脳卒中片麻痺患者の起居動作と生活動作

シルバーウィークの後半2日間、埼玉教育会館にて伊藤克浩先生によります「脳卒中片麻痺患者の起居動作と生活動作」の研修会にて講義と実技を披露いただきました。
 伊藤克浩先生はご存知、ボバース協会の会長であり、協会の理事としても職能業務執行理事として国に対する要望書をまとめ上げ、理学療法士のために闘っておられる姿を間近で拝見しておりました。この、業界のために本当にイノベーションを起こそうとするならば、教育 、研究 、技術 、職能、政治、全てに精通していることが必要です。我々は職人としてのカラーが色濃い職能集団です。特に若い方で自信を持つことの最大の素養は臨床にあります。この臨床能力を盾に職能を語るまたは自らの気づきの過程や、影響を受けたことのインスパイアを発信し共感を得る。概ねこのパターンになります。SNSなどで目立つのはこのタイプです。そしてあたかも自らがメインストリートを走っているかのように…。ところがストリートは、本当は京都の碁盤の目のようにはりめぐされており、研究に力点を置くもの、職能でも地域に根ざし病院から社会に出ていう可能性を広げるもの、JICAなど海外での活動を通してグローバルリズムに展開しているもの、様々な理学療法士としての価値があります。理学療法士の専門学校を出て、そして純粋にそのまま理学療法士になるのはおそらく心身ともに生え抜きとなります。大学になると一般教養科目が増え、また他の学部生と交流も持てるのでサークル活動などを通して、少し視野は広くなるかもしれません。学校教育の臨床現場のそして、臨床を磨くということは凄く全うなことでありながら、身につけなければならない素養や教養は社会に出てから自らが選択して出ていかなければなりません。つまり責任を持つということにおいて、職人としての背中を見て学べというような、時として大きな組織に対する旗手になることも多々ありました。臨床を極めるが故の辿りついた境地!その尽力と努力は人の知らない何かを得たという、その人にしかわからない何かです。そのたどり着いたと思っている?一つの視点から物事を、なっとらん!できていないと非難することになりがちです。私自身が現状へのアンチテーゼがベースとなり運動連鎖アプローチ研究会を、立ち上げた経緯があり、若い時には現状の打破!という行動に出ます。しかしながら、それはこの業界の進むべき道を真ん中に戻したいという思いがあったからです。恐れ多い発想ですが、振り幅のとちらか端になると、それはバランスを欠くことになるので、センタリング王道としてのバランスを保ちたいと思うわけです。その真ん中は振り幅が大きくなればなるほど、より太く大きくなります。
個性的な先輩方を見て育った自身てしては、自らの理念やあるべき姿を思う気概を、その背中に感じることができました。それは真剣に理学療法士としての未来を考えてのものです。
ところが最近は自己というものがキーワードになり、自己顕示欲という実は半径2メートルぐらいのスケールです。SNSになると世界とつながっているように思えますが、実のところ誇張と誇大が繰り返され、その思考と活動における発展性は周辺に止まります。それは10年後の姿を見れば明らかになります。
その職人的な理学療法とはかくあるものだ!と臨床能力イコール理学療法士としての価値という自負が実は職能や政治という視点に向かわなかった最大の理由ともなっています。現在は職能と政治についても、格段の進歩を見せています。その恩恵の元に理学療法はあるのですが、普段我々が政治に無関心であるようにインフラや公共機関そのものに感謝することはありません。当たり前だからです。あることが。そして自らが特に誰の世話になっているわけでもないように感じてしまう…誰かの世話にものすごくなっているように思えないのです。身近な家族や同僚ならまだしも、少し離れると上司や理事長、行政の役人、国と規模が大きくなるとますます感じられなくなります。そしてその大きな存在は、大方現状への不満の矛先になります。最近は、そのプロパガンダは理学療法ではなく、その目的は自分への先導なのです。
このような言動が先鋭的になってくるのは、自らの危機感が背景にあるのです。つまり不安が大きくなればなるほど求心力を保つために、先鋭的になってくるのです。その先には協調性や共存といった視点は皆無で、あくまで都合の良いところや自らが目立つところだけは出てきます。
不満や批判という隠れ蓑にて、表向きは業界を変えよう!ですが、実のところ職能集団としての霧散と対外的な力の低下になっていくのです。つまり掲げたプラカードは何も功をそうしないのです。

話が長くなりましたが、伊藤先生は理学療法の創生期からみると、創生期に限りなく近い世代となるでしょう。そして創生期からの薫陶を受けついだ世代になると思います。私もおそらく、そこに入ってきます。つまり、時代の流れが早くそのなかでバブルやリーマンショックそして医療介護の改定が次々に敢行され、激動のなかを臨床に管理者として運営に、教育に、そしてそのなかで培った理学療法士としての確信をもって、職能拡大のための政治というステージに活動の場を展開していることになります。インターネットやスマホなどともすれば、それだけでついてこれない世代がいてもおかしくないなかで、見事にその情報発信ツールを使いこなし、そして機微に時代の流れを読み解いています。

伊藤先生の講義と実技を聴講し体験するなかで、相当な見識の広さと比較検討、つまりあらゆる情報に対する受容と選択の繰り返しをされてきたことが伺い知れます。

実は一つの技術や知識にて極める以上に難しいことは、時代の選択として何を見て何を取り入れそして歩んでいくかということになります。何かの考え方や思考パターンに陥ると、人はその思考に囚われ排他的になります。そのバランスや客観性はどんなに本を読んでも、勉強をしても手に入れることは難しく、日々の実践のなかでの繰り返しになるのです。
私など及びもつかないほどの経験と場面のなかで培われた、臨床感であることは疑いようの余地がありません。
つまり、職人でありながら職人たる枠に収まらず、理学療法・リハビリテーションの根源へと行き着き、そしてそのためには社会のあり方、理学療法士を取り巻く環境や医療介護保険のあり方、のための行政や政治への参画などに行き着くのです。
理学療法士は自らのやりたい事に固執する傾向にあります。やるべきことではなく、やりたいことに偏るのです。やらなければならないこと、よりも自分の自己顕示欲による、一攫千金、一躍スターダムにのし上がる手段としてその欲求を叶えるツールとなりがちです。それは理学療法ではないベンチャー起業などの成功体験と、自らの立場を重ね合わせてしまうのです。あらゆる情報やあらゆる成功本が山ほどあり、理学療法士も経営の本やあらゆる自己啓発や自己成長のためのセミナーや本があります。またそのようなセミナー講師やセミナーも増えており、リハビリ業界にも波及しつつあります。市場があれば今やどこでも侵食するのが当たり前の時代ですので、本文を忘れて、いかようにも洗脳されるのです。そして何が悪いんだ!と正当性を自己完結させます。つまりは理学療法士そのものが社会的に高い地位があればなんらそんな発想にはならないのですが、なまじっか治療法として巷に類似した業種があるものだから、勘違いするのです。鍼灸や柔整は開業権があるじゃないか!整体は無資格じゃないか!なぜ理学療法士はダメなんだ!おいおい!その論法が世界の理学療法士の中で通じると思うか?世界の理学療法の質と信頼を貶める行為だよ。そんな、一見論理的に筋が通っているかのような、都合のよい日本の事情など知ったことじゃないんだよ。何もないところから理学療法士そのものが独立開業することの資質を構築する時に、今のままでいいと思うか?6年生の医師がいるにもかかわらず、我々の教育課程でいいと思うか?鍼灸や柔整と理学療法士では歴史も経緯も違うんだよ。50年の歴史しかない、後から入ってきた理学療法士が、周りの先駆者により追随するには同じ条件ではなく、より高いレベルの教育課程による全ての国民や世界の理学療法士に冠たる存在でなければ、ただの個人のスタンドプレーだろう。それなら理学療法士にこだわる意味がわからない。別にそんなに問題だというならば、さっさと医学部に入って、鍼灸柔整を取ればいい。海外では理学療法士が鍼を使えるライセンスを有しているところがありますが、それはすでに日本では鍼灸師がいるんですよ。自分目線の見方しかできない、つまりその権利があるかのように勘違いしている輩がちらほら見受けられます。それは一部なんですけどね。大半は真っ当な理学療法士としての真理を追究しています。真っ当に進んでいる人たちは、そんなに吠えたりしませんから。論点が技術やテクニック論に偏りがちで、それは全て自己目線。本当に社会や患者さんからの目線に立てているのか?目の前のクライアントからの賞賛とニーズにのみにて構成された論法は、近視眼的であり最早、専門家とは言えない資質です。さっさと整体師と名乗って理学療法士にこだわらなければいいだけなのです。患者を良くすることが本分なら職業にこだわる必要はないでしょう。理学療法士は理学療法士としての日本の事情とそして世界の事情を鑑みて粛々と歩みを進めるのみです。もっと自らの道に自信を持つことです。その明るい未来を必ず実現するために、あらゆる思いをそのマグマを未来に向かって結集させないでどうするんですか?

皆さんの不満は我々の治療家としての認知でしょう。治せる専門家としての確立を求めているのでしょう。そのために個々の資質やレベルをという論法は私が理学療法士になった四半世紀以来延々と続けています。残念ながら常にその尽力はいつの時代でも繰り返され、そして素晴らしい臨床家とされる人たちは山ほど出てきました。何も今の時代に特別声をあげて叫んでいるわけではないのです。先人の積み上げの元に、インフラ整備されその道を歩んでいることを忘れてはいけません。
常にイノベーションか、求められていることは明らかであり過去の何かに囚われない発想も必要ですが、思いつきにて発する前にしっかりと歴史を検証しこの世界が業界が歩んできた道と性格を把握し、共能して一致団結なくして未来はないのです。会員か10万人、そして高い組織率を誇っていることが、どれだけアドバンテージになっているか。そのことの事実とそして今は職域を取りに行くために国と地域のニーズにアクセスすることが必要な時期なのです。我々のやりたいことを提供するのではなく、望まれている形に適応して提供することにより、そしてらそれは専門家としての矜持を持ちつつです。そして受け入れてくれるパイを獲得したのちに、本当にやりたいことを推し進めていくのです。顧客が居なければ全ては絵に描いたモチです。テクニカルや治療技術偏重では我々の職域を拡大させることはできません。リスペクトや他人を認めること、時には賞賛なくしては発展するはずがない。このような輩は往々にして自分目線のみのアウトのみです。

研修会報告のつもりでしたが、伊藤先生にはその臨床家としての矜持とともに、我々の未来を常に視野に入れて闘っておられる理学療法士の先人です。そのことが私にとって素晴らしい技術以上に心にのこりました。

内容につきましては、また続編にてお届けします。
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