ハラ

声の道場~腹の役割~

 日本はハラ文化といわれていますが、世間一般的に認知されているわけではありません。腹が据わるなどの言葉があるように、日本独自の精神文化を表す形容として腹は存在しているものと考えられます。昨今のボディーワークの隆盛は、バブル時代の物と消費文化の反省に立つかのようにココロにターゲットが向けられました。フィットネス的な視点からみると何のことはない運動ですが、自らの身体をコントロールするという意味においてイメージ早期能力が必要とされます。内面を見つめながらの身体運動は、精神疾患に対しても昔から取り入れられていることからも、健常者の枠に入っている人達にも情動的な安定やストレスマネージメントとして有効です。どことなくスッキリしない世の中ですから、国民全体が精神的に将来への不安などダメージを被っているように思います。しかしながらヨガやピラティスなどのボディーワークそしてアロマやハーブなどの癒し系など新たな文化が21世紀になってますます盛んになりました。セラピストであれば運動療法の延長線上にあるピラティスが入口として開かれました。フィットネスインストラクターがbodyworkに取り組んで10年、どうやらbodyworkも新たなstageに入りつつあるようです。それが肚・腹・ハラです。体幹という物理的な構造体としての認識から、ジャイロでいえばシードセンター、ヨガではチャクラ、カイロでは大場先生が提唱する身体呼吸などなど単に筋肉のstabilityという枠を超えた次元に突入しつつあります。概念的にチャクラとかということではなく実感としてさらなる何かを感じているようです。つまり体幹を鍛える腹筋を鍛えるという次元から、呼吸・循環・解剖学運動学・自律神経・エネルギー・情動なども含めた効果がハラにあると感じてきているようです。bodyworkを突き詰めるときっと、次のステップはこのような身体意識になるのかもしれません。どちらかというと方向性的にはヨガや禅の精神に近くなるのかもしれません。
 リハビリ関係はまだまだbodyworkのテクニカル的な側面の習得に追われています。コンセプトの理解はもちろん、エクササイズやキューイング、クライアントとの間合いや流れるようなフローなどなど、まだまだ習得しなければいけないスキルが山ほどあり、その先に何があるかは考える余裕もありません。
 世間も最初はハリウッドなどの影響でヨガやコア~エクササイズ、ブートキャンプなどに走りました。ピラティスもフィットネスでは既に下火だとのことです。筋力トレーニングに近い運動は長続きしないのかもしれません。本物のピラティスインストラクターのみが残って行く時代ですね。さてセラピストも含めてピラティスだけではbodyworkのキャリアは終わらないようです。ほとんどが他のbodyworkへの研修やスキルを習得しようと研鑽しています。すべては行き着くところは同じだと思いますが、その過程において各々カラーがあり強調している部分や、得意分野などがあるようで多くの知見を総合的にみていくことで一つの核心にいたるための旅に出かけます。一つを知ってこれだという確信や方向性を知ることは難しいといえます。
山村先生
2009年3月8日の朝日新聞に掲載された「声の道場」の紹介記事

 前置きが長くなりましたが、3月17日午前に阿佐ヶ谷の道場にて山村庸子先生が主催される「声の道場」の個人指導を受けてきました。実質30分という短い時間でしたが、いろいろなお話を聞かせていただき身近で声の出し方を見させていただくことでグループで受けた過去二回の道場とは比べ物にならないほどの効果を実感できました。まず基本の「息に声をのせる」実践です。息に声を乗せるという表現そのものもピンと来ないと思われますが、これこそが日本人の身体観、価値観、文化やidentityの継承につながる道なのです。脈々と受け継がれる祖先からの日本人としての文化を身体を通して継承できるのです。おそらく、この息に声を乗せるということが実践できるようになれば、日本のあらゆる文化や慣習に対しての敬意の払い方が180度違ってくるものと思われます。日本人としての原点回帰の時代に入りつつあると感じるここ最近ですが、まさに西洋文化を受け入れ模倣し生活も考え方も欧米にならってきた戦後の歪がでているかのようなご時世、どんなに物が充実しても便利になっても合理的な思考にて頭で理解することを優先し、感じること理屈に合わないことや合理的でないこと、自由という名の自分中心の価値形成などなど・・・おそらく私もそうですがいくら突きつめても一向にココロの寂寞感は消えません。むしろ益々不安と孤独感が高まってくるかのような世の中で、bodyworkも日本的な原点を見直させてくれようなものを求めていくのは自然な流れと考えられます。bodyworkが身体技法というならば、当然日本人としてのマインドとスピリッツ、文化を背景として脈々と受け継がれてきたものがあるはずです。学術的な理論的なナンバ歩きよりも、古武術の甲野先生に魅力を感じるのは私だけではないはずです。日本人らしさというのは、確かに国際的にははっきりと言わない主張しないというデメリットも指摘されていますが、基本は感情を表に出さない、オーバーアクションではなく口先だけで話すことができる発声技法だそうです。奥ゆかしさ、謙虚さなどが美徳とされる文化なのです。これは単におとなしいとか、引っ込み思案ということではありません。ともすればマイナス面が前面に押し出されてきたことも確かであり、そのため本当にいい部分も失われてきつつあるのです。サムライというとサムライJAPANとしてWBCで注目されていますが、やはり国際的に自分たちを表現する場合はサムライや撫子などの形容が用いられます。サムライ戦士として小笠原はガッツと呼ばれ日本人的な風貌と精神を感じます。大相撲も朝青竜よりも白鳳が横綱として武士道を継承しているように思われます。しかし人気という点では悪役である朝青竜のパフォーマンスが絶大であり、このあたりが商業イズムとしては難しいところです。スターはある程度派手なパフォーマンスが不可欠だからです。大相撲では勝者はガッツポーズがタブーです。敗者を思いやっての心です。感情を押し殺し、喜怒哀楽を精神でコントロールする…確かに大変なことです。一般的にはストレス病になりそうですが、これも息を込めるという腹の機能を高めることでコントロールすることができそうです。派手なパフォーマンスと世間にアピールする、目立ちたいという意識は自然なものですが、おそらく一時的には例えばオリンピックのメダリストになってとしても、その後の’TAO’その後の人生は目標を見失ってしまう可能性があります。道を求めるとという姿勢、求道するという姿勢がハラが備わっていると継続できるのではないかと思われます。

 明治生まれの祖母を思い返してみても、本当に強い芯を感じます。10歳を筆頭に三人の男の子を抱えて未亡人となり、女手一人で商売をして、焼け野原の大阪や神戸にまで売り物の靴を山ほどしょって売りさばいたようです。結果、あの戦時中に家族は何不自由なく生活し、財産まで気づいたというその不屈の精神は今思い返しても凄いことです。確か心ではいつも泣いていた・・・というようなことをポロっと聞いたことがあるように思いますが、普段はそんあことを億尾にも出さない、全く感じさせない気丈ぶりでした近所からは鬼ばばと呼ばれていたようです。今でも眼光鋭い表情が思い出されます。おしんではないですが、その我慢強さは半端ではありません。歯をくいしばってというのは、まさにこの不況の世の中にぴったりの言葉ですね。今でも、何といわず明治大正生まれの人は強いといわれていますが、これは心だけでなく身体も強いのです。あの時代の生活や栄養状態で現代よりも丈夫だというのは生活環境ではなく、日本ならではの精神性にも基づいた身体技法を有していたといいうことなのでしょう。それがハラ文化ということになります。
 武士道や大和撫子などを真の意味で理解するには身体で感じることが不可欠です。その方法の一つとして声の出し方、自らの本当の声を見つけるということで、もしかしたら光となって道筋が見えてくる可能性があります。
 さて具体的に習ったことは、まず強制呼気の後に自然に息が腹に入ってきますので、その入ってきた息を腹に溜めた状態をできるだけ維持しながら声を出していきます。肥田式強健術という技法がありますが、これもまさに腹呼吸で強制呼気による横隔膜の圧下にて腹(太陽神係叢)に刺激を与え、正中感覚を呼び起こすというものです。私はどうやら横隔膜が機能低下していたようで腹横筋は自由に働かせるようになっていたのですが、横隔膜は廃用していたようです。本日帰りにも呼吸の練習をしていたのですが、強制呼気にて横隔膜は圧下させることができます。つまり本来であれば吸気にて降下するのですが呼気にて収縮させることで、吸気でさらに強く収縮を促すことができ腹の容量を増大させることができます。これは強制呼気のあとに自然に空気が腹に入ってくるメカニズムと思われます。今でも横隔膜が活性化したせいか横隔膜の疲労感というか筋肉痛になりそうな感覚があります。日本のあらゆる技法は静のなかに表現があります。静のなかに動があるともいえるかもしれません。凛とした雰囲気のなかで所作が行われる美があるのです。WBCでも日本人は追い込まれないと力が出せません。本当に肚が座った精神状態になって初めて力がでます。ソフトの上野投手もしかり、日本人が努力と根性を好むのはハラ文化がかかわっているかもしれません。こう考えると功罪は確かにありそうですが、最後はオシムが提唱してように日本人仕様の、らしさを前面に出したサッカーを目指すということなのでしょう。スポーツに何故に日本文化や歴史が必要なのか、身体機能を高めスキルを上げ戦術理解を高めることではだめなのか?当時はオシムのいうことが今一つ理解できませんでしたが、なんとなくわかるような気がしてきます。体操の富田選手も日本人的ですね。究極の美を求めるその姿勢はまさに求道者です。ただ現代はスマートにカッコよくという風潮もあり、あまり受けない姿勢かもしれません。
  注目される国際試合で日本人とは?という原点回帰のきっかけを作ってくれています。日本らしい勝ち方スモールベースボールという表現が的確かどうかわかりませんが、緻密な守りの野球にて勝ってくれると本当に誇りに思いますし、なんだか安心します。ただハラが据わるまでに時間がかかるのと、必然性が高まらなければいけないので、不安やプレシャーに押しつぶされてしまうことも多々あるのも日本人です。感情表現しないことで内にこもり腰が引けてしまう・・・などなど横隔膜が止まってしまうような状態を打破する手段として時には内に秘め、時には闘志を前面に出し、時にはリラックスに努め気分転換も必要でしょう。
ハラ文化というのは日本人としてのルーツを確認できる、血が自然と求めるものであり、まさに原点回帰なのです。国や地域や会社、家族、ましてや宗教やカルト的な思考、一つのことに没頭することへの拒否感などなど、どこにも帰属できない帰る場所、拠り所がない孤独感のなかではモノや金は虚しく響いてきます。糸の切れた凧をつなぐためにも息の根っこをしっかりと大地に根付かせ、日本文化の継承意識が芽生えることで、自然と誇りと自信を取り戻すことにつながることになるでしょう。
 山村先生には今後も、姿勢や構え、動作などの視点からもお話していただく機会を設けたいと思います。
 
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