臨床の巧みさ~ワンポイント~

セラピーの間を考える

若いセラピストが熟達したセラピストへ変身?していく過程において必ずある変化がみられます。つまりそれが、間です。間とは、つまり反応を待てるということです。若いセラピストにおいては、どうしても肩に力が入りがちです。よって、探索的な触り方になってしまい変化をおこそうとする心理が働いてしまいます。よく、今日は調子がいいな~と思う時があると思いますが、それは肩の力がぬけてリズムとテンポのよいオートマティカルが動きができているときです。 なんとなくピンとくることがあると思いますが、止まっているときこそが極意なのです。ただし、物理的には止まっているのですが、内在的には情報を読み取るために高速で回転しているということをお忘れなく。



セミナーの場を考える

みなさん、このHPを見ていらっしゃる方は既に多くの勉強会や講習会に参加されているものと思われます。その時に各団体や研究会を取り巻いている、いわゆる独特の雰囲気を感じることができると思います。色に例えるとそれぞれが個性的な彩りをしていますよね。テレビである特集をしていましたが、セミナーなどの場では、参加者の脳波が同調してくるそうです。一体感のあるセミナーもしくはカリスマ性があればあるほど、その同調性と高揚感は高まるものと察せられます。そして、講習会の翌日には実に習ったことが効果的に作用するものです。もちろん適切なアプローチがあってこその効果ですが、同じことをやっても調子の悪い時は今ひとつ反応がみられないことを考え合わせると、実はその方法論そのものだけではなく何らかのプラスアルファが働いて治療効果となっているのです。それが、先ほど述べた同調性が関わってくるのです。しかしながらセミナー後2~3日すると効果が芳しくなくなってきます。つまり、それが迷いと疑念です。心理的な何かが身体に大きく関わってくることの表れでもあり、それは第三者に対しても伝播していくということなのです。どのような機序で想いが自らの身体を通して第三者に影響を及ぼすかは詳しくはわかりませんが、いずれ精神力動学のような学問により治療効果の本当の意味が明らかになる日はそう遠くないと思われます。



アウェーで力を発揮する

こんな経験をしたことはありませんか?違う職場や環境でセラピーをしなければいけない状況になり、普段の力が全くだせないということはありませんか?私自身サッカーなどでホームとアウェーで力の出方が違うということを耳にするたびに、それはサポーターやピッチの慣れ親しみなどが関係しているにしては、影響が大きすぎると感じていました。しかしながら、実際に自らもアウェーのような環境にたつと多かれ少なかれ同じようなことを経験します。スポーツ現場、初めての研究会や病院での臨床や実技・・高名な先生の手前やプロ選手、権威のある患者さまの前・・などなど・・です。つまり、経験したことのなりシチュエーションに立った場合、自分がどんなに経験年数があっても全くの素人のような錯覚に陥ります。自らの持論が全く通じないと感じることもあります。井の中の蛙とよく言いますが、我々もアウェーで実力が発揮できて初めて真の専門家といえます。是非、みなさんも新たな船出に乗り出しましょう(なんのこっちゃ)。



沖縄ちゅら島の魅力~日本の理学療法の現状を知るには沖縄に行け~

臨床の巧みさといいながら、臨床日記コーナーとさして変わらない内容になってきていますが、まーいいでしょう。
さて、本日のお題は沖縄と東京というキーワードです。私は運動連鎖アプローチ研究会を初めようと思ったきっかけは沖縄で運動連鎖というテーマで話をしたことにあります。
そこで驚いたのは、沖縄に理学療法の情報が溢れているということです。最新の理学療法状況を知りたければ沖縄に行け~と思うぐらいです。どうやら沖縄には全国の情報がフィルターにかけられて、洗練された情報となって入ってくるようです。それは、ずばり沖縄に講師を全国から呼ぶことにあります。そして、間違いなく講師は沖縄が好きです。
 また、沖リハの学生は全国に実習に行って帰ってきます。また一県にながらく養成校が一つしかなかったという事実も沖縄県士会イコール同窓会という構図もコミュニケーションを促しています。そして、何より情報を探し求める姿勢がすばらしい!沖縄のセラピストは何故か「情報に遅れている」とハングリーに切実に思っています。東京にいて少なくとも情報が少ないとは思いませんよね。しかしながら東京は情報の発信としては長けていますが、情報量に満足して空中には飛び交っているのですが貪欲に求めて掴み取ろうとする姿勢にかけています。「求め探し掴み取る者と眺めている者」この差は大きいです。また東京は発信の中心ではありますが、地方からの情報がほとんど入ってきません。地方の理学療法の現状も東京の価値観と同じと思っているものと察せられます。同心円状に情報ネットワークが形成されているので、東京都心は本当に六本木ヒルズからの情報が最も最新の情報だと思ってしまうのです。
ハングリーこれこそが古今東西共通して成長できるキーワードです。



運動療法と徒手療法どっちが有効?

運動療法は外来の患者様の多様な症状を前にしては、無力に思えるのも最初は仕方がないことかもしれません。現に筋力を鍛えることでよくするというのは、痛みが強い患者においては無理があるからです。PNF・インナーマッスル・stabilityなど、治療的な要素の入った運動もちらほらとは出てはいるものの多様な患者の極一部に適応がるにすぎません。私も若かりしときにはそのようなジレンマからあらゆる徒手療法を研鑽してみました。その結果、くしくも運動療法のすばらしさを再確認することになったのです。どういことかというと、徒手療法ではよくならないタイプの患者がでてきたのです。
そのような患者においては、本当にオーソドックスな運動療法をするだけで良くなるのです。その時に、お膳立てとしては徒手療法が有効だが、どこかで運動療法に移行するタイミングというか条件はなんなのか?もしくは、運動療法だけで十分であるという判断材料はないものなのか?という問題に直面しました。その他動と自動の間を埋めるための効果指標として運動連鎖評価を考案した次第です。そうこうしているうちに、より治療的な運動療法はないものか?自主トレーニングで痛みがとれたり
セラピスト効果の60%ぐらいの効果をみいだせる運動療法がないものかと思案しだしました。そのツールとして考えたのが、治療的ボールエクササイズであるユーユーボールエクササイズです。特に腰部に関しては脊柱の動きとアライメントおよびサポートする筋肉の協調性が三位一体になって初めて機能的な腰部となります。つまり腰部の機能回復においては徒手療法だけでは不十分で、むしろ座位でのボールエクササイズが最も効果が早いという事実を見るにいたりました。特に治療的ボールエクササイズは介護予防事業にも取り入れ、お年寄りの転倒予防などにも応用しつつあります。
モチベーションのあがる運動療法という点ではボールという何か対象となるツールは有効かもしれません。




腸腰筋iliopsoasと腰痛の関係は?

一時期大変話題になった大腰筋。おそらくリハビリ現場でも何度も患者さまに聞かれたことでしょう。腰痛の原因の代名詞ともいうべき腸腰筋が、今や腰痛のみならず転倒予防、スポーツパフォーマンス、スタイルなど万能ともいうべき存在にまで上り詰めました。理学療法の分野でもいくつかの研究がされており、姿勢バランスの向上といった観点からの効果が証明されています。しかしながら、腰痛予防の代名詞である腸腰筋のストレッチはいったいなんだったのでしょうか?我々はただお茶を濁しながら微笑むしかありません。腰椎の過剰な前彎を改善するために腸腰筋を伸張すると良い・・確かにそれらしい理論。現に楽になることは多々あります。しかしながら、よーく臨床で観察してみると鶏と卵の関係があることに気づきます。むしろ腰痛になると腸腰筋が緊張するというのが正解のようです。腸腰筋のストレッチは二次的な反応に対してアプローチしているといえますし、ましてや腰椎に起始を持つ腸腰筋はストレッチ時の固定が難しいため本当に腸腰筋が伸張されているか怪しいものです。大腿直筋などが伸ばされることで、筋連結的に腸腰筋も緩むと考えたほうがいいかもしれません。もしくは大腿前面の筋群を伸ばすことも骨盤帯の固定に関わっておりストレッチすることで腰の負担を軽減させているのかもしれません。腸腰筋のスパズムが特に顕著に現れるのが、腰椎分離すべり症です。その結果股関節痛で歩けなくなるほどの症状がでてくる場合があります。もちろん股関節に器質的な問題はありません。つまり、腰に問題が生じると腸腰筋がスパズムを起こして固定化させるのです。どうやら股関節の応力にまで影響を及ぼすほどの作用があるといえそうです。つまり腸腰筋の腰痛における作用は生理的なものと考えられ、動かないようにして腰への負担を減らしているといえます。
 この時、有効な手段としては股関節の伸展を伴ったストレッチではなく、股関節の牽引です。一度試してみてください。あとは拇趾の軽い牽引も有効です。事あるごとに拇趾の重要性がいわれていますが、機能的に腸腰筋との関連性が深いものと察せられます。



徒手療法と運動療法Ⅱ

 運動療法主体でやっているときは徒手療法の必要性を感じなかったり、徒手療法をメインでやっているときは運動療法にまで手がまわらなかったりするのは何故でしょう?実は、私も現在の職場である永生病院に7年前に異動してきた時は膝の疾患を徒手にていわゆる調整的なアプローチをすることに面くらいました。スポーツ選手をメインでみていた10数年前も研修先のスポーツリハビリ施設がテーピングと足底板以外はほとんどが自主トレだったので、脊柱関係であっても徒手療法を使おうというモードになりにくかった記憶があります。つまり、膝のACLでもOAでもROMで手をかけることはほとんどありませんでしたし、低周波をVMにかけての筋力トレーニングがメインプログラムだったのです。まさに腰痛も腹筋背筋運動をやればよくなる!という感じでした。ところがところ変われば品変わるといいますが、病院を変わると治療のツールがまったく違ってきます。カラーが違うということでしょうか、膝をなんでみんな触っているんだ?最初は膝を触ることでは間が持ちませんでした。しかしながら、郷に入らば郷に従えといいますが、「何かそこに真理があるはずだ」と肯定的な姿勢にて受け止めてみると、なるほど見えなかった部分が見えるようになってくるものです。逆に、今までの持っていてツールとうまくミックスさせることができれば、新たな幅が広がります。私がPTになった16年前は誰から言われるわけでもなくこのようなことが言い伝えれれていました。「3年したらその職場で学べることは無くなる」よって「3年したら新しい職場に変わって新しいことを学べるといいね」ということが言われていました。なるほど、確かに上記のような事例を考えると、諺のようなその言葉の意味が今更ながらによくわかります。臨床でどうしても残ってくる患者層ってありますよね。つまり、現在の治療ツールでは良くならないタイプの患者層ということになります。このような状況になったときに、当たらし環境を見てみたり講習会に出てみたりということが必要なんでしょうね。是非、食わず嫌いではなくて、食卓に並べてみて吟味してみるというスタンスが必要と思われます。



研究と臨床の両立について・・


臨床と研究・・先ほどの「徒手療法と運動療法」と同様で、お互い相容れない?わけではないんでしょうが常に対比的に揶揄されることが多いように思います。「臨床に即した研究」臨床家は最近の学会をみて益々溝の深まる思いを募らせます。かたや、研究機関にいる方は臨床家にどんどん現場の声を伝えてほしいと思っていることでしょうし、時間を理由に研究もしないで・・ということも言えると思います。現状は、大学院などの教育機関が増え、養成校も増大していることで教員の数が飛躍的に増えているので仕方ないことだと思います。このような現状のなかで臨床家はますます学会や研究離れをすることもあるでしょう。セミナーなども然りです。データや文献をまとめる時間のある教員の方が臨床家の我々に情報を与えてくれるという構図が益々加速しています。確かに、お互い立場や時間的な制約があるなかでは、役割分担をしていくことも仕方ないことだと思います。しかしながら臨床家が研究機関や教員にフィードバックしていく機会をさらに増やしていく必要もありますよね。いずれにせよ、自らの考えを表現する場でモノを言わないと何も変わらないということもありますので、積極的に表現する場を設けていくことも必要でしょう。「自分なんかが」と思わないことです。「データももっていないし」と卑下する必要もありません。「何か文献はありますか」自らが感じたことや臨床で発見したことは、まだほとんどが明確な答えを文献にもとめることは不可能なのです。自らが既に発見者なのだという気概を持ちましょう。私も臨床家という立場にて、あらゆるテーマを積極的に感性にて提供していこうと思っています。



治りにくい患者の機能的特長~力学的要因~

もともと、微妙なバランスで成り立っていた身体バランスが怪我によって持っていた身体的弱点?が顕在化してしまったという患者さまがいます。ようは力学的な要因による比重が大きい患者さまであることです。よくある機能改善が遷延化してしまうタイプです。こういうタイプの症例は筋機能などのアプローチはほとんど有効な手段となってきません。なぜなら本来、こういうタイプの症例は筋の量的な増加が最大の解決策になるのですが、常時アライメント異常による関節へのストレスが続くため機能回復が追いつかないからです。力学的な問題を凌駕するほどの筋力が必要といくことです。
 しかしながら、ADLは日々続きますので、ますます関節にはオーバーロードがかかり、関節の靭帯などのelongationなどが進行すると不安定性はますます増大し骨性の支持にますます頼らざるをえなくなります。 ここまでは、とても治らない理由を挙げているようで申し訳ないのですが、解決策は力学的な補強を加えることに限ります。以下に下肢障害を例に挙げます。
 まず第一選択としてやることは、足底板や膝の装具で日々のストレスを軽減します。
次に、膝の関節と踵骨の内外反を平行になるようにアライメント補正をしていきます。これはオープンの状態で足部とくに後足部と膝の軸にねじれが無いように調整していきます。調整の仕方は様々ですが、以外にも徒手やテーピングよりも認知運動療法のような足底への感覚入力が有効です。足底の内側・外側、前足部・後足部、足趾などを意識しながら刺激できる課題を与えます。
7月に開催する「運動連鎖からみた理学療法的リフレクソロジー」というテーマは足部の調整に有効な方法論を展開する予定ですので、機会がありましたらご参加ください。




ニュータイプに気をつけろ!


私は最近の若者の身体的特徴を称してニュータイプと呼んでいます。
中高年にはみられない、若者特有の独特の新しい文化の中で育った身体です。
ズボンをずらして脚を短くみせて、猫背で薄っぺらい胸郭をしているという特徴があります。
はっきりいうと、現代の若者ほど腰痛などの症状が出現して難しいケースはありません。
なぜなら、生まれてこの方一度も良い姿勢をとったことがない、つまり成長期に
異常な姿勢をしてきたため、構造的に適応してしまっています。
機能的にいうと、一度も正常な脊柱の彎曲ができたことがないということでう。
骨盤は後傾し腸骨がさらに仙骨に対して後傾することで完全に骨盤は可動性のない固体となってしまいます。20歳そこそこでも、便秘などのおおよそ信じられない症状がでてきます。
対策としては、まず開脚のストレッチがある程度できるようにならないと、次のステップには一切すすめません。それも膝や爪先が極端に内外旋位にならないように開脚する必要があります。
まずは手を後ろについてもいいですから腰椎を前彎させる位置にて行い、そのまま徐々に前方に体幹を倒していきます。結局はハムストもかなりタイトだと思いますので、開脚でせめて体幹を前傾させるのは至難の技だと思いますが・・・



10代はボディーイメージが低い?

中高生の学生をリハビリでみていると、身体意識、ボディーイメージの低さを感じることがあります。例えば身体の傾きなどはほとんど気づいていないですね。もちろん成人でも同様のことがありますのでこれだけではなんともいえませんが、施術後に明らかな変化がおきていても認識できない。単関節の可動域制限があっても自覚できていない・・などまだまだ多数でてきます。
一ついえることは、怪我などがものすごく早く治りやすいことは確かで、筋肉の柔軟性および連鎖性には眼を見張るものがあります。反面、単関節の少々の制限などは隣接関節にていくらでも代償がきくという利点?があります。つまり身体の代償機能が長けているがゆえに身体の異常に気づきにくいということが挙げられます。25才にも近くなるとどうやらそうもいってられなくなるようです。大半は24・25才を境に体力の低下を感じメンテナンスの必要性を自覚します。関節や筋肉も硬くなってくる時期でもあり、そのときに初めて蓄積したものが出てくるようです。そういった意味においても、若い十代の選手などについては、より将来も考えた身体機能の構築を考慮していく必要がありそうですね。



今の50代、現在の20~30代

おばちゃんパワーが凄いことは周知のとおりですが、中高年の患者さまと話をしていて本当に凄いなとおもうことがあります。「50まではなんともなかったけど、50を超えたらあっちこっちでてきた。無理ができなくなってきた。」しかしながら、私自身も37歳になりますが、30も超える前から既に体力の低下および無理ができなくなっています。徹夜は働き出したらもうできない。酒が弱くなってきた・・50代のヒトが昔の20代のときなどは無尽蔵のパワーにてバリバリしていた時期です。高度成長期にて夢と希望が満ち溢れていたこともあるでしょうか、プロ野球などでも二日酔いで投げて勝ったなどの逸話は枚挙にいとわないですよね。やはり歩かなくなったからでしょかね~それとも飽食の時代にかえって不規則な生活をしているせいなのか?ストレスおよび環境ホルモンで犯されているのか?若いセラピスト諸君は中高年の方に負けないように精進しましょう。



心と身体・・・心理面への配慮

心理面と身体の変化というのはかなりの確立でリンクしています。
普段の臨床ではいわゆる、患者さんとの駆け引きが大切です。
昔の日本の整体師はこの駆け引きに長けていたのです。
心理面にスポットが当てられるということは、反面ヒトの奥深さに気づいてきたということでもあるのです。生命とは何か・・・哲学になってきますね。
なんでも、ヒトとしての可能性を探るということはとても大切ではありますが、あまり心理面につっこんでしまうと反面疑問や悩みも大きくなってしまいます。
まずは理学療法としてのエビデンス的な発想を推し進めていくことが大切ではないかと思います。
ましてや心理面などに言及した講習会も少ないので、どうしてもフィジカル中心にはなってしまいますね。よいですか~フィジカルな側面を中心にみていくことが我々セラピストにとっては最もやりがいと幸せと専門性を与えてくれる道なのです。でも気づいていしまったヒトは仕方がありません。それも運命です。心のヒダを微妙に刺激しながら、患者の心理を誘導していくようにしてみましょう。だんだん肩の力が抜けてきますよ~




講習会ではこれで良くなると思い込まされるのは何故か?

講習会では、ある独特の雰囲気ができます。そのまま普段の臨床に持ち込めれば、何の迷いも無くルーチン通りで効果は挙がります。いや挙がっている側面しか見えないというのが正直なところです。いざ自分のホームに帰ってくるとなかなか教わったようにはいかないものです。
それは、何故か・・・・普遍的に何でも効果のあることは試そう~というもっとも臨床家としてはあるべきスタンスと思われているこの姿勢が、カッコたる臨床場を作れきれな要因となってしまうのです。この臨床場が作れる、イコール、カリスマということなのです。カリスマは何故かヒトを誘う力があります。つまり患者もそれに引き込まれるのです。ところが・・・このような情報化社会・・そして患者主体と接遇が重んじられる社会・・・患者の意識も昔とは随分違ってきました。カリスマは時々においては心の高揚のためには必要なのですが、毎日はいらないのです。もし、カリスマが長期政権を築けるとしたら、それはものすごい数の取り巻きが演出し続けなければいけません。
話が脱線してしまいましたが、信じるものは救われるというのは一理はあるということですね。












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