身体感覚

身体感覚へのアプローチ~リズム性のあるシークエンス~

 身体感覚やイメージに出あったのは、仙腸関節へのアプローチにこっていた10年ぐらい前でしょうか。私自身、認知運動療法研究会に発足当初から入会し、当時認知運動療法で代表的な存在であった大久保病院にも3年あまり非常勤で認知運動療法の最前線を学んできました。その効果を目の当たりにすることで、大きな転換期を迎えたことを覚えています。時は経ち、時代も脳科学の目覚ましい進歩により、身体感覚という言葉も別段珍しくもなくなってきました。
  脳には認知という側面とともに、認知されない知覚処理という営みがあります。脳科学や認知神経学は日進月歩であり、時代とともに刷新されてきます。各々の得意とする分野を認めながら、全ては人を形成しているという視点に立つ必要があります。新しい概念は既存のアンチテーゼとして登場してくる場合が多いため、最初は勢いがあります。つまり、今ままでの方法はこれが問題だ・・・これば足りない・・・そしてこのような概念は今まで言われていなかった・・・などという立場に立って登場してきます。まさにイケイケの状態ですから、周りもその勢いに圧倒されます。しかしながら時代とは踏襲されるべきものであり、ひとつの時代が長く永遠に続くことはありません。特にリハビリテーションの分野でも栄枯盛衰?の歴史が見てとれます。脳卒中のリハビリテーションはファシリテーションテクニックとしての代表されるPNFを糾弾するかのようにボバース法が隆盛してきました。現在でも指導的なセラピストはNDTと呼ばれているようで、ハンドリングをベースとしたその流は脈々と受け継がれています。しかしながら10年前に私が見たボバース法とは、現在は全く似て非なるものとなっています。環境適応という名のもとに生態心理学的アプローチが主流となっているようです。またレッグプレスのような筋力トレーニング、つまり体幹のトレーニングがコンセプトに導入されてもいます。生態心理学的アプローチは意識されない知覚処理に対してのアプローチともいえます。また動きの誘発としてアクティビティーによって能力を引き出そうというアプローチもみられます。しかしながら、これらの動作は学習されていくのかどうかはわかりません。我々、認識されない知覚処理をリハビリによって例え顕在化できたとしても、果たして機能障害の回復につながるかどうかは未知数です。おそらく研究者からみると、このようなアプローチは知見の飛躍ととられかねません。ピラティスにて体幹を主に鍛えることで、結果的にコアーが形成され無意識化での運動制御が円滑に遂行されていく事実をもってしても、コアーがいかに動作上での知覚処理に関わっているかを物語っているように感じます。結局は人に関わる全てのリハビリ機能訓練は、全てが正しくて、情報処理能力の一旦に関わっているということがいえます。一元化した見方で人を全て語ろうとするところに無理があるのです。知識や見解は所詮人が考えたことです。人間という機能システムを人が勝手に定義づけて決定されるべきものではありません。
 まもなくWカップ最終予選としてオーストラリア対日本が11日に行われます。最新のNumberに岡田監督の記事が載っていましたが、日本人は土壇場に追い込まれないと力を発揮しない・・というような内容があり、さらに情報を与えて戦術を叩き込んでも、想定外の状況では臨機応変が必要であり、その柔軟性を引き出すための誘導が必要であるというような手記がありました。それには大脳皮質に支配されるとなく、プレーは本能の部分で感じて動く必要があるということなのです。私も同感で情報を与えることで、脳が情報に支配されてしまいかえて身体が動かないということを帯同チームでも多々みてきました。情報を意識下に落とし込み、感性にまかせて身体を自由に動かす・・・それには必然性や大義名分、モチベーションなどが不可欠です。一種、ZONEやトランス状態に入ることが求められます。考えて動くのではなく、動くことで感じる・・・まさにbodyworkそのものです。bodyworkの効果はまさに動くことで感じる、その領域に至ることで初めて効果がでます。考えながら動くことも必要ですが、どこかで考えが追いつかないレベルで抽象的な感覚に落とし込みエクササイズするのです。実際の臨床で楽にすることはできても身体が爽快感で気持ちよくなるという領域にはなかなかいけません。bodyworkでいわゆる売れっ子のインストラクターは全て、この爽快感と気持ちよさを経験させてくれます。この感覚はなんだろうか?Bodyworkの効果とは何だろうか?実はその効果機序はブラックボックスなのです。
 リハビリではリスク管理が第一ですし、機能障害を評価して最適なアプローチを選択していくということを考えなければいけないので、どうしても断片的なアプローチになりがちです。カイロや整体の先生方をみていると、この全く逆パターンの思考を感じます。考えるよりも身体が動いているというレベルは、熟練とともにではなくそのつもりで動かないと一向に身に付かないのです。まさに私自身も古いPTですので、この感性に移行するために意識的にパラダイムシフトさせた記憶があります。リズム性のあるシークエンス(連続性)、これこそが最も大事なキーワードになります。最近肩関節周囲炎のクライアントにbodyworkのコンセプトモードを取り入れることで、リハビリが終わった後で「とても気持ちいいです」という感想をもらいました。これは私にとっては大きな一歩です。「楽になりました」というのは日常的に良く聞かれることだと思いますがが、機能的にもよくなり尚且つ爽快感を伴った感覚を提供できたということは、ようやくbodyworkコンセプトをリハビリにコラボできたかなということです。患者さんは「この運動を自分でやればいいんですね」と目を輝かせていました。フィットネスでレッスンが終わったあとの爽快感を伴ったリハビリアプローチが提供できれば、宿題としておそらくやらない嫌な自主トレを指導しなくても、自らがやりたいという感覚を覚えるのです。ホームエクササイズはともすれば、運動の羅列で順番に何回やりましょう・・というものが大半です。またしっかりやらないと良くなりませんよ~というようなnegativeなモードでの指導は結局は長続きしません。リズムと呼吸と連続性、そしてコアーと連鎖などがアプローチに入っていることが大事です。またセラピストのCueのタイミングと流れるような指導です。
 このモードでクライアントをみれるセラピストは、経験年数に関係なく治せるPTとなっています。つまり、なんだかわからないけど触ると良くなっているというタイプのセラピストです。このような感性派のPTは、理論派のPTよりも説明はできないけれど治療成績はいいのです。しかしながら医療ですので理論派がどうしても優位になります。感性派が理論を身につけてかえって手が動かなくなる可能性もありますし、さらに適応を見定めてアプローチすることができるようになることもあります。理論派が感性派になることはどうやら難しいようです。説明や背景がわからないと納得できないためです。しかし現代は特に日本人は理論派が多くなっています。恵まれた環境と裕福になってくると、頭でもの事を計算しだします。科学万能ですので、説明されて頭で納得して動くようになります。日本のサッカーやスポーツが往々にして国際大会でもろさを露呈するのは、このような思考メカニズムがあるからです。果たしてオーストラリアに対してオートマティカルに動けるかどうか・・・達観する冷静さとZONEに入った感性・・・そのバランスです。まず高さに圧倒されたり、視覚が奪われてしまうともうダメです。視点が変わってしまうだけで重心が変わりプレーが変わります。見たものに流される悪い癖が人間にはありますので、いかに自分らしさと目線でやれるかがカギになります。
 セラピストもオートマティカルなモードを身につければ、新たな価値観を創造できることでしょう。しかし、気をつけなければいけないのはなまじっか腕が上がると勘違いしてしまうということです。また変化させられるということは反応が出せるということであって、臨床とは別問題であることが多々あります。反応を出せるだけではただのマジックです。私は居酒屋テクニックと呼んでいますけどね。能動性を引き出すことこそが臨床であり、理学療法の真髄であることを忘れないようにしなければいけません。
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