Axial elongationの臨床応用

Axial elongationの臨床応用

  5/30に開催されます運動連鎖道場症例検討会は反響がかなりあり、他職種の方々からの問い合わせも多くあります。元々はフィットネスから入ってきたピラティスなどのボディーワークを介してインストラクターやフィジカルトレーナーの方々との接点も必然的に増えてきます。ピラティスそのものが、ベッドサイドのリハビリから発祥したことを考えると、欧米では理学療法士がピラティスなを臨床で応用するのが珍しくなありません。むしろ理学療法士がピラティスインストラクターとして、指導的立場にある人が沢山います。まさに日本とは逆の現象といえます。ジャイロもヤムナも起源は自身の機能障害を治すために考案された方法であり、体験からコンセプトが生まれています。主観や経験にて構築さるているということは、常に刷新され続けるということです。自らのイマジネーションに基づいて、日々進化し続けるわけです。もちろん最初から全てを考え出したわけではありませんが、参考にしたりベースになるものは必ずあります。まずはヨガが必ず入っています。やはり何千年という歴史があり脈々と受け継がれてきた叡智は、数十年生きて来た我々の到底行き着ける領域ではありません。台頭する新治療という絶版本があるのですが、有史以来それこそ幾つといえないぐらいの治療方法が出て来ては、消えていきました。
それこそ百年単位で残っている方法は、人間の本質をついているといえます。特に身体機能、健康という分野においては、栄養やクリスタルなどの装飾品まで今では健康産業となって市場を席巻しています。確かに健康のなかでも西洋医学の医療は絶対的なポジションを占めています。法的にも社会的にも別格といえるでしょう。インフルエンザなんて病院というシステムが無いと太刀打ちできません。改めて公衆衛生も含めて現代は科学的な蓄積とシステムによって、我々の命に関わる健康問題を水際で塞き止めてもらっていることがわかります。
  さて医療に関わっていると自然に特別意識が芽生えます。大病院であれば尚更です。しかしながら単科のクリニックですと、治療効果がダイレクトにクリニックの評判と自身の評価に直結するため、より現実的になります。良くならなければ意味が無い!と‥現実的といえばスポーツの世界にも言えます。常識外だと思われる打撃フォームやピッチングスタイル、練習方法など圧倒的な結果の前には認めざるをえません。逆に凡退を繰り返して理論的な講釈を述べたところで、何の説得力もありません。変わらない進化しないものは何もありませんので、現段階で生態系のトップに立っていたとしても、数年後には新たな潮流のなかに飲み込まれてしまうでしょう。脳卒中のリハビリも医学が進んで神経を再生できるようになってしまえば、劇的に麻痺は改善するでしょう。その後の機能構築にリハビリの手腕がかかってきますが、自然治癒の側面は否めず手柄は医学や手術方法にあります。大事なことは問題提起として颯爽と登場した後に、抜いた刀を収める鞘を腰に差しておかないと延々に空振りも含めて降り続けなければならなくなります。よくみられるズルイやり方は、こっそりといつの間にか前言に対して触れること無く、時代に適応すべく帳尻を合わせてくることです。何年後かには嘘になっているかもしれませんよ~とトーマスマイヤ~のあの姿勢は35年という幾多のボディーワーカーやセラピストまた社会活動のなかで絶対的なもの、価値観の多様性と人間の固執しやすく、なかなか曲げようとしない特性、そのこだわりが小さなプライドだったりつまらない意地を守るためだったりする頑固さと、人間が勝手に正しいと定義づけたものの脆さと危うさを肌で感じて来たからなのでしょう。アバタもエクボというように、全ての文献が持論に都合がいいように解釈されます。また都合がいいものしか眼に入りません。解釈は自由ですので、都合の悪い知見は削除するか無視します。身の丈に合わない権力を身に着けると、人はどのように振る舞ったらいいか判らなくなります。鼻が高くなる天狗になるという状態です。全てを都合がいいように、自分独りで成し得たかのように振る舞うため、注意を怠り見落としも多くなります。ましてや病院という狭い世界にいると窓越しに世間を見ていることになり、寒いのか暑いのかもわかりません。よって勝手に今日は暑いと決め付けて当たったら得意満面になります。実は夕立が急に来てずぶ濡れになることは露とも考えません。
  昔はあー言っていたけど間違っていたね~これは現在のところ画期的だが、当てはまらないこともあるんだよね。既存の方法もこんなメリットがあるんだよね。と自然に言えるスタンスが大事です。理学療法士で仰ぎ見る程の天才はいません。そう思っている、思いたい自分と周りがいるだけです。そう思うことでさらに自分が関わっていることが凄いことだと洗脳していくのです。周りの雰囲気も有無をいわせないオーラを醸し出します。それは当然正しいという前提のもとに話をするので、疑問を持つことも許されず質問もタブーな雰囲気があります。このようなスパイラルに入っているのが10年目以上のセラピストに顕著であり5~10年目までは移行段階にあります。3年目ぐらいまでは、情報が過多で吟味する時間が無い、じっくり考察して解釈すできないという負の面々がありつつ、何でも取り入れて信じて体験してから考えようというタイプに変わりつつあります。若い世代はエビデンス教育を受けている世代にも関わらず、逆にアレルギーを起こしている気配があります。すぐに使える効果のあるものを求めたがります。エビデンスで喜んでいるのは教員ぐらいのようです。崇高な理念のもとに、他分野にも通じる概念だからステイタスがあるのです。いくら学会でエビデンスを盛んに取り上げられても、笛吹けど踊らず状態です。若いセラピストばかりの学会で啓蒙しても聴衆はおとなしく聞き入るオーラを出し、演者も悦に入るだけです。最初はすぐに結果を求める傾向に眉をひそめていましたが、よく考えると時代への適応なのかもしれません。最近の若い者は~みたいなオジサン世代になったということですね。この一見刹那的な思考が、いい方向に転がり出したのが3年目ぐらいまでの若い世代ではないでしょうか。その飽く無き好奇心を軽いステップワークで踏み出せるスタンスこそがニュータイプなんだと思います。4年目~10年目未満ぐらいまでは上の顔をうかがいつつ、様子をうかがっていた感があり、いま一つ自信をもって自己主張できませんでした。そうこうするうちに時代の後押しを受けた若い世代がドンドンでてきて、上の世代も役席について、PTとしての居場所を確保して臨床にはうるさくいわなくなり、臨床に関してはやや黙認できるようになりました。4年~10年目未満の世代は下に触発され、習うより慣れろの結果主義でもまかり通ることに半信半疑ながらも歩みを始めたというとことでしょうか。
 また数人の変わっていると言われ続けた10年目ぐらいのセラピストが今まさに若い世代の支持を得て、勉強会を企画したりして活躍しているようです。

バネ
脊柱の第四の機能ともいえる長軸上の動き。axial elongationから伸縮するバネへのイメージ転換
 さて、axialelongationの臨床応用というテーマは脊柱の自由度を高めるためのツールとして紹介するものです。もともとはpilatesのbodywork用語です。実にあらゆる言葉が新しい運動イメージを想起させてくれます。長軸上に伸張させるという考え方は運動学的な屈曲伸展、回旋、側屈のどの動きにもあてはまりません。axial elongationだけでは伸びっぱなしになってしまうイメージになってしまいますが、そこにneutralに戻る、つまり、脊柱が伸縮するという作用は実際の動きのなかで常に営まれている機能であるとい思われます。運動学的には腰椎の側屈には対側の回旋がおきるのですが、実際には回旋と側屈が同側におきる動作はたくさんあります。その時にaxialelongationが必要になってくるのです。また胸椎では吸気で肋骨の動きとともに脊柱間は開き、呼気で元に戻ります。腰椎~胸椎はカウンターのように姿勢制御や立ち直りにて相対的な動きをするのですが、ジャイロなどの動きでは一般的には汎用性のない動きを強要してきます。いわゆるヨガなどは趣味でというか、どこまで人間の限界に挑めるかを達人たちが広げすぎた結果多くのポーズができたのでしょう。よってもともとは運動学的には不合理な動きであったりするわけで、故障してしまう人もでるのは当たり前なのです。おそらくもともと柔軟性に富んだ人たちが開発した動きもあったはずですので、普通の柔軟性ではとても無理なのです。
 
  5/30の勉強会では運動学的な脊柱の可動性をベースにした動きのレベルを提示し、さらに呼吸と下肢との連鎖を考慮した体幹の運動パターンを評価することで無理なく自身のcapasitiyを広げて脊柱の動きの自由度を高める方法をレクチャーしたいと思います。もともとは体幹は下肢、足からの床反力がいかに伝達されているかが重要なのです。体幹のためのbodyworkではなく、抗重力のなかでいかに体幹を連動させるかを考えなければいけません。臨床応用とは、機能障害のパターンを評価し、立つ、歩くというのはテクニカルな面に言及しなければいけないのです。bodyworkをしたら立つ歩くが楽になったということではなく、体幹と下肢をどのようにテクニカルに連動させるかなのです。スポーツパフォーマンスは、そのスポーツ動作を練習しなければ基本的には上達しないように、歩くこと立つことも技術なのです。繰り返し練習では、誰がやっても変わり映えのない結果しかだせません。繰り返し汗水ながすことが上達へのアプローチですが、患者レベルには強要できない場合が多々あります。コアーユニットやインナーを鍛えることがイコール治療と考えている節も垣間見れますが、理学療法士の提供するbodyworkはクライアントが患者であるという前提にたって相違工夫し、臨床結果を共有していく必要があるのです。日本ではテクニカルな面をインストラクターに習っている現状ですので、できれば臨床応用は師匠に相談するのも手ですが早く独自性と確立して発表できるようにしたいものですね。

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