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日本人の身体

「声の道場」日本人の身体技法を発声から紐とく

 11月15日午前10時から東中野にあります、梅若能楽学院会館というところに行ってきました。その名の通り日本の伝統芸能を教えている教室であり、今回、カイロプラクティックの大場先生からのお誘いがあり『声の道場』という勉強会に参加してきました。講師は観世流能楽師の山村庸子先生です。山村先生は日本人が本来有している声を失っているという危機感を覚えていらっしゃいます。
 日常でも説得力のある話し方ができる人、うるさいわけではなく、声が良く通って心に響くしゃべり方ができて、存在感がある人がいますよね。その理由の一端が垣間見れたように思いました。まさに日本人のための身体操作である和のボディーワークに、とうとう満を持して踏み出したわけです。body workそのものにまだ取り組み出したばかりで、ピラティスなどの西洋のボディーワークも極めたわけでもありませんが、最後に行き着くところは、日本人のための精神と身体を反映したコンセプトです。 
 スポーツ現場に出だしたときも理学療法士とは何か?と自問自答していたと同様、運動連鎖にとりくむなかで民族的な身体特性というところに行きついてきました。西洋のbody workに触れるようになったこのタイミングで、和の身体と精神に触れる機会を得たというのは、まさに必然的な流れと思われます。
 本日のテーマは心に響く声を!心に伝わる言葉を!能の声・謡の発生を基本に和のボイストレーニングを目的とする「声の道場」です。
 まず能ですが西洋のクラシックバレーと対比させると、バレーは高く飛ぶという縦形の動きであり、能は着地の安定そして並行に移動するという横の動きが基本となっています。身体をみても明らかに体型や動きが違います。つまり、和のbodyworkといえる能はどっしりと地に足をつけた安定性、洋のbodyworkであるバレーはのびやかに空中に舞う優雅な軽やかさということになります。最近、日本人のバレリーナが海外でプリマになって活躍しているニュースをみるにつけ、身体的要素も歴史もあるヨーロッパ文化の象徴であるバレーで、どうして日本人が活躍できるのかが不思議でした。おそらくこの着地の安定性と並行に移動するという要素がバレーに見事にはまったのではないかと思われます。どんなに日本人が活躍していても心理的な西洋コンプレックスを拭いきれないのは、日本人の悲しい性ですが・・・
 このbody workと声がどう関係するかというと、結局のところ行きつくのは姿勢でありテクニックなのです。日本の言葉は指一本分ぐらい口を開いていれば発音することができます。ところが英語やフランス語や中国語も韓国語も顎が上下に縦に大きく動きます。韓流ドラマなどをみていても口の動きが違いますもんね。つまり口唇を横に引いたような横軸の動きによる発声なのです。日本語というのはその発声においても欧米とは明らかに身体操作が違い、メカニズムにも相違があるのです。
まず今回の勉強会でやったことは以下のとおりです。
①自分の声をみつける
②息に声をのせる
③自分の息の根をつかまえる
 「息で声を届ける、息で声を心を届ける」ためには身体を共鳴体とすることが必要です。日本語は先ほど述べたように顎を縦に動かさない動きがメインとなるため、顎は引き気味になります。その頭位が胴体の上にしっかりとのっていなければ共鳴しません。たとえば良く見られるhead forwordでは声を息に乗せることができません。声帯ばかりを使い過ぎることにより声にハリがなく、喉を痛めてしまうことにつながってしまいます。また人によっては身体を前後に揺らしながら喋る人もいます。これも呼吸を使うために身体を動かしているのですが、響く声をだすことはできません。
 一般的なボイストレーニングである声楽は顎が挙がります。しかし能などの動きをイメージしてもらうとわかりますが、顎は引かれていることが特徴です。つまり声楽が外に向かっているのに対して、和の発声は頭の中に、そして身体全体を共鳴させるのです。わかりますか?body work系のインストラクターのひきつけられるあの声やトーンは、トレーニングや身体の使い方つまり呼吸と声の連動によってのみ成せる技なのです。PTは知識と技術で長けていたとしても、あの声を身につけなければ真の意味でのbody workerにはなれないし、本当にクライアントを心地よくひきつけるパフォーマンスを提供することはできないでしょう。
 まず姿勢です。正坐をしていて安定するその姿勢で立位や座位をとるのが基本です。肩の位置はいかがでしょう?よく肩こり体操で両肩をすぼめて脱力するという運動がありますが、その時に肩が下がった人は普段本来の肩のラインよりも上がっているということになります。また上がった人は普段下がっているということになりますが、大半は前者のほうが多いかと思われます。そして立位でつま先に体重をかけて安定する位置をみつけ、緩やかな呼気から強制呼気ににて横隔膜に刺激を与え、その刹那に腰椎下部から地面に対して吸いつくようなlanding感覚を引き出します。この体幹の角度や感覚を一切変えないで、座位や正坐そしてその逆の片ひざ立ちから立位に移行していきます。これらの身体所作が、日本人の本来もっている心や身体の機能を呼び起こしてくれるのです。また刹那という表現を使いましたが、日本人の身体技能には常に生と死の狭間という精神が宿っています。もともと能の発祥は600年も前だそうです。600年前といえば戦国時代であり、そのなかで培われてきたサムライ独自の身体技法なのです(能の学ぶ身体技法、ベースボールマガジン社より引用)。呼吸も、サムライにとっては、まさに生と死を分ける狭間のなかで発展していったのでしょう。
 和の呼吸や発声の特徴は「無息の呼吸」、「息を詰める」という技術があります。吐いて吸って息を詰める(息を止めるというよりは溜めるイメージ)。その状態をいかに持続して所作ができるか、発声を続けられるか?これが和の技法ということになります。この息の詰めた状態で一気に書を記す、剣を迸らせるという所作になります。整体においても呼吸の間隙をとらえる・・という技術があります。まさに日本の伝統的な徒手療法である整体などは、能にみられるような身体技法が色濃く反映しているのです。
 「息に声をのせる」という技術があります。これは吐きながら除々に声をのせていくという方法です。自分の声をみつけるということにつながるのですが、自分の声をみつけると長く疲れないで声を出し続けることができるようです。男性はこの練習をすると声のトーンが低すぎることが多いとのことで、やや高めのトーンにしたほうがいいようです。
 「息の根をみつける」は声帯からどの高さかまで根っこを伸ばして声をだすかということです。それによって同じ発生量で空間の広さや距離に関係なく届く声をだすことができるのです。実際に山村先生の発声を聞いて、本当に身体が響くというか揺り動かされるような衝撃をうけ、感動的でもあります。今は大人も含めて心を乗せた発声ができなくなっているため、子供は言うことをきかなくなっているとのことです。暴力や威嚇がタブーとされるこの世の中で、どうやったら子供に響かせられるか!!が大きなテーマでしょう。理屈を並べても、頼りなくやさしく「やめなさい」といっても舐められるのが関の山です。
 ここまで長く書いてしまったのは、早くこの感覚をまとめて文章にしたいという思いからです。和のbody workとは日本人としての誇りとidentityを取り戻し、日本人本来のコアーを形成することによって心身一如を体現し、どのような時代においてもブレナイ強い思いにて世界の荒波のなかでリーダーシップをとっていく力を養っていくことなのでしょう。日本がアジアで唯一といっていい植民地支配を逃れてきたのも、単に島国であったということだけではなく、日本的心身技法である丹力、武士道があったからこそなのです。
 サッカーの講評をみても必ずと言っていいほど、民族としての歴史や特性を理解しなければいけないという表現がでてきます。スポーツというと筋力やスキルや技術や戦術などがまず大事で、日本人らしさとか歴史や文化はそれほど関係ないだろうと感じていたので、今までその経緯が不思議だったのですが、ここにきてようやくその意味がわかってきました。何故に今年の野球の日本シリーズは面白かったのか?それは巨人対西武というマッチメークだからということだけではなく、息を詰める瞬間が全試合を通じてみられ、見る者もまさに手に汗握る息が詰まる時間をともに過ごしたからなのです。そしてその息使いや気持ちは、見る者に共鳴し伝わってきます。日本人がマラソンが好きなのは、おそらく日本人の精神性にフィットするからなのでしょう。テレビ画面に2時間あまり、それほど大きな展開も駆け引きもない、ほとんど同じ画面をじっと見ていられるのは日本人ぐらいのものだと思われます。つまりは走るランナーの息遣いに共鳴しているのです。
 野球のWBCやオリンピックのソフトボールなどの金メダルは絶体絶命のなかから這い上がって、まさに神がかり的な力によって乗り切ったその生き様こそが日本人の真髄なのです。相当辛いというか大変なことですが(笑)、まさに生と死の狭間のなかでこそ日本人としての精神が発揮されるのです。よって修行や根性といった流れが脈々と受け継がれているのはそのためなんでしょう。しかしながら、一時期そのような根性主義では圧倒的なパワーとスピードに到底かなわない時代がありました。いわゆる黒人パワーに圧倒された、空につきぬけるような躍動感とスピードです。このとき筋力トレーニングがさかんに唱えられ、スポーツには必ず必須となって定着しました。また若い世代の育った環境の中では、日本人らしい生活様式を経験していないため、真の根性論の意味が理解されず、結果、硬さや過度なプレッシャーとなって追い込んでしまうといった弊害ばかりがクローズアップされるようになりました。そこで楽しくとかリラックスしてという。がんばることとは反対の肩の力を抜くことを覚えてのです。しかし、これも日本人の身体技法がしかりと継承れていれば、おかしな方向にはいかなかったのではないかと思われます。
 しかし、今ではどうでしょう。ようやくスポーツ理論の発展とともに練習環境や方法がいきわたり、日本人もまだまだ体力的には差があるものの勝負できる種目が多くなってきました。そこには日本人らしさ、欧米化するだけでは勝てないことに気がつきます。身体技法においても古武道などの身体技法が、そして精神的にも最後は勝ちたいという気持ちだ!!などと精神論が当たり前のように出てくるようになりました。サムライ魂、ヤマト魂、などの言葉が根性になりかわって定着し、WBCのチームはサムライJAPANですからね!そういえばサッカー女子も、なでしこJAPANですよね。スポーツの世界でも日本の精神性の象徴である言葉が用いられるようになりました。サッカーもきっと真の意味で日本らしさを取り戻したときに世界の8強に入れるような強さを身につけることができるんでしょうね。
 最後に私自身の肉筆は本当に下手で、ゆっくり書けばなんとか見れるぐらいですが、早く書くと字がバラバラになります。しかしながら、本日、YA~MA body work stugioの不動産契約で書面に向かった時に、和の呼吸に乗せて字を書いたら上手に書けたように思います。字を書くのが楽しいと、久し振りに思ってしまいました。平仮名や漢字は和の身体技法で書くようにできているんですね。
 近いうちに山村先生をお呼びして和のbodyworkをしてもらいましょう!!しかし皆様もようやくピラティスやヨガ、ジャイロ、フランクリン、ロルフィングに踏み出したばかりですので、もう少しあとにしましょうか。6月の運動連鎖アプローチ研究会にお呼びしようかと思っています。声の道場は11月と2月の各月第二・第四土曜日の二回のコースです。ぜひ興味ある方は参加してみてください。
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