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理学療法はどうあるべきか⑴東洋的視点から学ぶ補瀉の応用

理学療法はどうあるべきか?東洋的視点から学ぶ

前回の記事で東洋医学そのものを学ぶことも必要ですが、全く別物として存在していては融合することができません。
他職種連携にて同じ箱にて理学療法と鍼灸マッサージが協働している施設はありますが、お互いが言語や文化が違うためそれぞれがお任せといった現状です。もちろん専門は専門分野にお任せすることが初めの一歩であり、日本の一番の課題が全てを自分で抱え込もうとする気質です。

結果的にそれは他者を認める、チーム医療のさらに一歩進んだ精神に行き着かないものと思われます。
現在、地域包括推進がされていますが、枠組みつまりフレームが出来上がりつつあります。
理念よりも精神よりもまずはキャッチフレーズを作ることが大切でもありますが、同時に真の他職種連携とは民間も含めた身体や健康に関わる人たちの相互理解と思われます。

個人事業主も多い治療家やスポーツやトレーナー業界ですが、一人では何も変わらないということが歴史が教えてくれており、体制そのものを大きく変換することが最初の一歩となります。この経験は、私が四半世紀近く関わっているカイロプラクティックの業界を見てきた中での現実です。素晴らしい技術やテクニックをお持ちの徒手療法家や治療家は山ほど見てきました。おそらく理学療法業界にいれば間違いなくレジェンド級です。アメリカのカイロ大学を卒業され、さらにそこからの探究心は我々理学療法における枠組みを遥か超えたものです。つまり最初は病院という医療や身体の使い方といった視点にて入っているので、生命そのものへの探求が一律なのです。それでも皆は特別だと思っているようですが、全て想定の範囲内であり、競合があまりにも多くて理学療法とは何か?という具現化にはまだまだ時間が必要な状況です。現状では国家資格の理学療法士ということが売りのようで、そしてその場限りではなく予防もしますよと、見る方向は全く同じです。しなしながら予防は理学療法だけでは到底無理です。我々が考える予防は整形外科疾患としてきた患者について、診断名以外の身体部位への愁訴がたまたま目について対処できるというものです。これは入り口が病院な訳ですから、何も理学療法で呼べているわけではないのです。個人としては有名な方もいるので、個人的には貢献できていると思いますが、理学療法という職能として上がっていかないと歴史が繰り返すのみです。

新しい創造の仕方とは医師との連携に他ならないのです。

別段新しくもないのですが、病院にかかわっている人は当たり前の日常ですから、そこからのアンチテーゼとして自立しようというロジックです。診断技術がないことを嘆いていても仕方ありません。そういった教育を受けていないのですから。
それをことさらに日本の理学療法の欠点として指摘している向きもありましたが、それはいくらいっても仕方がないことです。教育が変わらなければどうしようもないからです。個人としてできているという視点にて、他者を見たときに至っていないという論調は聞き飽きました。

関節可動域や筋の短縮・硬結の改善が、理学療法から診察室に移行しつつあります
トリガーポイントは以前から整形外科にて注射がありましたが、まだそれは肩こりなどの部分的なコリに対してでした。肩こりは理学療法においても難しく、治せる対象外とも言えます。つまり肩こりは結果であり、原因ではないため僧帽筋にマッサージやストレッチ、針をしても一過性に終わることが多いからです。

ところが筋膜リリースが注射にてエコー下で実施されるようになって、硬結ではなく滑走障害に対して注射にてリリースをするという画期的な状況となりました。今までは運動器の痛みや制限は、なんとなく理学療法が優位であろうと無意識に前提として認識していた人は多いと思います。だから自らの腕を過信して飛び出すセラピストも出てくるのです。現段階では物理療法の進歩により、診察室にて理学療法では扱わない物理療法にて治療をしています。物理療法が消炎鎮痛という個別リハよりも少ない点数に設定されているが故に、運動療法などの理学療法の方が点数的に上といった体制となっています。

また生活中心の考え方と、在宅、自宅復帰、自立支援など治療とは別の社会的なロールモデルが登場し、その話題にワーキングメモリーが支配されてしまう事態も生じています。時の指導者が何に視点があるかによって、それは感化されてきます。その根底には誰もがイニシアチブを握りたい自己証明したいという、欲があります。

人のためにと言いつつも、結局は自分のためになります。

本当に人のためであれば先ずは自分が実践して健康のモデルにならなければいけないのですが、往々にして治療者が不健康であったり手術をしたり、不養生に対しては何故か寛容です。

東洋的視点から学ぶとは、補瀉や陰陽などの理論を先の記事にて紹介しましたが、言語変換することが必要なのです。
今回は補瀉について具体的に述べていきます。
補瀉というのは文字通り、補は補うは中国語では下痢と出てくるように悪いものは取り除くremoveするという意味です。
removeの最上級は手術となります。切開して取り除く、まさに瀉ですね。

今まで運動器疾患においては身体が軽くなる動きやすくなる、可動域が上がる、筋肉が解れるといった現象は理学療法が得意分野でした。もちろんそれまでも競合職種はあったのですが民間療法というカテゴリーであったり、医学的な知識が理学療法では深く勉強しているという自負もあったので、なんとなくその地位に甘んじていたこともあります。

しかしながらそれは一般大衆からしたらどうでもいいことであり、自負という業界の中だけの心理的なヒエラルキーとなります。

当然民間は制約が少ないこともあり、どんどん社会のニーズを開拓し先導していきます。
遅々として進まない業界にしびれを切らして、出て行く輩も出てきます。
しかしこの出ていき方が、自分はこう思うという範疇を脱しておらず、業界を先導することはできません。
協会を中心とした職能と地位向上、そして一セラピストとしては医師との連携強固にしながら協同関係を高めて行くことです。
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