臨床と将棋との類似点

将棋の定石は臨床においてはエビデンスになる。


詰将棋はいうなれば即時性と解釈できる。

しかしながら即効性だけでは、序中盤の駒組みがなければ終盤力を発揮することはできない。


形勢判断はもっぱら評価ということになる。


棋風とはその人の生き方や人生観を反映しており、いわゆる型ということになる。


写真🤳運動連鎖道場での研究的な視点による進め方の解説場面。

臨床においてもその人の人生観と一体化している先生においては、掛け値なしにリスペクトの念が湧き出る。

男が男に惚れるタイプだ‼️

将棋には大局観ということがよく言われるが、何万という棋譜と、研究会による切磋琢磨、AIによる活用!、そして経験などの融合した直感のようなところがある。

コマ数と指し方は決まっていることを考えると、かなり将棋においてはエビデンスである定石を覚えておけば、長考しなくてもポンポン指せそうなものだが、現実的には微差であれば不安や恐れなどの感情により、積極策よりも安全策を選択するものだ。

解説でも『怖いですね』という言葉がよく聞かれる。はっきりといい悪いではなく、日々の研鑽を積んでいるからこその最期の選択においては大局観という直感めいた自分を信じる将棋を指すしかない。

盤面の解説者は本当に詳しく、我々の全くわからない場面においてもスイスイと解説してくれる。こんなに分かっていたら、さぞかし対戦成績も良いかというと、どうもそうでもないらしい。

つまり解説や講義が上手いからといって、臨床においても相関するわけではないということだ。

学会とはまさに定石への道筋を問う場であり、臨床とは最善手を模索する場でもある。

その最善手もAIが先行している事を考えると、逆に言えば全ての棋譜を残し、検証できるデーターベースを江戸時代からも見つけることができるからである。

理学療法も学問として昇華しなければ、AIに落とし込むこともできないということである。延々とその人の人生のスパンにて経験則を繰り返すことになる。

棋士の魅力的なところは、解説においても女流棋士が聞き手になることが多いのですが、芸人なら間違いなく茶化すようなツッコミやノリが入るところを、淡々と最善手を指すように場面場面の言動を選んでいるところである。

突き詰めるということは、藤井四段ではないが将棋以外は無頓着なぐらいに注ぎ込まなければならない事を物語っている。

趣味や気分転換は大事であることは言うまでもないが、伸び盛りの勢いを永遠に続く実力だと勘違いしてしまうこともある。

段位が若くてタイトルホルダーになっている棋士においても、伸び悩むことも少なくない。

また棋士にも調子の波があり、努力し続けても必ずしも報われるわけではなく、しかしながらまた再浮上することもある。

臨床においても、画像などの検査データーにおける診断的な客観性や、投薬による効能などのように病理が対象なだけではないリハビリにおいては、棋士と同じく普段の努力か不可欠なのです。

最近のトレンドは駒組みや囲いをしないままに、居玉のまま攻め込んでいくことも珍しくなく、何でもありの世界になっているようです。

AI以前は格言のように1つの法則として『桂馬の高飛びふの餌食』のように、クリニカルパスに沿って指し進められてきたようだ。秘伝の巻物のような📜ものですね。

体系化されていない分野は、まだまだ人の経験と職人技が重宝されるわけですが、人間国宝というカテゴリーに入るわけではない医学の理学療法においては、臨床家においても棋譜を残し検証を重ねていく姿勢が必要不可欠となる。

将棋の素晴らしさは、必ず感想戦が行われるところだ。対局が終わったら、どんなに疲れていても10時間以上の対局の後でも必ず感想戦をします。

疲労困憊、負けた人は悔しい気持ちもありながらも、その場を立ち去りたい気持ちもありながらも、その場に留まり建設的な検証を繰り返します。

ほんとうにその手が最善手だったのか?

なにか見落としている手は無かったのか?

臨床においては感想戦とは、ひとりひとりを症例検討していくことになります。

どんなに段位が上でも、どんなに若くても負ければ『負けました』と負けを宣言する文化は本当に素晴らしいです。

経験や功績だけで全ての盤面にて正解が導き出せるわけではないのです。

また若手も先輩やトヅプ棋士に対するリスペクトが常に感じられる、対峙するからこその勝っても負けても、教えていただくという精神が若手には感じられます。





理学療法士の専門性について、事あるごとに叫ばれ自論に酔って狭い近視眼になりやすい、そして互いに非難と中傷の土砂においては、正にお山の大将で有り社会からの評価はなかなか上がらないでしょう。


卓球🏓やバトミントン🏸など、もともと下地はあったにせよ一気にメジャースポーツの域に上がってきた種目など、旬なスターが誕生するなど、オリンピックや、世界選手権など若い選手が結果を残しているのも目に付く。

若い世代が、それも中高生から、明らかに若い世代における世界への飛翔が確実に起こっています。

継承していくからこその歴史と重みができ、そのステージがあるからこそ新しい時代において羽ばたけることを忘れてはなりません。

決して自分ひとりの力で何かできているわけではなく、脈々と受け継がれた系譜においては、師匠という将棋界の制度において培われています。

また将棋の世界における師匠と弟子は、本当に理想形と言えます。

兄弟子も含めて一門と言われる繋がりが、責任と心強さにもなってくるからです。

常に急に何かが起こるわけではなく、長年の育成や方針の積み重ねによって、歴史は積み上げられてきます。

怖いもの知らずで潜在的な知覚にて指せる勢いのある時は、自分の方ができる!と勘違いします。
一局トップ棋士に勝っただけで、鬼の首をとったかのように振る舞う人もいます。

誰か一人の力だけではなく、世界のそして先人の智恵が今にも結集しているので有り、次代の若手はその歩みを進める義務があるのです。

そのためには先輩も若手も、負けは負けと認める風土がなければなりません。

つまりのところ臨床家は大局観を磨くために、研究と技術と知識の研鑽と、日々の振り返りを、繰り返し、繰り返すことで、いくつになっても新しい発想と新しい風を感じれる感度と、受け入れる柔軟性と好奇心を持ち続けなければならいのです。
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