運動連鎖道場in南魚沼 始まる!!

運動連鎖アプローチの取り組むべき道





 6月21日、ゲリラ豪雨が毎日のように降りしきる新潟の地で、運動連鎖道場がスタートしました。
運動連鎖道場に参加したてのころ、参加者が少なからずカルチャーショックを受けるようです。これが運動連鎖なのか?つまり運動連鎖といえば一般的には関節運動学的な理論体系を思い浮かべるからです。しかしながら、実際には臨床ではその範囲をもってしても解決できない事例が山ほどでてくるわけで、そこに行き詰まったり、危機感をもって参加するセラピストが多いようです。何故にフィジオ運動連鎖アプローチ協会の提供する運動連鎖アプローチ®は、最初は衝撃をもって受け止められるのか?私は少しずつ回を重ねながら、臨床のなかでのリアルタイムに起きている事象を組み立てていきましたので、いきなり突飛な発想を持ってきているつもりはないのですが、その経緯を知らなければこれ新たなりで、確かにびっくりするのかもしれません。それは理学療法の専門性とは何かという理念の追求と、どうしたら治るのかという現実的なテーマとのなかで、人の治るというメカニズムと身体機能の原理原則を照らし合わせながら肉付けしていった体系だからです。この体系は日々進化し形を変えながら柔軟に社会の時世を飲み込みながら発展していきます。まるでアメーバかブラックホールのように取り込み、そして形状記憶を繰り返し可変しながら突き進んでいくのです。
 私の背景には、理学療法に自信の陸上競技長距離ランナーとしての経験と、そして東洋医学としての鍼灸マッサージ、カイロプラクティック、整体、オステオパシー、ボディーワーク、スポーツ現場でのトレーナー活動を通して得られた知識と経験と、大学院の修士課程で触れた神経生理学、実験心理学、被災地リハビリで見聞した限界集落での現実、などが自らの思考と身体に地となり肉となりながら、臨床感という理念となって太く強い芯へと進化を遂げていきます。
またWCPTやフランスの理学療法士との交流なども私に大きな影響を与えてくれています。

運動連鎖道場ので目標

・リハビリテーションという理念・哲学を旨とする。
・抗重力下での姿勢制御能力など、疾患などに寄らない原理原則を理解する。
・部分と全体、多角的なプログラムの立案ができるようになる。
・プロトタイプのツールを提供するのではなく、個々の問題点から独自のプログラムを組み立てられるようにする。
・ロコモティブ、動きから問題点を抽出し、動きにより対処できるようになる。
・触察による動作分析能力を身に着け、独自の身体法則を見つけられるようになる。
・身体機能と身体イメージの融合により、運動学習を促していく。


上記のような理念を掲げて、運動連鎖アプローチはあります。つまりは、技術や知識も理念や哲学を旨としなければ、時代の変化と進むべき時代へのアジャストを見誤ることになるのです。


理学療法士の担うべき予防とは何か?
本当に結果を出せる理学療法士になれば、予防はできるのか?
予防といっても介護予防もあればスポーツ障害予防など各種の予防があります。理学療法士が提唱する予防とは、身体の使い方を変えることで痛みや機能障害を予防しようとするものです。しかしながら、それは単なる治療技術を研鑽することだけで果たして達成できるのでしょうか?このような身体の使い方をすれば良くなりますよという、その方法論で果たして本当に予防ができるのでしょうか?日本の理学療法が培ってきた文化は、まさに患者を良くする変えることができるという誰もが疑いの余地がない旗印となります。しかしながら、それは私が理学療法士となった25年前から、常に先輩方より指導されてきたことであり、それは脈々と受け継がれ遺伝子が引き継がれていきます。にもかかわらず、我々の提唱する身体の使い方における専門家としての理学療法士というイメージは浸透せず、なおかつ我々の提唱する予防が本当に効果があるものなのかどうかという検証も実証も確証もありません。共通したフォーマットもプログラムもアウトカム方法も、そして何より対象者の選定やプログラムの期間や募集窓口なども何も決まっていません。つまりは我々は病院という玄関を目的とした患者が、診察を経てリハビリを処方された患者を自動的にみているにすぎないのです。つまり我々を目的にまっすぐにきたわけではないということす。一番大切なことは、玄関まで来るということ、門をくぐるということ、そしてその気持ちにさせるだけの価値があるというふうに思われているかどうかということです。

またリピートもリハビリがあるからきているのか、診察や投薬などがセットとなって、何より病院という安心感によってきているのではないか?と考えるべきなのです。診察を受ける安心感は、まだまだ理学療法を受けることの価値とは比較になりません。いやそんなことはない!と日々対峙する患者を見れば、満足度も断然良いし、何を言っているんだ?とお叱りをうけそうですが、統計学的にみればきっとその我々が思っているような値はでてこないでしょう。それをもってしても、腕のある理学療法士がいないからだ・・・俺がいれば絶対評価が上がる・・・と思っている人もいるでしょう。皆が全て名人になって、そんな団体になれば患者は全て良くなり、予防もできる…と。しかしながら腕自慢は新たな職能ではなく、目の前の変化を求め、追求するため、政策や施策といったロードマップを描くことができません。あくまで個人だからです。自分ができているという思い込みを前提としているため、世の中を評論することの権利を得ているかのように思ってしまうのです。
しかしながら、そんなことを何年も続けてきた結果、というよりそのように思い込む思考を続けた結果、何が残ったのか?自分は評価を下げている一因ではなく、周りの腕が良くないからだ、悪いのだと思いがちです。それは階層性の中で、自らがトップランナーであるという個人の思い込みによる何の論拠もなきものなのです。
世界に出れば、学会などパブリックの場面もありに出れば、自らの知見とスケールの小ささに気がつきます。だから悪いんだ…俺はこんなにできるのに…この思考のスパイラルは、他者を認めない受け入れない、あくまで自分がトップであることを欲しています。よって確かに努力と才能はあるとしても、それに見合った自分が考えるポジションが欲しくなるのです。リーマンショックのリーマンブラザーズの番組を見ましたが、其処には他者を叩き潰すマインドが蔓延しています。トレーダーの場合は、実績というわかりやすい数値があるからでしょう。ところがセラピストの場合、臨床で結果を出しているという結果は、目の前の成功体験のみなのです。それを本当に比較検討するべきマインドを有しているかどうかが、その努力と思いの価値を決めるのです。
最初は皆、一生懸命、何とか良くしたいと思い努力します。そして目の前の患者は良くなってきます。それに伴い、他人と比較するようになります。どうして、他のセラピストはこんなことができていないのか?そんな事例に出会います。自分が特別な存在へと思い込み出します。周りからの評価を得て当然だと思い出します。そして、評価を得るようになると、そのポジションからさらに上に行こうとします。この時点で権力や名誉といった欲に移行します。表向きは臨床なのですが、別の顔は自己顕示欲となります。そうすると世の中に出回っている成功の法則、錬金術や心理テクニックを簡単に使い出します。これが地味に努力ではなく、一足飛びに飛躍するための手段としと当たり前になってしまいます。周りは全て利用するための材料に見えてきます。そしてそのマインドが完成し、最早何が最初のモチベーションであったかを、思い出すこともできなくなります。すでに少しでも早く成功することだけに執着することになるからです。そうすると勝手に自分の価値を高いと思い込んでいるその高さから、降りることができなくなります。この高さは自称なので、全く客観的ではありません。つまり総じてプライドと言われるものになります。プライドが高い!少しでも落ちるような傾向は、怖くて不安でしょうがないのです。確固たる確証もにもない中で、自称な訳ですから、それは絶対評価でなく、狭い身内の中での、限定だからです。社会や世間の評価では全くないからです。

自らの一挙一同全てに価値を付けようとします。自らの動いた分は全て社会の評価に報酬に反映させたいと…。世界全体の資本主義そのものが、そうなんでしょうけどね。そうすると延々に毎日評価を役割を賞賛を、与え続けられなければ満足できない気質になります。地道はイノベーションと時として対になります。IT関係は、特に汗水というよりも、画面の中での操作になるからです。思考は自ずと1と0になります。このグローバル化においては、個人が基本となるのでしょう。しかしながら個人はジャパンになり得ず、個人は真のグローバル化にならないのです。社会のために、日本の発展のためにと、個人は思考というかカラーが結びつかないからです。何故か国や大きな組織には組み入れられないのです。鼻持ちならないというか、扱いにくいと思われるからです。トップか究極の扱いにくい人であれば、部下の個人主義は小さなものです。何も変わらない。変えられないからです。本当のジョブズは、ガレージからの個人主義にて世界を変えました。
其処には根源的な哲学があるからです。自己顕示欲は文化でもなく、歴史でもありません。カウンターカルチャー、ヒッピー、禅や思想、その真髄に通じる森羅万象の絶対意識こそが、イノベーションに不可欠な要素なのでしょう。

現代は、ないものを最大限に見せようとする文化でもあります。無いものというのは築き上げたものでなく、場合によって一山当ててやろうという意識が働きます。地道ではなく三段跳びいや10段飛びで飛ぼうと・・・しかし、それはあくまで全て自分のためなので、自分にプラスになる場合にはものすごいパワーで従います。一方で餌を延々と欲しがるので、そんなにいつまでも美味しいものを与え続けることは不可能です。やがて美味しいものをくれなくなると、ぶーぶー文句と不満を言いだします。大義名分として建前はいいことを言うのですが、実際の行動が伴っていません。頭ではわかっているのですが、欲望と欲求とのバランスがとれないのです。一般論は理解できても、自らのことになるとまた別物になってしまうのです。それは日々不安だからです。積み上げたものが極わずかなので、少しでも実績があると誇張したくなります。
 しかし、それはもう一方で真剣であるということの裏返しでもあります。真剣に考えれば考えるほど理不尽さや、世の中の慣習など、ばかばかしく感じるものばかりです。努力と思いがダイレクトに返ってこないからです。それは当たり前ですよね。皆が努力しているわけで、結果は努力賞ではないからです。自分が思う努力と結果と成果が、業績と実績となるには世の中のスケールにそっていなければならないからです。一攫千金のような夢物語りはありません。

若くしてのプライドはあったほうがいいかもしれません。しかし、そのプライドが延々と続いている人は、どこにも行けなくなります。つまりはプライドが通用する箱の中で延々と守るしか無いからです。


実は理学療法の業界の流れをみていると二極化しつつあります。世の中も活躍しているスポーツ選手は明らかに若者であり、世界レベルです。一方で若者は覇気がないなど。。。ネガティブな側面もよく耳にします。世の中に適応するとおじさんたちのターゲットになるような輩になり、突き抜けるとなるとそれはスポーツ選手など結果が全ての世界でしょう。その結果には誰も文句のつけようなないからです。社会はどうでしょうか?慣習とヒエラルキーは相変わらずあり、上下関係の明確な基準はありません。結果が全てといっても、その一場面でのみ優劣を判断することはできません、それまでの経験や業績や実績など、リスペクトするべきものが沢山あります。しかし、若者から言えば、その肩書きや過去の栄光だけで延々と上から言われても、現在はどうなのか?ということになります。つまりは、線ではなく点で物事をすぐに判断して評価してほしいという気質なのです。点で評価するとは難しいですね、その線も即座にというスタンスです。費やしたエネルギーそのものに直ぐに答えてほしいという、入れ食い状態です。

二極化とは上記のようなダイレクトアクセスの先駆けの言い分としての、自分の腕で食っていこうというような一見聞こえはいいそれでいて共感を得る文言にて、個人主義という意識を先鋭化させた人たちです。法律違反なはずですが、一人が踏み出すとそれはすでに決壊した川のように節操がなくなっています。誰かがやっているからという先例が、本当はダメなはずなのに、大丈夫じゃないかという安易な解釈です。都合のよい解釈が先行して、都合の悪い解釈は何故か抑えられます。

若さとは心理学でいう定跡に見事に整合することが多々あります。赤ちゃんから子供そして大人になるにしたがって、原始反射が抑制され、情操面でも感情や本能をコントローできることになります…なりますと言いたいところですが、知識と知恵がつくだけで、現実には常に煩悩がもたげるのが人間なのです。

道場とはおおよそ関係ないような話になってきましてが、現実的にはリハビリとは?と問い出すと、このような人としての根源を突き詰めることになります。また特に学術や技術においても、結局は人が考えそして営むものです。

知識も技術も結局は扱うのは人間であり、その行先や使い方を指南するのも人間なのです。自らの自己顕示欲もアイデンティティーも、結局は仕事としての理学療法士を通じてできることが多いわけで、その裁量こそが魅力となっているのです。その裁量が自分に任されており、義務が少ない仕事なのです。責任も決定もしないでいい、患者や仕事自動的に流れてくる、そして自らの腕を披露して自己満足に浸れる、そんな側面がある仕事はそうそうないかもしれません。看護も介護も確かにその人の裁量はあるとは思いますが、その前にやらなければならない絶対的なマニュアルと時間管理の中での仕事があります。我々も回復期という枠組みができることで、徐々にルーチンワークが多くなってきました。おそらく外来中心のクリニックから、病棟中心の病院への変更は少ないでしょうし、選択としてはあまりできないでしょう。それは、外来のライブ感覚と結果という変化への探求が、余りにも心地がいいからです。

運動連鎖道場でのモードを、病院や事業所にいかに転換するかは、またさらなる健さんとアレンジが必要な一仕事になります。私もあらゆる施設や病院を掛け持ちしながら、その難しさとしかしながら共通した理念を掴み取る研鑽を続けています。リアルタイムに皆さんの悩みや課題を共有できる道場へと、発展させていきます!
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