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運動連鎖アプローチ®︎は何を作ってきたか?

>運動連鎖アプローチ®︎担うべき使命
「知識として正しいことと実践との間には大きな隔たりがある」
著:宇田川元一:他者と働く「わかりあえなさ」から始める組織論.News Picks.より
私とそれ
の関係から
私とあなた
ナラティブがそれぞれの立場にて存在し、他者から見るとあり得ない…となります。
その解決策を対話であるとしています。
なんてことない対話というキーワードです。
対話には前提条件がありそれがナラティブなのです。
確かに相手の立場に立って考えることは不可能に近いです。
その体験をしたものでしか分からない…
親の気持ち子知らず…その逆も真なり
つまりその体験や立ち場がナラティブを作り出し、ダイバーシティの時代となり、ソーシャルネットワークが発達した今日は、そのナラティブが吹き出している状況です。
ナラティブとは物語りとも訳されますが、ストーリーとも違うようです。
語りとも言われ、その人の背景や文脈などあらゆる包括としての概念です。
つまり相手の立場で考えるとは、それらのナラティブを構成する全てに近い事象の理解が必要なのです。
考えればわかるだろう…
常識的に…
この常識というナラティブも国や価値観が違うと全く融合しません。
ロジカルに進められるのは、企業再生などの抜本的にメスを入れなければならない状況と、外部から派遣された第三者であるなどの、相当の状況が必要です。
記憶として新しいのはバスケットボール協会の再編、今回のオリンピックのマラソン変更など、かなりの強権発動がありました。
つまり大半はそのまえのナラティブに支配されており、ギチギチに動けなくなってしまっています。昨今の日本の閉塞感や圧迫感は、まさにこのナラティブの締め付けが、内向きに働いているが故に起こっている現象です。
もしかしたらダイバーシティの世の中において、日本的な思考や価値観が崩れていく恐怖に抗う様なのかもしれません。
個々の関係性や人間関係を重視するのは、世界共通ですが、さらに多様性の社会においては、テクニカルやロジカルな決断が求められて来るのでしょう。
単一民族国家である日本は、和を持って成す…ことを旨としていますが、一方で違いを見せるためには突き抜けた何かが必要です。
この突き抜け方がロジカルでは解決しない。
ここで冒頭の、理論的には正しくても実践では難しいということに行き着きます。
よって日本で醸成されたスタンスだけでなく、ブレンドされての新しい香りが求められてきます。このブレンドの転換時期にあるのが今であり、このブランド方法には幾千通りの色があることでしょう。
時に染まりすぎてアレルギーを起こしていることもあります。
臨床に置き換えれば、理論を当てはめて患者を治療した時に、結果として良くならないことは珍しくありません。
つまり大学病院においてはロジカルな思考が重要視されますが、臨床においての結果は感覚派のセラピストの方が長けていることがあります。
ただ大学という組織からすると、ロジカルな展開と、そこに積み上げていく思考が不可欠であり、その積み上げが科学であり文明でもあるわけです。そして研究の極みこそがノーベル賞であり、また医学においても再生治療や移植ということになります。これらはその場の閃きだけで成せることではなく、長年の積み上げた結晶なのです。
しかしながら、もう一方で痛みは相変わらず謎も多く、取りきれない問題が多々あります。
もちろん将来的にはきっと解決の方法が見つかるのだと思いますが、最先端治療に比べて肩こりや腰痛などのあまりにも当たり前すぎる症状については、個々の事例を見ていくとあまり変わらないということがあります。
運動連鎖アプローチは積み上げたピラミッドを、何度も繰り返し潰して平らにならしながら、いつの日か高い山に成長できるように土台と作り上げてきました。
運動連鎖アプローチ®︎は
「やってみたいけれど、興味があるけれど、その入り口はどこにあるのか?」
「失敗しないでうまくやる方法、つまり正解を知りたい」
運動連鎖アプローチ®︎の研修会を幾度となく繰り返してきて、その度に直面する課題とテーマです。
最終的にはロジカルに集約されてくる収束していくことを目指しており、また社会のニーズも、継承していくべき価値を考えても理解してもらうことが不可欠です。
敢えて作らなかったのか、やらなかったのか?できなかったということが正直なところです。
リハビリに携わる理学療法士は、専門は保存療法に他なりません。
一人一人の患者における解決は、確かにリハビリテーション医学の進歩により、システムとして整備され極力個人差が出ないように発展しています。
急性期や回復期などの考え方や、診療体制などはまさに行政や職能団体の尽力あってのいわゆるインフラ整備です。
つまりインフラや公衆衛生が発達していないと、身体の使い方などに着目する余裕もありません。
しかしながら巷の健康需要や産業は、医学のみでは成り立ちません。
リハビリにける障害の考え方や、医療体制や社会体制は本当に素晴らしものがありますが、やはりそこに理学療法士としての専門性は、社会的地位にて説得力がないため、具体的なスキルによって証明せざるを得ない状況です。
つまり病院や国の事情を説明したところで、一患者の立場からすると、その症状における解決方法を教えて欲しいということなのです。
正しいことを伝えることが国家資格有する専門家の使命であり、しかしながら、診療報酬の枠組みの中で行うということは、コンプライアンスが義務となります。
コンプラインス重視とは国の立場でのナラティブを理解することに他なりません。
自分のナラティブならば、体制を抜けて何かを始めるしかないということです。
そこに体制下でのナラティブや、マインドを持ち込むと、既に前提条件が崩れているということになります。
ビジネスという言葉が氾濫しており、テクニカルでロジカルな象徴となっています。そのビジネスをナラティブの渦中に入ることを、きっとどこかで思い知るからこそ、必ず挫折や失敗などの右葉曲折があるのです。
何かを作り出す関係性
ビジネスパートナーといけ言葉な違和感がありますが、そこには機械論的な最も必要なナラティブを省略されています。
作り出す関係性においては、単なる業者やメーカーという枠を超えた、通じ合うエナジーが必要です。エナジーを省いてビジネスというナラティブに陥ると袋小路に入ってしまうということです。
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