運動連鎖道場第三期生第一回報告

運動連鎖道場第三期生第一回報告

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7月6日日曜日に南大沢にて第三期生の運動連鎖道場がスタートしました。今回は12名の参加者が関東近県からと大阪や静岡そして長野から集まりました。皆、クリニック勤務の参加者が多く、やはり即時的な効果が求められる環境にいるセラピストのニーズがうかがえます。クリニックに対応したカリキュラムが学校教育のなかにも望まれます。今回は入りを結論からもってきました。最終的には身体の原理原則としてどこに帰結させるべきか?まさに哲学というか理念への挑戦になります。多くの枝葉ともいうべき理論と治療方法が乱立してますが、理念なきところには高い塔は立ちません。日本の理学療法の歴史はそれこそ古きを否定し新しきものを讃辞して、また新しいものが出てくると古きものは勢いを削がれ独自の世界に埋没していきます。その生態系のトップにたったであろう治療方法なり概念も、いずれは先人達と同じ道を辿っていることに気づいていません。機能的な身体運動の構築という考え方でおそらく理学療法の方向性はくくれるものと思われます。おそらくこれには誰も否定する人はいないでしょう。では機能的な身体運動とは何か?そこの解釈が乱立しているのです。機能的な身体運動でくくられることも嫌がるでしょうけどね!時代とともに多様化していくなかで理学療法も分業化しています。結果的に全体を通して統括できる人が協会にいなければ毎年の保険点数の改訂に右往左往してしまいます。福岡での学会は理学療法の質というテーマが挙がったようです。誰でも理学療法業務ができるような法改正になりつつあるなかで、理学療法士の付加価値が問われています。まさに経験者も新人も同じ保険点数による稼ぎなのですから、倍々で増えてくる理学療法士が溢れてくると、介護保険や地域リハビリに活路と専門性を守ろうとする協会の方向性は、質といわれてもいささか机上の空論というか具体的な骨太の指針はでてこないでしょう。Bodyworkは欧米では医療から始まりフィットネスに拡がっていった経緯があるため理学療法士がピラティスの指導者であることも多いのですが、日本では逆にフィットネスから入ってきています。よって、理学療法とは別ものという印象が日本ではありますが、これは既に日本の理学療法の哲学や理念が機能とかけ離れているためおこりうる乖離といえます。身体機能を追及しようとしても病院では本当に事務業務が多くてそれどころではないことも理解できます。あまりにもルーチンワークが多いと、ノルマをこなすことが目的となります。つまり事務作業はミスしないで当たり前ですので、結構大変です。そこには創造性や探究していくスピリッツは育ちにくいといえます。福岡の武田クリニックの武田先生は、アメリカでは理学療法士のみの免許よりも、売れているピラティスインストラクターのほうが給料がいいようです。アメリカでは理学療法士は6年生です。それでも実際問題現実はそうなのです。よって現在は理学療法士 プラス セカンドライセンスというのが一般的になりつつあるようです。
 話がずれましたが、理学療法の理念として機能的な身体という医師の専門性が医療であるように我々セラピストの医療は機能なのです。大元のスタートを忘れるか間違えてしまうか、時代とともに流されてしまうと海原に乗り出したが台風や嵐に巻き込まれて漂流するのが落ちです。理念がはっきりすると、世間に対して明確なアピールができます。そしていい意味での期待が世間からもらえます。その期待がプレッシャーとなって頑張るのです。もし自分が医師となったと過程した場合どうでしょう?やっぱり勉強しようと思いませんか?社会的責任と期待と非難を受ける覚悟が必要でしょう。でもPTは医師じゃないですからね~と開きなおることも間違いではありません。
 さて理念が機能的な身体とするならば、その機能的とは何か?ということになります。この機能的とは何か?という解釈というか方法論でお互い非難し合っている様が見受けられます。この機能的とな何かということで内々で論議しているというのはちょっと内弁慶すぎると思いませんか。何故なら、世間では理学療法とは何かということ専門性は何かを、まだよく理解していない状況のなかで、全く世間の関心のないテーマで理学療法団体のなかで井戸端会議をしているのですから。
 さて機能的な身体という、その機能的とはいくつか構成要素があるはずです。フィジカルな運動療法という観点から考えると、身体軸は外せません。軸となるとCOREということになります。Core conditionningなどスポーツやフィットネスの世界ではドンドン機能的な身体とは何かという核心に迫ろうとしています。古武道もその一つの流れと考えられます。なんとか、新しい情報を外の世界に求めようとする若いセラピストは増えてきました。おそらく公然となっていないだけで、個人レベルで追及しているセラピストは沢山いることでしょう。しかしながら、医療や文献や研究といった呪縛から離れられないため、大きな声ではアピールできません。また病院のリハビリの中で応用しようとしても、対象が違うというかその適応がわかりません。既に理学療法のなかにある概念であっても、職場のなかにルーチンとして取り入れようとすると、そしてスタッフ全体に浸透するまでには最低3年ぐらいはかかります。ましてや病院全体が体制として変わったり、理学療法の世界で広まったり世間に着目されるようになるには、さらに10年の歳月が必要でしょう。一人の力ではとても辿りつける気がしません。私もとても無理でした。そこには相当の覚悟とプロ意識が不可欠です。そうしなければ職を失うというぐらいの心意気です。プロスポーツ選手のおかれた立場と同じですね。
 さてスポーツリハビリテーションにおいて怪我をした選手に対してのリハビリのなかで、パフォーマンス指導をすることはあります。しかしながら、巷でいろいろ言われているより高いパフォーマンスのためのコンセプトとリハビリのパフォーマンス指導とはリンクしてこないのか?という疑問というか垣根がない段階にきています。今まではパフォーマンスというか発想はリハビリにしかなかったのです。よって昔は先駆者としてPTの専門性は自然に自負できていたのです。日進月歩の身体機能の追及というなかで理学療法は思うように発展しなかったというのが実情です。医師と同じ路線を歩もうとすることで地位の確立にいたった理学療法士ですが、それが医療改正のなかで翻弄され路頭に置いて行かれたというところです。つまり一昔前までは理学療法士として自負をもっていたセラピストは沢山いたのですが、その段階で明確な専門性を確立してこなかったということでしょう。いや、確立するべく先輩たちは尽力したのです。よって現段階でも指導的な立場で多くのセラピストが信望している先生方は、やはり私がPTになった時に指導的立場だった人がいまだに影響力を持っています。問題は次の世代が先輩方のイニシアチブにおんぶに抱っこで、次代を築く作業を任せっきりにしてしまったのです。その先駆者たちのすごいエネルギーに触れているだけで、自分もが何かを成し遂げた様な、えらくなったような錯覚に陥いっていたのです。よって、さらに若い世代は世代を飛び越えて、先駆者達に夢を重ね合わせようとします。偉人に触れることで高揚感は得られ、明日へのエネルギーになります。若いセラピストには夢が必要です。しかしながら少し経験が上がってくると、夢ではなく生活がメインになります。やりがいや生甲斐よりも職業だからというふうに落ち着いてきます。別に悪いことではないのですが、若いセラピストにはあまり支持されません。魅力という点では、またその眼は目的に向かってまい進しているオーラは消えていきます。bodyworkの世界のインストラクター達に感じるその圧倒的な存在感とオーラは、まさに自分を表現することを職業とする立場の違いでしょう。その世界に特に女性のセラピストは惹かれるようです。それは美しさと直結するからです。美への探究に勤しむことは女性であるうえでは永遠のテーマです。仕事ではなく仕事を通じて女性の根源に繋がる魅力をそこに見るのです。男性は美というものには無頓着ですので、探究と追及ということが目的となります。別にピラティスなどのbodyworkでなくてもいいのです。キャリアアップできる成長できる前へ進めるものであれば、何でもOKです。
 機能的な身体とstabilityというキーワードが結びつき、体幹という欠かせないツールを手に入れたのですが、スポーツ医学やスポーツコンディショニング、パフォーマンスが経験や根性から科学的な知見と国の威信をかけての取り組みなどで、ネット社会の中でグローバル化がすすみ急速に進化を遂げてきています。何人かの有名な先生だけに頼る個人レベルの取り組みでは限界にきているということです。本当は協会なりが機能的な身体というもとに教育レベルから推し進めるべきだったのでしょう。大きな波となって世間に認知される必要があります。
 あまりにも長い前置きですが、Coreの軸ということに関して明確なアプローチこそが理学療法士が基軸とするべきものです。その上にたって身体イメージを高め、あらゆる治療コンセプトを枝葉としてカテゴライズするのです。しかしながら誰もが枝葉とはなりたくないし、認めないあたりが難しいところですね。枝葉ということは全てをその概念だけでは無理だということです。しかし枝葉がなければ木として成り立たないわけですから、その価値は何ら薄れるものではありません。
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 運動連鎖道場ではまず最初の午前中にその身体軸の評価について実践していきました。そして、顎~足部まで一日のなかで主要な軸には不可欠な要素を網羅しました。おそらく、これほど短時間に全身を網羅するセミナーもないでしょう。上の写真の傾いた被験者は実はこれは最も楽な呼吸のしやすいニュートラルな姿勢を示しています。この姿勢は無重力では間違いなくまっすぐだと感じる姿勢になります。地球上では重力があるので視覚的に空間的な座標と比較したり、経験としてこれが直立だだというものを学習しているということ、そして姿勢制御としての立ち直りがあるということで、それほど健常人は歪んで見えないのです。この姿勢が運動連鎖アプローチでいうニュートラルになります。このような姿勢をとってもらわなくても、OKCでニュートラルを評価できるように研鑽を積みます。また一日で頭から足までみると、そのどれもが結構問題があり、結局のところどこからアプローチしても何らかの改善が得られる可能性があります。あとはその個人がどのツールの持っている機能障害特性に適応しているかが評価できれば、適切な治療方法を取捨選択していけるようになります。


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