があり広がりを感じません。単純にいえば面白くないのです。面白くないから賛同する人も少ないのです。自らのアイデンティティーを発揮できない世界にクリエーターは育ちません。芸術でもましてはスポーツの分野でも常に新しい発想と取組がされているわけで、理学療法の世界で停滞していたのでは、凝り固まっていたのでは時代にドンドン取り残されていきます。つまり選手に見向きされなくなるのです。
 それはあくまで基本です。もしその概念のみで治っているならば新しい発想は生まれないのです。それは全ての方法に言えます。その方法では治らない機能障害があることを認めるべきです。ともすればエビデンスを隠れ蓑にしますが、東洋医学やヨガも鍼灸もアーユルウェーダも漢方も全て否定することができるでしょうか?もしくは、自らが信じる方法を世界中の人が賛同して、世界中全て同じコンセプトしか使わない状況を望んでいるのでしょうか?それは無理なことは明らかです。世界中のお国柄によって違う価値観を全て共通にできないのです。好みや趣味や嗜好を他人に押し付けても無理なのです。10年後20年後30年後にも今自分がいいと思っていることが全く変わらないと言えるでしょうか?また今のスタイルを定年まで延々と続けていって新しい発見はあるでしょうか?他のコンセプトの欠点や批判にて永遠に自らの正当性を自負しなければ生きていけないのではないでしょうか?対抗馬がいなければ自らの価値も証明できない、実感できないため常に批判に満ちた思考にならざるを得ません。エビデンスとは機能解剖だからいいとかではなくて、本当にその方法と他の方法の治験を比べたみて有効性を示すことであって、その有効性も持続効果やその後の発症率などのデータが必要なのです。ともすれば、そのメカニズムや理論的背景や他分野の証明された文献や研究などの裏付けを勝手にベースとして解釈してというのが大半です。それは同じ文献でも解釈によっていかようにもとれるわけで、全く相対するコンセプトであっても同じ理論背景を適応させることができるのです。
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strategyエクササイズ&評価:足の踵内側(PM)と外側(PL)への荷重と骨盤のpositive(トレンデレンブルク肢位)とnegative(デュシャンヌ肢位)そして肩甲骨の挙上と下制のパターンを体験

 さて研修会のほうですが、スポーツリハビリテーションの基礎的な話は私ではなくても他の研修会で沢山やっていますので、ここでは運動連鎖アプローチ研究会ならではのコンセプトの紹介が望まれます。キネマティクスな観察的な動作分析では所詮は機械に勝てません。また、動作分析が専門だと自負しているはずですが自信のある人はほとんどいません。何年たったら専門といえる動作分析を自信をもって語れるようになるのでしょうか?5年?10年?そんなに自信がいくつになっても持てないような学習方法はやめたほうがいいです。別の方法を模索するべきです。少なくとも6割ぐらいのセラピストにはある一定の基準のレベルに到達するような学習カリキュラムでなければ意味がありません。それも対外的にもその分野においては実質的に業務独占できてしまうようなスキルである必要があります。その一つがstrategy評価になります。

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 このstrategy評価&アプローチは座位でもできます。よって立位が不安定な症例においても十分に対応できるのです。OKCにおいても足底への刺激が生体全体に反応をおこすことができることは経験上分かっていましたので、座位で足圧がそれほどかかっていなくても、どの足底部位に刺激と荷重がかかっているかによって十分に反応を引き出すことができるのです。
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