臨床推論

臨床推論

臨床において推論していく理学療法思考過程をどのように勉強していくか?とても難しい問題です。何故なら最初からテーマが決まっていて、ここの治療院はAという治療方法を提供するところですよと定義づけられているならば、あとは施術に集中できます。よって結果的に迷いがないということにおいて、施術のポジショニングやテクニックが存分に発揮され、また評価や施術方法への迷いがない分手際が良く説得力があります。また施術する時間がある程度長くとれるため40分なりの時間のうち大半を思考過程に費やすよりもやってもらって感も増大します。つまりマッサージをうけたとしたら
最初から揉んでもらいますよね。最初の20分ぐらいをあれこれ評価されて吟味されるよりも、すぐにマッサージしてほしいと思うものです。つまり臨床思考過程は思考しすぎると時間が無くなってしまうのです。しかしながら、理学療法士はプロトタイプの治療を嫌います。全ての患者に同じような治療をルーチンで提供するのは一般的に推奨しない傾向があります。理学療法の持ち味は評価して分析してアプローチです。断片的に分かれて考えながら実施していきます。あらゆる可能性を念頭におきながら評価する・・・評価しながらまたその原因を考える・・・原因を推論する・・・そこで大半のエネルギーを費やすので十分にやったという錯覚に陥ります。しかしながら、本当は評価分析がもし完璧にできたとして50%、治療方法つまりHowtoがまた50%なのです。臨床推論は評価のためにだけあるのではなく、どのような治療方法を選択するかということ、そしてその結果どのような反応が得られたか、さらに今後どのような展開をしていくか、ということを含めて一瞬のうちに判断しなければいけません。私も若い時は毎週のように勉強会にでていたことがあり、毎週新しい治療概念と方法を学んでいると蓄積されないうちに次にいくので、結果的に臨床ではなにをやっていいかわからなくなってしまい、フリーズするという経験をしました。知識をあてはめようとしていたとが結果的にフリーズさせた原因だと思われます。臨床推論というか思考過程のなかでは、あまり手札が多すぎるとかえって迷いを生じ成績が落ちてしまうことが多々あります。新人のころに大して知識も技術もない、気持ちだけで臨んでいたあの時期よりも、現在のほうが果たして良くできているかどうか?と思うようなときがあります。これも思考過程のなかにはいってきます。あとは新しい技術なりを習得したとしても、この技術や発想がない場合はどうするか?という仮定をして考えることもあります。結局は経験年数とともに臨床推論のスピードは上がっていかなければならないのですが、それは知っているということで頭で完結している場合も見受けられます。目指すは多くの知見を瞬時に引き出す能力ということになります。その引出方ですが全ての引出を一回開けてみするという手法では、いつ終わるのかわかりません。臨床推論にてできれば一回で引出を当てたいものです。



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