動きの学習

動きの学習

 学習の過程についてですが、自ら身体を動かすことで得られる知見が多々あります。いったいどこの時点で動きが学習されるのか?臨床においてはその時点で変化を反応を出すことで、毎回よしとする傾向があります。その刺激反応を繰り返すことで自然によくなっていくであろうと・・・しかし一つの動きを定着させることは並大抵ではありません。何故なら自分でやっていてわかるのですが、その時は良い反応がでて動きやすいと思うのですが翌日になると、その効果が消えてしまっているのです。これには閉口します。
 動きの学習過程ですが、習熟期などの時期がわかれていますが理論通りにいくほど単純ではありません。本当にその間の紆余曲折はまさに情動の生き物であることが改めて実感します。本当にこの方法でいいのだろうか?本当に上手くなるのだろうか?そんな葛藤と不安のなかでそれでも自らの信じた方法で突き進んでいくしかありません。テレビのドキュメントのようですが本当に自らにおきかえるとそのような感覚になります。しかし学術になると、何か参考書の内容を丸暗記するかのような、いとも簡単にできるかのような理屈とは違って現実にはそんなにうまくいかないことがわかります。知識とは怖いものです。その分野を突き詰めて勉強して深く知ればその知識のスパイラルに引き込まれて、さもその分野の専門家のようになれるのですから・・実際には経済学であっても、感情と情動に支配される人間が動かしているということを前提に考えなければ株の動きも読めないのです。人間社会学というべきか人間経済学というような学問の考え方が必要とされています。経済学者でノーベル賞をとっている先生や、経済学者は沢山いますが実際にこのような事態を想定できた人はほぼいないでしょうし、この先もこの現在においても明確な解決策を見いだせないでいるように感じます。
 さて私の場合はbodyworkにておもにコアーを高めること、またセパレイトした分節性のある動き、つまりスキルを上げることを目的としています。実際に脊柱の柔軟性やstabilityが高まってくるに従い、身体は楽になるのですが、いざ走ろうとするとバラバラになったように感じることがあります。つまりbodyworkのめの動きが目的となってしまっている可能性があり、その得られたスキルを他のスポーツやゆうなればADLや歩くことそのものに転化されなければいけないのです。bodyworkをしていたら自然に歩くのが上手になるかというと、楽にはなるかもしれませんが綺麗かどうかは別問題です。また長く力強く山登りもできるかマラソンも走れるかといわれると、やはりそれはそれで別個にエクササイズが必要でそのコアーと融合していくいはさらなる時間が必要なようです。実際このあたりの身体的変化を実際的な動きへの応用というのはこれからでしょう。

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