FC2ブログ

理学療法はどうあるべきか⑵身体包括ケアー

身体包括ケアーというと、地域包括ケアーを連想しますが、世の中が今までの枠組みを柔軟に捉え直して行こう!ということが根底にあると思われます。
しかしながら、そのことが実感できることは殆どありませんが、いつのまにか自然に浸透してきているものだからです。心の問題を医療に持ち込むことがタブーだった過去に比べて、今現在はストレスが根底にあることを発端に、気持ちの持ちようが取りざたされるようになります。心身にまで広がってくると、考える選択肢は増えてきますが、現実的にはカウンセリングをするわけではありませんので、医療人としては原因の矛先の選択肢が増えたにすぎません。人一人の気持ちを前向きに変えることの大変さは、例えば専門家がチームを組んだとしても、解決は相当に粘り強く長期に渡らなければ難しいでしょう。
心身の心を、何かしらの機能障害をトシのせいにするという、常套手段になってしまわないようにしなければなりません。
世の中に必要だから概念が変わってくるという順序もありますが、しかるに人の価値観が変わるということと同義となります。
価値観が変わるとは、相当の説得力が必要となります。
それが医療や人口動態、政治や行政、エビデンスなどがベースになると納得せざるを得ないということになります。
この価値観の変換はどこに向かっているかと言うと、バイアスのかからない事実のみを受け取るレシーバーとなります。バイアスがかからないということはレシーバー受け取りだけでなく、アクションにおいても最適さをバイアスなく行動できること…になります。 
もちろん人ですから高揚も喜怒哀楽も、悩みます考えることはあるのですが、その行き着く先は自らの身体を精神を心を、すりガラスのように素通りする媒体にしてしまうことなのです。
一つ一つ解釈して注釈をつけて、意味付けしていくと、これはもう個人差になってしまい悩みは深くなります。あらゆるか階層性も意識性もある中で、リベラルなレシーバーとも言うべき受容です。
どの階層性でも自由に行き来するためには、ラジオや携帯のように受信する帯域を拡げなければなりません。そのためには成長は欠かせないのです。成長とは山に例えると標高が高くなるようなもので、高くなればなるほど見渡せる景色も広がります。山ですから麓から中腹までありますので、頂きだけが全てではありません。
結果的にひとはシンプルになると言うことなのかもしれません。シンプルな人はある意味最強かもしれません。これは各世代における強さとは違って、人生トータルで見たときの総和になります。
私は長年、100歳を超えようかという入居者様を数多く見てきました。
その中で得た教訓といいますか、あらゆる事象に対してシンプルであること、生きる、生かされている、よく耳にする言葉ですが、本当にステキな生き方だな~と思える方は、口にはしないですが生かされているを自で行っている人です。
スポンサーサイト



コメント:0

コメントの投稿

トラックバック:0