「巧みの技」

Category: 人生訓
人の三倍努力することができれば誰もが辿り着くことができる!

 日本古来の職人さんが皆そうであったように、決して表舞台にでくることはせず、ただ探求の道を歩むという、その姿勢が職人魂なのでしょう。

医療と介護の中でのスキルというのは、本当の意味ので社会に対峙するというよりも枠組みのなかで適応するという、視点が制度に向きがちです。

宮大工や伝統工芸などの職人さんは、人の2倍も3倍も突き詰め深く掘り下げており、そこには含蓄があります。ただ一方で後継不足に悩んでいることも確かであり、やはりそこは現代における社会的な知名度が不可欠です。

そして世界に発信することで、改めて国民の関心を高めることも必要です。関心を高めるためには、世界の経済システムとしての流れに乗せることが不可欠です。

生活できるということの道筋が見えないと、入って来にくいのが事実です。就職というニュアンスとは職人として技を極めるというのは、結びつかないところもあります。世界の誰もがチャンスはあるということと、かといって全くの平等かというと格差があるわけで、その格差というのは理不尽であるということとは別に、立場と実績によって自ずとついてくるものであるのです。

その平等意識を取り違えると、大きな失敗を招くことになります。若いときに痛い目に遭ったほうが・・・というのは、まさにこの勘違いによってもたらされるのです。若いときには、その勘違いが信用と信頼を得るための下積みや、社会のなかで構築されている、いわゆる学力だったり進学だったりという、がんばった証としての正規の路線であったりを、それが全てではないとか、勉強ばっかしやって社会性がないなど・・・いつの間にか、それがあたかも自分を正当化させるエビデンスかのように解釈しだすのです

ところが世界は本当に当たり前の優秀だという人材が世界を動かしていることがわかります。その当たり前の基準である規定路線を、無視してただ都合よく不公平だと感情論で現実を見えなくすることで、あたかも自分の思うことが世界のルールだと言わんばかりになると、ただひたすら不満と不平を周りにぶちまけることになります。それは、積み上げたものがないにもかかわらず、自分が思い込んでいる自己評価と、社会の評価が吊り合わないからなのです。最低10年は下積みをして、誰もがわかりやすい世界標準の業績を残していくことなのです。

それは学校の宿題や試験をやりたくなかったように、自分のやりたいことをやるということとはまた違うのです。つまり、自分のではなく、周りや世間が有難いと思ってくれるようなことだったりします。だから必ずしも今興味あることではなかったり、やりたくないことであったりするのです。やりたいこと、好きなことだけをやっていくことで、それを早く今ここで認めて欲しいというのは、あまりにもご都合主義というものなのです。

世間の風潮が若者の意向を最大限に汲み取ろうとするメディアを中心として流れがあるものの、それはあくまで表向きの心象であって、社会は純然たる縦社会なのです。

理学療法士を冷静な目で見つめてみると、何をすべきか、どうするべきか!ということがボアっとわかってきます。

周りの人と人との関係を大切にし、一期一会という気持ちで接することです。

私利私欲で知り合いを選んでいると、最短距離で登っているつもりが、モノレールにて一気に一駅進んだつもりが、必要物資が届かず、挙げ句の果てに壊れた部品を用意していないということに後になって気がつきます。

つまり車検だ保険だといった当たり前の制度は、特に自らの興味と関係ない!といった考え方です。

そして自分のは甘く、他人には厳しくなります。

自分の気持ちが第一なので、当然自分に甘くなりがちです。

話を戻すとPTは相当な下積みと、何事も長くじっくりと取り組んで積み上げていくことなのです。

そのような立場であるということ肝に銘じておきましょう!

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