運動連鎖道場in北九州!スタートしました。

久しぶりの更新になります。
先月から門司にて運動連鎖道場in北九州がスタートしました。
九州は熊本の震災にて大変な時期でもありますが、九州全土から参加者が集まっていただき本当にありがとうございます。
参加者は回復期から急性期、そして外来から地域包括病棟、療養病棟、訪問看護ステーションなど様々な所属からの参加となりました。
運動連鎖道場に集まっていただいた皆さんに最初にどこような意欲や希望があるのかを聞いているのですが、
部分と全体をどのようにつなげていくか?
治療効果をどのように持続していくのか?
その時はいいけれど翌日になったら戻ってします。
転倒予防につなげたい!
運動連鎖を学びたい!
スポーツ現場にて予防やパフォーマンス改善につなげたい
動作分析
評価の視点
原因と結果
一つの関節→全体
上記のようなキーワードがでてきました。
などそれぞれが真摯に臨床に取り組む中で、直面する問題に真正面からなんとかしたいと切に願っていることが読み取れました。目の前の患者さんをどのようにすれば、より改善に導くことができるか?その気持ちが伝わってきます。
それは自らの専門性の軸はなんなのか?ということに尽きると思われます。
まず動作分析ですが、この動作分析がリハビリ専門職である理学療法士と作業療法士の専門性であると認知されている節はほとんどない。運動学と解剖学を勉強し、動作分析や歩行分析は臨床の核となる評価ツールではあるものの、それが直接的に治療やアプローチに結びつかないというジレンマがある。現に私もそのようなジレンマを感じたことがあった。しかしながら根気よく続けていくと、そこに無二の専門性があることに気がついてくる。多くのテクニックや方法論が存在するか、そのどれもが手段であって目的ではない。そしてそれが理学療法の専門のテクニックや技術であるということは言えない。つまりどのような治療方法も手段にすぎないのである。目的は治すこと、治ること、良くすること、このように簡単に言われるが、良くするということの内訳はなんなのか?
軽くすることなのか、痛みをとることなのか?変えることなのか?その刹那的な一瞬に我々は没頭した時期があったことは否めない。それはあくまでセラピスト側の満足であり、患者や一般大衆の望むところとは少々ずれているところがある。
一番満足感に浸るのは、セラピスト自身になってはいないだろうか?常に自分でなければさらに良くできるんではないだろうかという思いは忘れてはならない。
良くすればいいだという価値判断はどこにあるのか?どこに置いているのか?「今までのところで良くならなかったから」「今までこんなふうにみてもらったことがない」「痛みがとれました」「軽くなりました」ざっとこんなところでしょう。確かに行き着いたところが自分であったかもしれない。それは各々に役割があり、持ち場がある。そして専門性があり、各々の立場にて役割を果たしている。運動学や動きをベースとしたコンセプトは理学療法士の教育課程を考えると、それは明らかに専門性であるのは我々に必然的にならなければいけないのである。その我々理学療法士そのもののベースがそうなのである。自分のところでよくなる人も当然いるのだが、それは別の視点からみると自分のところで良くならなかった人が、他の場所に行ってよくなっている場合も多いにあるということである。人は自分にプラスになる情報についてはことさら記憶に残り、そしてそれによって自分の価値を誇張しようとする傾向がある。しかしながら、それは賛否なのである。大切なのは自分の方法論を提供することではなく、その人の問題点を動作というなかに結びつけることで患者自身が何が問題で何が課題であるかを気がつくことなのである。そこの気づきが与えることができる専門家こそが我々なのである。治療効果とは治療者の思い込みが大半であったりすることは、自分が治療を受けてみてわかる。それでもなんらかの変化があることによって、良くなったと言わせている空気を作っていることがある。
他動的にどうにかして良くなったと言わせることは、それは既に押し付けそのものでしかない。
社会保障のなかに組み込まれる活動や態度そのものが大切なのです。
道場初日としては歩行分析を皆で考えていきました。
動作分析のポイントは視覚的にどのように見えるかということともに、内在的にどのような連鎖が背景にあり、その連鎖を動きの中でどのように包括的されているかもいうことです。つまり見かけ上は、すでに代償動作の可能性があり、本来の姿から補正された表象であるのです。
わかりやすく言うと見た目での現象は立ち直り反応などで修飾されており、額面通り捉えると本来の身体機能とは違う評価をしてしまうということです。
そのためには先ずは身体機能を評価し、その機能があるどのように動きに繁栄しているか、または見えなくなっているかを評価します。
つまり足関節の動きであれば、その機能評価をすると概ね動的な予測がつきます。
しかしなが実際には真逆の動きが出ていたりすると、その理由を改めて考察することになります。このように例え機能的に正常でなくても見た目は、恰も何事もなかったかのような様を呈していることがあります。
内在的な運動連鎖と観察的な動きとを重ね合わせることで、イメージの中でシンクロさせ、身体のダイナミズムに思いをはせることができるのです。
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