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運動連鎖からみた活動と参加

千葉県士会生涯学習研修会
新プロ特別研修会Ⅴ-1及びⅤ―2
開催日:平成30年9月16日(日)
場 所:千葉県立保健医療大学幕張キャンパス
テーマ:Ⅴ―1 運動連鎖からみた活動と参加①-基礎編-(プログラム 48)
    Ⅴ―2 運動連鎖からみた活動と参加②-応用編-(プログラム 49)
時 間:13:00~16:10
講 師:山本 尚司先生(フィジオ運動連鎖アプローチ協会 代表理事)

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午前中にご講義された脳卒中フェスティバル実行員会の小林純也さんと、千葉士会の学術企画部で世話人の井上さんです。井上さんは大学と職場でも後輩になるとのことでした。いろいろな縁ですね。


本日は上記にて講師をさせていただきました。内容は以下の通りです。

「運動連鎖(kinetic chain)とは、身体各部位が鎖(くさり)のように連動していることを指します。人の動きはどこを切り取っても、単一の関節や筋肉だけで完結することはなく、必ず多関節の連動性がみられ、単一の筋肉だけで動作が完遂することもありません。つまり、解剖学・運動学の基礎を踏まえて運動連鎖があり、生活動作やスポーツ動作などの動きやすい身体作りへとつながるのです。特に昨今は、リハビリ専門職として身体の部分の治癒だけではなく、活動と参加から考えるプログラムの立案が求められています。
運動連鎖は、運動器に特化した特別な考え方ではなく、地域包括ケアなど他職種連携が強化されるなかにおいて、理学療法士(PT)として有効な情報提供ができるための視点となります。
今講義では、急性期・回復期・慢性期・介護・予防・建康増進・競技スポーツなど、その人のどのライフステージにおいても、それぞれの活動を支えていくためのPTとしての視点と役割を、運動連鎖という観点から明確にしていきます。具体的には、機能障害の原因を生活動作から導き出すために、身体機能と動きとの関係性を、各関節や筋肉との運動連鎖から紐解き解説します。つまり「動き」というマクロと、その動きを構成しているミクロの関節運動との関係性を、PTの眼と手で明らかにできるための方法を、分かりやすく示していきたいと思います。
また、明日からの医療・介護現場において、自信を持って臨めるよう、この時間を共有していきましょう。
IMG_4424.jpg


ICFの概念が世の中に示されたのは2001年のことです。
私が理学療法士になったのは1987年ですのでICIDHの時代となります。
活動と参加というキーワードをことあるごとに耳にするようになっで久しいですが、
新しい価値観を身につけそして運用できるようになるまでには、何回も繰り返し反芻しなければなりません。
私も特に活動と参加を意識して念頭におきながら思考過程に落とし込んで行ったきっかけは
2011年の震災でした。
一瞬にして生活の場を失ったその世界は、改めて既成概念を再構築する必要があります。
災害支援をきっかけに、普段知り合えない専門職の方々、それこそリハビリ専門職として普段接している
OTやSTにおいても改めてその文化を再認識する機会となったことが鮮明に思い出されます。
つまり制度や業務といった形あるものを遂行していくというスタンスから、自らが考え行動していくことで
刻々と変化する復興への足取りを感じとることが求められるからです。
荒涼とした場において、エネルギーが生き物のようにうごめき渦巻いていることを肌で感じます。
より原始的な何かが目覚め、DNAの奥底に眠っているタイムカプセルが発動するかのようです。
このようなシチュエーションの中においては、いわゆる平時の序列はあまり意味をなしません。
年齢、性別、何かの肩書きや経験年数などは、ほぼ意味をなさないのです。
胆力ともいうべき、単に社会におけるキャリアという人が取り決めた暗黙の規制のなかでの
序列は、人のあらゆる思惑などが交錯して、後がつっかえている状態です。
つまり本当の意味ので今現在のヨーイどんでのメーターの振り切るパワーによってのみ
その場を打開できる唯一の指標となるのです。
一面の砂漠のような光景のなかで、社会や会社での肩書きは紙切れでしかありません。
突っ立っていても何も変わらないからです。
社会においては部下がいてスタッフが周りを動いてくれるから何かがなせるのであって、
その何もない状況において声を上げたところで、そのインフラも組織もシステムもなければ
場合によっては体力優先というべき場面もあるでしょう。
尊重されることによって成り立つ社会ではあるものの、0から芽を出すためには生命力そのものが必要です。
社会の枠組みにもたれかかって生きていると、サバイバルの状況においては脆さが露呈します。

今覚えば本当の意味での作業療法士、言語聴覚士、保健師の皆さんの真の姿に初めて触れた瞬間だったのかもしれません。

活動と参加において「生活動作の専門家」というフレーズはどちらかというと作業療法士さんの専売特許です。
アクティビティーという単語は、作業そのものを体現化した表現だからです。
敢えてカテゴリーとして分けると、生活動作の「生活」は作業療法士で、「動作」は理学療法士に比重があるのかもしれません。よって生活動作というフレーズにおいて生活場面が想定される作業療法と、動作というムーブメントが想起される理学療法において、また違った色合いが見えることでしょう。
このように押し問答というか禅問答のように一つの言葉について堂々巡りをしているのは、一つの言葉における定義が実は最も大切だからなのです。
決して知識とテクニックありきではないのです。タクニックも知識も定義を前提として理念の上に走らなければ、意図しない方向にさまよってしまうからです。例えばサッカーにおいてもいかに素晴らしいキック力があったとしても、場面場面に応じた適切なタイミングで出すことができなければ、止まったボールを蹴ることが得意であっても実用性がないものとなってしまいます。よってその技術を
どの場面で
どこに、
どのように、
どのような順番で、
どのような加減にて、
どのような連続性をもって、
次の展開を考えながら、

使うことによって生きてくるのです。

ということで今回は2コマの講義でしたが、ひたすら前提条件としての理学療法士の専門性をいかに社会の時流のなかで、世界の動向のなかで、世のなかのあらゆる法則と照らし合わせながら、軌道修正していくか?そのノウハウについてレクチャーさせていただきました。

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