人も街も『ありのままに受け入れる』介護

Category: ほんわか日記
昨日は地元兵庫県に帰省して、諸々の用事を片付けて来ました。

高齢化が進む町では、病院も少なく同業のリハビリ専門職も殆どいません。

デイサービスもいくつかありますが、利用者も少なく、少々の認知症があっても独居にて暮らしています。

特に変形性の運動器疾患にて、完全にロコモで、自立して生活している人はかなり多い印象です。畳の生活も多いです。

東京ではおそらく危ないから外に出ないで…椅子の生活にフローリングということになりそうです。腰が90度曲がっていようかと思われる方が、電動自転車に乗っていたりと、東京ではおおよそ見かけないような光景もあります。

おそらく首都圏では、健常な人が基準となり全てが成り立っているため、そこから当てはまらない場合は、全て介護や行政などの制度にしてしまおうとする思考が、独自性という一人一人の個性ともいうべき適応を、妨げる流れを感じます。問題や課題を見つけて、制度の狭間を丹念にみていく姿勢は、専門家としての役割かもしれませんが、敢えて探し出して詮索しているようにも感じます。

つまり専門家として自己確立するために、学術的なステージに乗っけてら新しい用語と定義を造り、机上にて議論しているのです。定義はあくまで一つのスタイルであって、現実はその定義に当てはめるものではありません。

ご近所ではお茶っ子のような、いわゆるサロンが自然発生的に出来上がっているようで、屋根付きの駐車場を簡易場所として、かならず毎日同じ時間に集まり、若い人が(70歳代)がその上の世代の方にお茶を入れたりと世話をやいているようです。

歩行能力が低下することが、自立への要員とされていますが、ここではそれはほとんど当てはまらないようにも見えます。徒歩3分でさえ困難でも、電動自転車に乗れていれば集会場にもコンビニにも行けるからです。

そのためには殆どクルマが通らない、裏道や入り組んだ路地やらで、四角四面に整備されていないからこその適応なのです。

お話を伺うと、こぞってデイサービスには行かんほうがいい…と皆で?支え合っており、元々医療機関が少ない、病院に行かない文化そのものも、自然に変化することに身を任せる姿がそこにあります。

つまり首都圏では、姿勢が悪くなることを、見た目の観点から嫌がる価値観が定着しつつあり、田舎ではその自然の摂理に逆らわない、ありのままに受け入れる気質があるようにも感じました。
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