FC2ブログ

Body workの理学療法での現在位置

各種ボディワークと理学療法
ピラティスが日本に入ってきてから、コアを最も体言化したエクササイズが既に形になっていたことが衝撃でした。遅kらくこれが21世紀に突入直後のことになります。
つまり日本にいると機能的な改善は理学療法士であり、そのための運動療法という名のエクササイズがあったからです。つまりスポーツでは筋トレや補強運動という位置付けであり、これはリハビリにおける運動療法とは全く別物として住み分けていたのです。
つまり理学療法士とスポーツにおけるトレーニングは別物であり、アスレチックリハビリテーションにおけるエクササイズも解剖学と運動学と障害学が背景にあるわけで、いわゆる体操として決まり切ったルーチンを繰り返すことではないという程です。つまりこの時点では理学療法士における運動療法はある意味、内容においては専門性が形としてあり理学療法士というスキルがあるからこそできる、事実上の業務独占といっても過言ではなかったのです。
やはりライセンスがある人でないとできない技術や立場あるわけで、時としてそれは全く違った畑から、または一般市民やプロに対して、ノンプレッシャーのアマチュアが一瞬であれば風靡することもあるということです。
つい数年前まではピラティスなどのボディワークを理学療法に応用しようという流れにおいて、「理学療法をしっかりしないと」という論調もあったことは確かです。この様な論調の背景には、評価をして理学療法を提供するというセットでしっかりと個別性を明らかにするということになります。またリスク管理が実は最も理学療法士の得意とするところであり、重症度の高い患者さんを扱うことが多いことからも、何をするかということより前に、何に気をつけなければならないかということを考えることに比重があったのです。
この評価ありきという風潮は今でも連綿と続いていますが、ここ一年ぐらいガラリと空気が変わってきました。これは独立開業するという流れが何ら危惧されるものではないという風潮が高まってきたからです。看板を出して屋号を出せば評価をしますということを宣伝にしても人は集まりません。診断をすることに幾つもの権限が委譲されている医師であれば、公的文章としての効力があるため嫌が応にも不可欠となります。
理学療法士のスタンスの最も特徴的なことは、もっとこうしなければならないという「課題に対しての提言」メッセージということになります。「社会におけるテーマや問題点」に対する「提言」つまり「もっとこうすれば病院にかかる前に予防できるよ」という理想論に行き着きます。医療を限りなく利用しないで、お世話にならないで健康で、動きやすい身体づくりを勧めるといったことになります。つまり医療機関にいると、理想論を醸成することができます。
もちろん医療施設にてリハビリテーションに関わることで、本来あるべき形というものをテーマに持つことは、未来を築く上で大切な視点です。しかしながらもう一方でニーズというものを考えなくてはいけません。人が思うニーズに対して、セラピストが諭すことによって、そう簡単には世の中の風潮を変えることはできません。あくまで個人の主張であり、それは一個人の患者さん単位ではなく、もっと社会に行政に世の中の仕組みに対してアクションしなければなりません。
つまり我々は保険診療の中で育った理学療法士は、社会の求めているものに対して、提供するためのコンテンツ作りがされてこなかったのです。よって考え方が最も重要視され、評価ができることが最大のアドバンテージであると自負してきました。
このような考え方は古今東西を見渡しても、職能団体の見解として統一されることはなく、イデオロギーを生み出す土壌となります。既に医療という名の正義を振りかざす個性のようなもので、一生懸命勉強して結果を出す‼️を、唱えることが正義となります。そして自己完結して満足してしまうため、実は何も変わっていない!他者や周りと、勝手に自らの手で尺度で比較して、自己顕示欲がまるでカオナシのようにぶくぶくと塊になっていくのです。SNSにて一斉に誹謗中傷コメントが並ぶのも同じことです。
つまり大衆にわかりやすいコンテンツこそが、保険外サービスには必要なのです。しかしながらもう一方で開業権のある職種は、よりわかりやすい売りとコンテンツに走ります。その結果、理論や評価や理念が歪められ、儲ける事そのものに主題が完全に移行してしまいます。理念なきところには糸の切れた凧のように、思わぬ着地点にたどり着いてしまうことになります。
つまり監査、世の中のジャッジを常に受ける立場であり続ける事、それは責任のある立場であることが求められます。医師は責任しかありませんので、自ずと社会に注目されます。一方で絶大な権力を握ることで、未成熟なままに解き放たれると周りは少々大変なことになります。
つまりのところ保険外リハビリが公然の如く認識されつつある中で、評価だけでは考え方だけでは、医療の中で培った思いだけでは、社会のクライアントのニーズに応えることができないのです。
社会の仕組みや世の中の動態を見定めつつ、機微に察知してリアクションすることの変化と多様性が必要となります。
運動器におけるテクニックが定着していない、運動療法においてもコンテンツがない日本の理学療法においては、脳梗塞こそが確立したテクニカルが多いように思われます。
しかしながら脳梗塞は再生治療が隆盛してくる中で、自ずと社会そのあり方を変えなければあなりません。最新のロボット開発や、AIのプログラム開発などに携わることができなければ、理学療法士そのものは無くならなくても役割の激減は避けられないでしょう。
ボディワークは既にコンテンツが確立されています。もちろんその中でも日々の進化と発展はありますが、コンテンツとしての分かりやすさがあります。パーソナルトレーナーは、ボディワークそのものを売りにする必要はなく、独自な進化が求められます。しかしながら理学療法士は職能としての立場があります。コンテンツと道具をいかにうまく使いこなせるかが、身体機能の専門家である理学療法士に求められるこれからの姿なのです。
よって「ピラティスとかではなく理学療法をやらないと…」という声は、社会保障費がひっ迫する中での、現実に直面した時には以前ほどの説得力はなくなっています。
あらゆるコンテンツを理解して、社会化することこそが理学療法士の役割となります。いわゆるハブですね。つなぎの役割としてのサッカーでいうMFよりもボランチ的な、それも守備的なボランチで、時に攻撃に参加するためにピッチを上がってくるボランチこそが適任と考えています。
スポンサーサイト



コメント:0

コメントの投稿

トラックバック:0