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理学療法士の距離感

理学療法士、インストラクターなどの患者・クライアントとの距離感を考える
知識と技術があることで、臨床や運動指導において活かされるのは当たり前のことのように感じますが、意外にもその環境によって引き出される、埋もれてしまうということがあります。
例えばスポーツ選手がチームを変わることで、一気に活躍することもあります。
広島に移籍した元巨人の一岡竜司投手
一気にブレイクした代表として紹介されています。
サッカーチームでもしかり、ヨーロッパにおいてもプレミア、ブンデスリーガ、スペイン、セリアAなど各リーグによってサッカースタイルに特性があり、不思議なことに選手そのものは違えども、そのリーグに合う合わないで話題となることも多いことも興味深いですね。
そうすると理学療法士も病院と介護、クリニックに地域など、働く所によって当然その人の向き不向きなどがあることになります。勉強した分野やテクニックにおいても、スキルはあるものの実際に活用できるかどうかは別問題です。
監督やチーム事情によってチャンスが与えられないこともあるように、その人のためにフォーメーションや作戦を立ててくれるわけではありません。海外に行って通用する選手とアジャストできない選手の違いは、そういった適応力に差があるのかもしれません。
前段が長くなりましたが、
この距離感というのは理学療法士、インストラクター、カイロプラクターこの辺りの立場の違いのせいか、微妙に違和感というか違いを感じることがありました。具体的に何が違うのかはわからなかったのですが、自分に合う合わないといったことが能力ではなく、立場によるスタンスの違いによることが分かってきました。
わかりやすく言うと
理学療法士・・・普通に世間話ができる距離感。キャラクターや生活といった現実的なアセスメントを介するため、日常会話ができる距離感となる。また時間単位にて評価されることも多々あり、質云々よりもいかに時間いっぱい使ったかどうかを問われることもある。もちろんこの時間内に終了させようという目標としてはあってもいいが、時間ありきになると本末転倒となってしまう。この様に最初に保険ありきの制度の中で、学術偏重の傾向と自分を向上させるということの尺度がないままに競ってきた事もあり、いつに間にかクライアントと社会が置いてけぼりになってしまった。つまり個人として勉強していけば自ずと社会に認められると思ってきたのである。しかしながら、この様な制度にもたれかかってきた事もあって、型を作ってこなかったことが今だに「理学療法士とは?」という現状に陥っている。社会的地位が先に出来ていれば、何をやっても力を持っているため通ってしまう事もあり、それはそれで世間のニーズから乖離してしまう事もあるので、もしかしたら社会的なフォースを今まで持ち得なかったことは、今から世間や国の意向を見て変化できるということにおいて有利なのかもしれません。しかしながらこの変化においても個人レベルであることは否めず、ムーブメントには至らなかった。何れにせよ以下に紹介するそれぞれの専門家の距離感から、理学療法士はどの様な距離感を醸し出すべきなのかを各々考察いただきたい。
カイロプラクター(D.C.)・・・全身のあらゆる統合を目指しエナジーが全体を覆っていくような「イネイトインテリジェンス:叡智なる治癒力」を某表としているがゆえに、纏っているエネジーを輝かせるようなイメージングの距離感となる。よってそこにはリハビリ的な生活背景が前面に出てくるようなモードにはならない。クライアントも良くなる良くならないか、パワーレベルが上がるか上がらないかといったモードになるためアクセスするのはあくまで神秘的なオーラの様なパワーとなる。そこには患者のフィジカルではなく、アクセスするモダリティが違うため自ずとヒーラーとクライアントといった距離感ができる。
整体:本来は気をイメージする世界ではあるか、往々にして骨を整える整骨的なジャンルと成り替わることも多い。よってマッサージの延長線上の整体となると骨関節に特化したイメージとなる。本来は間合いや喩気と云われる気との感応が本来の伝承的な流れだが、その系譜は最早見る影もないといったほうが正しいだろう。安易に開業できるための名称として整体を名乗る人も多いので、その本来の価値や理念が薄れています。距離感としては間合いといった日本本来の真剣を抜く様な緊張感がある。気合いといった要素もかなりあります。よって距離感としてはカイロプラクティックに近いと思われますが、そこに日本的な和の精神が根付いており、気が通じるなど遠近を使い分けながら間合いを測るといった距離感となるでしょう。
マッサージ:これはまさに最も近い距離感かもしれません。疲れを取るなど安堵やリラクゼーション効果もあるため、気持ちを委ねることになります。よって同じ触るセラピーであったとしても最も距離感は近いと言えます。他人にも見せない様な本来のリラックスした表情や気持ちなど心を開くことにもなるからです。実は日本の理学療法においても前身が按摩マッサージ指圧師ですので、その流れを色濃く継承しています。私自身があらゆるジャンルの学びを持ってしても、どこかで馴染みきれずに脱せられなかったモードがこのマッサージなのです。実際にマッサージを施術することはほぼ無かったのですが、スタンスがそうなのでよって集団エクササイズなどの介護予防場面や健康増進の現場においては、モードが割り切れないため苦手なセラピストも多いことでしょう。つまりインストラクターモードには成り切れないのがPTなのです。つまり運動指導や運動療法を提供する専門家としてはマッサージのモードでは当然全く違ってきますので、クライアントの受ける印象も満足度も物足りなくなってしまうのです。よって運動指導場面ではあまり直接関わらないで、評価や助言の立場こそが合っているのです。
インストラクター:私がPTを突き詰める中で勉強だけでは身につかないと思ったスキルがイントラでした。時間内に起承転結を作りながら、盛り上げてやる気を引き出し、そして満足度と爽快感と恍惚とした脳内ホルモンを放出させるプロと言えます。あらゆる身振りや手ぶり、表情な声色を使って全てを武器として表現していきます。このモードは医療従事者には出せない空気感ですよね。劇場のアクトレスは平坦な抑揚のない表現では、オーディエンスに響きません。よって例え医療と芸術鑑賞とは違うとは言え、人を魅了する原理は変わらないのです。現に昨今の風潮は総エンターティメント化しており、益々医療従事者であったとして運動と意欲を引き出さなければならない理学療法士は、その引き出す原理はイントラや舞台役者と根底は同じなのです。
以上を持ってして、現状の理学療法士に必要な距離感はおそらくイントラモードの距離感にて俯瞰的に全体像を見ながらにして、医師の様な診断的な視点にて探求していく情報処理モードであろう。原因を突き止めそして根治を目指すというそのスタイルが自ずと求められる医師と、根治を目指すべきとは言え基本は保存療法であることからも、医師モードとはまた違ったモードを持つべきであろう理学療法士は、やる気と気持ちを引き出すイントラモードこそが求められる姿であろう。理屈先行でやるべきことが徒手のマニュアルだけでは、実は理学療法は全くもって期待感が薄くなる。徒手療法においてより極めることはカイロプラクティックや柔整に見られる姿勢であるが、世間の流れや国の方向性にアクセスするためには、徒手的な方向性では結果的に独自の路線に行きがちで、それは一代か自分の中での完結になりがちです。
診断的なモードとイントラの様な動きにおいて起承転結、結論を導き出すルーチンを加味していくことが、対外的にもわかりやすく白衣を着た指導者、動きのコーディネーターとなることでしょう。その専門性を持って、初めて生活や地域への展開を考えることによって、ブレない専門性と自信と一貫性が培われることでしょう。
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