本当に治っているのか

本当に治っているのだろうか?

患者さんをみていると、本当に治っているのだろうか?と疑問をもつことがあります。つまり入院から外来、そして介護保険が始まり通所と訪問リハビリが新たに職場として選択されるなかで、環境が変わると見えるものが違い、そして実際に在宅までの経過を追うことができるようになってきました。
そうするとその場面では良くなって変わる人が多々いらっしゃるのですが、実際に在宅にまで行く機会があってフォローすると、生活に活かされていなかったり、また再度転倒して入院を繰り返していたりということがあります。

もちろん高齢者の場合には風邪をひいたり、体調を崩すだけで機能が低下していくものですから、全てが理学療法のみで健康になるわけではありません。つまり健康という観点から考えると、理学療法で良くなっているということは、つまりはごく一部を担当しているということなのです。全てを網羅できるわけでもなく、健康の上に運動機能や身体機能があるということなのです。特に超高齢化社会においては、病院のリハビリ室のなかで行なっている治療が、そのまま生活や活動に即座に反映するわけではありません。自らの健康と身体を考えても、理学療法士であったとしても運動を続けることは難しく、そして自らの身体の不調や痛みを即時的に治して、永続的に消し去ることはできないでしょう。

 患者においてはすごく良くなっている印象があるのに、何故に自らの身体においては治るイメージが持てないのか?それは自分の身体が特別悪いわけではなく、患者においても全くもって同じことなのです。ただし、不思議なもので患者はどんどん良くなって自分の腕が特別かのように思ってしまうそのような心理状況に陥るメカニズムこそが解明不可欠なのかもしれません。では、何故にリハビリ室のなかではものすごく良くなっているように思えるのでしょうか?確かに目の前の患者さんは良くなります。しかしながら、かなり意識が高く自ら実践してくれる人においては、特別な方法でなくても良くなるような気がします。ところが大半は家ではできない、忘れてしまうということが多く、それ故に良くならないということにおいて、我々の責任の範疇にない、義務は果たしたということになります。それよりも目の前の変化や改善という我々にとっても最もドーパミンのドバドバ放出される機会こそが、心地いいわけですから・・・

 この場合、良くならない人や、良くなっていなくて自然にフェードアウトしていった患者については、記憶から消し去る傾向にあります。不思議なことに人間とはそのようなメカニズムが働くのです。街でイケメンや好みのタイプの人とすれ違うと、その記憶が重なり東京は本当にイケメンやかわいいひとが多いな~ということになりますが、それは脳の認識が都合のよいものを見て余韻に浸っているうちに時間が過ぎているからです。

つまりは自己のなかで良くなっているという機会が多いということは、それは確かに腕がいいのだとは思いますが、問題は継続なのです。即効性が大切だということが外来やスポーツでは言われますが、確かにその通りですがそれだけでは意味がありません。また関わることによって周りの環境やスタッフの協力あっての治療効果でもあるのです。病院という医師がいて診察があって検査があって、他者からの意見と知見があって、そのあわゆる英知の総合の一つとして理学療法があり、結果的に総合的な力によって良くなるのです。また通ってもらうためのモチベーションが不可欠です。あたかも自分の力で患者を呼んでいるということもあるでしょうが、実際に来るということは多くの要因が重なっての後押しなのです。どんなに自分が関わって良くなったとしても、近くで便利な病院ができれば、そちらに行くということになる患者は山ほどいるのです。美容院のように遠くてもそこに通い続けるというのは、やはりおしゃれという意味での絶対的なモチベーションがあるからで、病院のリハビリにおいてその絶対は特に個人においてはなかなか得られません。著名な先生であっても、その人によって患者が集客できているかどうかというと?です。その場では賞賛を得ていたとしても、時には紹介があったとしても、それは知り合いの知り合いという範囲であり、全国から集うほどではないのです。

 それよりも病院のシステムとして検査と一体となった独自の体系を有している、そこに優秀なスタッフが常駐しているからこそ繁盛するのです。つまりは、有名な女優や俳優を起用した番組や映画やドラマを作っても、実際にはヒットしないことも多々あるように、確かにその俳優は視聴率をとれるということもあるでしょうが、ストーリーなどの作品に恵まれて初めて活かさられるのです。よってそのプロデュースから宣伝まで、一人の力できることは限られているのです。

よって何か一人でやろうとした時には、誇張したり誇大広告を打つことになってしまいがちなのです。地道に地域に密着して開拓していくという、その地道さこそが成功というよりも社会貢献できている一番の方法なのですが、その過程をいきなり飛び越えてより早く成功しようとします。病院では待っていて良い治療をすれば感謝されて、その余韻に浸ることができるため、いつの間にか自分の力だと過信をしてしまいます。

本当に良くなっているのか?ということの問いの一つに、本当に我々が一度みて未来永劫良くなり続ける人はほとんどいないということです。急性腰痛で急性だからこそ即時的に楽なるような、そのような現象であれば即効性ということになるでしょう。なぜならば、ぎっくり腰は動けないところを動けるようになるのですから、ゴールはそこにあります。しかしながら、本来はその過程や背景やその後の、動けるけれどもまだ少し違和感や、残る機能障害について取り切ろうとすれば、そこからは長い道のりが待っています。その過程に関わることの覚悟と決意こそが、本当に良くなるということへの一歩なのです。

気持ちですね・・・マインドです・・・・
行き着くところは知識と技術だけではなく、続けることの強い意志と気持ちなのです。
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