統一感があるからこそ個性が光るす

「緻密さ正確さ」が「日本らしさ」

リオオリンピックの閉会式で、日本のプレゼンテーションをダンス💃の振り付けを担当されたMIKIKOさん。

改めてそのマインドと到達した境地を探っていきたいと思います。

一糸乱れず踊って見せるのって見た事ないな、と思ったのです。沢山のダンサーが楽しそうに踊っているのはいままでも見ていましたが、角度が正確に揃っているダンスを披露されたことはないな、と。なので、日本人の性格の様な几帳面なダンスを見せたいと考えました。

日頃、PerfumeやBABYMETALのメンバーにも「全員のフリが揃ってからこそ、各自の個性が見せられるんだよ」
角度のピッタリ揃ったダンスが日本らしさに伝わると考え、振り付けしました。

それぞれの道のプロが集結していたからこそのポジティブなぶつかり合いは結果として素晴らしい化学反応になった

圧倒的にプリミティブな日本らしさ
プリミティブ (primitive)「素朴な」

自分たちらしさを追究する結果が「日本らしさ」に繋がる。

誇りを持って肩に力を入れすぎずに自分たちらしく今を表現する事が自然に日本的な表現になるという現象が4年後もその先も、大事なのかなと思いました。その意識で作品を生み出し続けなければいけないと考えております。

以上がMIKIKOさんの、インタビューコメントでした。

私自身も最近、時代の潮流の変化を感じることが多々あります。
共生と共存にこそ個の輝ける役割があると…

よくサッカーでは個の力!と言われますが、この個の力が強調されて結果が伴ったことはほとんどありません。負ければ個の力が、足らなかった!個の力を磨かなければならないと言われますが、それは団体スポーツにおいて、自分オレの意識が大きくなってしまい、自己中心的な思考に陥りがちです。

ヨーロッパやアフリカのナショナルチームの大半は、ユーロ圏リーグのチームに所属しており、それでいてもなかなか勝てないのが国際大会です。日本の選手も海外に所属して活躍する選手が多くなって来ましたが、ヨーロッパや南米のレベルからするとかなり落ちます。日本で一人でもマドリーやバルサのメンバーが居たら、きっとW杯で優勝できるかのような期待と幻想を抱くでしょう。勝負事はリアリストでなければなりません。

日本の選手が海外のチームで認められる理由の一つは、協調性であり献身性となります。代表に帰ってくるとピタッと存在感が出せない選手もいますが、それは周りの雰囲気や選手たちに鼓舞されているからなのです。決して自分だけの力でパフォーマンスが出せているわけではなく、あらゆる必然性とシチュエーションがそうさせているのです。隙間を埋めあわせる気遣いや細やかさが、チームにとって有形無形の力となるのです。しかしながら日本に帰って来ると、主力となります。お膳立ても何から全て自分にかかって来ます。それだけ海外にて活躍しているということは、期待されるわけですから、みずからが作り出さなければならなくなります。

もちろんサッカーにおいてもディシプリン、リスペクト、などおおよそサッカーの技術や戦術とは違った気持ちの面でのキーワードが頻繁に出てきます。IOT時代に突入した昨今の時代において、文化や伝統などはありつつも、より良いものを参考にして取り入れていくことはもはや当たり前のことであり、そうでなければ取り残される時代となってきています。当然、自国の伝統的なものが失われたり衰退することがあっても、他国からの価値の評価によって改めて見直されることがあります。往々にして他人のことは見えても、足元は見えていないことなどは日常的に存在します。


海外から見た時に初めて日本の良さがわかったりするものです。もちろんガラパゴス化することで、または素晴らしい価値観や気質が時として弊害になったり、それが権力者によって利用されることがあります。献身的で耐え忍ぶ人柄の日本人を、リスペクトなくして無理難題を押し付けて業績を上げることなどは、ブラックと言われる企業の温床にもなるのです。世界中に格言や教えがあるのは、どの時代においても人が陥りやすい誤ちは変わらないということです。その度に反省と再発を防止するための策が講じられるのですが、その教訓は生かされないこともままあります。それは実感したり体験しない限りにおいては、人は学習しないからです。制度や規則はその度に決まってくるのですが、いくらその時に議論して作ったとしても、やはり最終的には誰かの思惑が入り込むわけで、なかなか吟味されたものが世の中に出ても、一般大衆目線ではこれはないだろう!ということも多々ありますね。しかしながら、これはないだろうも…価値観の中にないだけで、新たな創造となる可能性も秘めています。イノベーションとは反発の中で芽吹き、そして時代の流れや運もありながら息づいていきます。そこに至る過程は、アップルのスティーブジョブスやFacebookのザックバーグにおいても、少なからずオイオイという面は多々あります。人として私利私欲なく万人から賞賛される生き方が良しとされますが、時にずるい部分などは必ずあるものです。後になってみれば成功の結果において、その功績だけが称えられることになります。

しかしそれには圧倒的な説得力がなければならないわけで、伝説となるためのエピソードが必要です。そのエピソードは意図してできるものではなく、運のような力が必要です。意図して操作することもあるかもしれません。

その過程の中にはスキャンダルなどの紆余曲折がありますが、それがその人の人生において大きくダメージとして残らないなどの運も必要です。

ある程度社会的地位に上り詰めて、凌ぎを削り合うような殺伐とした中から抜け出ると、ようやく感謝の気持ちや余裕が出てきて、いわゆる社会的立場に見合う社会貢献活動へとシフトしていきます。


『様式美』日本には型というものがあり、その所作に日本の美があります。
静から動!
その刹那に日本の特色が現れます。
躍動感ではないので、その辺りは文化の違いがあります。顔に出さないこと、表情を変えないことなども特徴です。歌舞伎においてもお化粧はしっかりと表情を表していますが、基本は所作や睨みと言われる目の表現などにより、醸し出す雰囲気が主となりなっています。分かりにくいといえばそれまでですが、その特徴を敢えて意識して自覚することで個性につながります。黙って背中で見せるなどの美学は、時として全ての人に当てはまるわけではなく、そのあたり前の空気は人をシャイにさせてしまうこともあるはずです。暗黙の了解という文化を作り出し、それが無言の圧力として、まかり通ることもあったでしょう。しかしながらビジネスという世界共通の土壌に立った時に、ダイバーシティという多様性を目の前にした時に、阿吽の呼吸や個人間でのみ成り立っている威厳や上下関係は、成り立たなくなってしまいます。
明治維新の時はもちろん知りませんが、一部の開国派の人達は、追いつき追い越せという気概にて、そして国を思う気持ちから決起したその姿は、挑む気持ちはあっても、気後れすることはなかったかもしれません。歯を食いしばってでも挑むというその姿ですね。

どこの国においても権力者が支配する時代を経験し、そしてその反省から成長して行きます。そして明治維新以降、その上に乗っかって利得を得んとする、権力を欲するものが現れます。そして時代を国を支配していくことになるのです。
そこからの反省の時代を経て、改めて自己否定から肯定へと転換する時代が今なのです。
これは例外なくどこの団体や地域においても、人という単位においても繰り返されます。歴史から人はなかなか学べないものなのです。警鐘を鳴らしても、大衆の心理や世論、そして扇動していく何かの力に叶わないのです。
新しいものを作り出し、そして見て見たいという欲求が人を生き物の根源です。資格とはある意味その枠を作ってしまうカゴになる可能性もあるのです。おそらくあらゆるもののしがらみや、枠組みを取っ払って、本当の意味での一生懸命、必死さを取り戻せだ時に何かが変わる、変われる、変えられるのだと思います。

他者と自分、外と内、海外と自国、などなど巣になった時にイノベーションを起こせる自己が確立されてきます。
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