恩師

Category: 人生訓
大きな存在がいらっしゃらなくなりました。

インソールという理学療法において全くといっていいほど入っていなかった荒野を開拓し、そして確固たる方法として世間が知ることとなったその功績!まさしく入谷先生なくては成し得なかった偉業です。

また理学療法としての真髄を極める中で「動きに始まり動きに終わる」その真理に行き着き、そしてその結晶が足でありインソールであったのでしょう。

入谷先生には名言が多いです。

数々の治療家に影響を与え、そして人生の目標であり、臨床家としてのあこがれでもありました。

目標とするにはおこがましいと思いながらも、その存在があることが我々の勇気になっていたように感じます。

私よりも深い付き合いのあった理学療法士や山ほどいらっしゃると思いますが、

私にとっても入谷先生の存在はリスペクトそのものです。

日本人が日本のなかで日本のオリジナルとして創り出した治療方法およびコンセプト!

そのことが私に取っても励みになっていました。

ふと思い返すたびに、言いようがない喪失感が押し寄せてくるような・・・

改めて絶対的な存在であり、羅針盤であったと感じます。

職場などでは誰がいなくなっても確かに困るのですが、それが例えいなくなったとしてもなんだかんだで回っていくものだったります。

しかしながら変えがきかない稀有な人であったことも確かです。

インソールを学び、そしてインソールを扱える人はたくさんいると思いますが、果たして今まで足と歩きの研究所でみていたクライアントが、先生以外の人であったとしても満足するのだろうか?

同じものを作ったとしても、その魂の差が如実に現れるように思います。

そこが敵わないところなのです。

外野ではいろいろな話もよく耳に入りましたが、それでもその偉大な功績と、そして目の前に患者がいて、その取り組む姿勢においてどうこう言える人はいないでしょう。

スイッチが入る・・・その入り方が半端ない!

小手先のテクニカルや安易な結果に浸るメランコリーでは決して到達しえない領域です。

忘れないうちに多くの思い出を書き残しておきたいと思います。

私が初めてお会いしたのは学生時代、昭和大学藤が丘病院での臨床実習でした。

平成元年だと思いますが、当時三年生の短大の三年生で2期目の実習でした。

当時からレベルの高さは知れ渡っており、その後著名な先生方が山ほどいらっしゃる病院でした。

私も実習のさなか多くの先生方の見学をしていたかと思いますが、その時に入谷先生はインソールを始めたばかりの頃だったように思います。

黒い少し固めのスポンジ素材で内側アーチにパッドを入れることで、中臀筋跛行の患者さんの歩容が改善するというものです。昭和大学のすごさは単にテクニカルな方法論だけが飛び交う場所とは違い、医師並みの医学的な知識の研鑽です。明らかに医者に見えるのです。積み上げ的なその深さは、医学という知識をしっかりと身に付けた、そして文献や研究をベースとした検証が背景にあるのです。当時から昭和大学藤が丘の学会発表数はずば抜けており、一回のPT学会にて10以上の演題がでてくるようでした。

当時、入谷先生はインソールのみというわけではなく、普通に肩の患者さんや股関節の患者さんの運動療法や治療もしていました。また大学病院ですので脊損などあらゆる患者がいるわけで、当然クリニックのような典型的な外来整形患者だけではなかったのです。

「上位頚椎の患者さんの理学療法においてもすごくて病棟から聴きに来ていた・・」
「インソールがいわれてるが、本当にすごいのは運動療法だ・・」

時期は前後しますが、インソールという代名詞だけではなく、人の機能そのものに造詣が深かったということなのです。

例えばあるテクニックに長けていても脊損の患者さんのリハビリにおいて、その用途はごく一部であることは明らかです。

つまりは理学療法とは何が専門というと、ある分野や方法論ではなく、医学全般に造詣が深く、その上で老若男女、あらゆる疾病におけるリハビリにおいて医学的な研鑽の上に成り立っているということなのです。

確かに人の身体機能は感性や感覚などにて補える要素が多々あり、それは理学療法士ということではなく、治療家としてのスキルといえます。しかしながら、あくまで医学なのです。その医学たるなかに理学療法があるということなのです。

もちろん医学という側からのみ見つめることで、自分たちの都合のよい自分たちの価値観にて押し付けてしまう可能性は否定できません。患者さんの満足度という指標がクローズアップされ、本当の意味での全人間的な見方と価値観が隆盛してくるなかで、いつの間にか医学という軸が薄れたきたことは確かです。

ひと昔とは違う、患者の立場に立った、活動や参加とそして意欲を引き出すような多角的なバージョンにアップした新たなモデルとしての医学的な治療体系が必要なのです。結果的にはよくなればいいのですが、その良くなるという現象が、どのような観点に立脚しているか?ということが問われているのです。

このような思考過程に至っているのも、入谷先生からの影響はかなり大きいと言えます。

そのあまりにも昭和大学藤が丘のリハビリレベルの高さに、到底私なんかがついていくことはできない!と学生時代は思ったものです。今でもその思いは変わりません。私自身は確かに運動連鎖アプローチという一つの形を示してはいますが、これはいわゆる本来あるべき医療従事者としての世界的なスタンダードなスタイルからは、外れているといえるからです。つまり普通に積み上げていって何かを成し遂げていくという、当たり前の手順を踏んでいないからです。

アイデアと思いつきという直感に頼って、そして多角的な視点から眺めることでその共通性を見出し、それを原理原則として理念として不変性、普遍性を導き出すような、同心円状に渦巻きながら中央に集約していく手法なのです。

浅くて広いのです。

しかしながら医学は深くて狭いのです。しかしながら運用する段階では人や社会という立場に立脚することなのです。

学生時代どういった経緯かは忘れましたが、入谷先生の御宅に泊めていただき朝食をご馳走になったことを思い出します。目玉焼き?があったようなかなったような・・・奥様もいらっしゃいました。
そしてそのまま実習に行きました。その日は朝の勉強会の日で入谷先生は少し遅れてご出勤でした。
「わるいわるい」といつもの口調でしたね。

実習の打ち上げの場面もよく覚えています。一緒に実習をしていた同級生がカラオケをしていて、楽しく騒いでいたことも思い出されます。

昭和大学藤が丘に就職しないか・・と誘っていただいたのも入谷先生でした。なぜ私なんですか?「真っ白だから」と言われたのは憶えています。真っ白ということは頭に何も入っていないということなのですよ。これがまた・・・いい意味では先入観がないということであり、逆にとると世間をわかっていないということなのです。

しかしがらとてもそのレベルにはついていけないことは自分の能力からして明らかでしたので、同じく大学病院で関東圏内のところを探して慈恵医大柏病院に入職しました。

スポーツリハビリの分野に進んで研鑽し、そのなかで昭和の藤が丘は整形外科分野では常にトップランナーとして走っており、誰もがその姿を追い求めて多くの研修生が巣立って行きました。

入谷先生、山口先生、福井先生、そして山崎先生がどっしりと構えておられ、どのどれもがアカデミックで学術に根ざした研究をベースとした臨床でした。

理学療法士がインソールにてアプローチし、しかも歩容の改善により機能障害を改善させていく様は、まさに新たな光が差したかのような輝きがありました。多くの理学療法士が研修に訪れ、理学療法士が医者にみえるような、一人一人がプライドを持って取り組んでいることがわかります。

学術的な研究をもって臨床をする。ドクターと対等の立場にて知識とスキルを磨き、学会発表と論文をバンバンだしていました。

入谷先生はインソールにてあらゆる疾患に対してアプローチしており、どうしてインソールにてそれほどまでに変わるのか?当時は全てが新しくて斬新でした。新しい道が開けたことで、我々は夢と希望に満ち溢れていました。

その全てを理学療法に捧げる姿を垣間見えたことは幸せだったと思います。

運動連鎖アプローチ研究会でも3回はお呼びしたかと思いますが、札幌では実際に患者さんをお呼びしてデモンストレーションをしていただきました。どんなに講義を聞いたとしても、臨床のテンションを間近で見れることほど勉強になることはありません。

講義のときとは違い、デモンストレーション場面になると急にテンションが変わったことがわかりました。
その瞬間スイッチが入るといった感じです。

圧巻の臨床においては、まさに「ひつこい」ぐらいにとことん突きつめていく姿がありました。

一切の妥協はしない!常に理学療法を考え、臨床を考え、人生を捧げたという意味において絶対に敵わないと思わされました。
インソールにおいては、いろいろな意見があると思いますが、それでも唯一無二の存在であったことは間違いありません。

何よりも多くの選手や患者さんに支持され頼られていたという事実があり、今後はその功績と遺産をどのようにして守っていくか語り付いていくか?

運動連鎖インソールも結局は入谷先生の遺産でしかありません。入谷先生がいなければ私もインソールを始めて、そして運動連鎖インソールなどとおこがましくも名乗ることは無かったでしょう。

今現在、理学療法士がやっているインソールのツールは入谷式インソールであることを自覚し、みだりにその功績を汚さないようにしてほしいものです。オリジナリティとしているかもしれませんが、ほとんどがマイナーチェンジをしているだけで、大元のコンセプトは変わりません。自らが気がついたことで変化がみられたことは、オリジナリティであると思いたくなる傾向が人間にはりませす。歴史を知って本当の意味での検証をすることによって、自分のやっていることが浅はかであることがわかるでしょう。

大きな巨星がいなくなったことで、私の中でもまだ信じられない気持ちがあります。
まさか、こんなに早く逝ってしまわれるとは・・・

いまはただ安らかにお眠りください・・・合掌
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