ビッグデーターと理学療法

理学療法にビッグデーターを活用する

現在、医療に限らずあらゆる産業にてビッグデーターの集積と解析がおこなわれ、商品開発や新しい産業に役立てようとする試みがおこなわれています。汎用化することにより、効率性と機能性を求めていくということです。つまりは、直感や職人としての技は医療人として常に求め続けていくべきものであることは間違いありませんが、それだけでは歴史を紡いていくことは難しいこともあります。人間国宝や無形文化財など、汎用化できない唯一無二の存在というものが、日本の追求してきた道であることも確かです。

理学療法士が身体の使い方をしっているというその自負は、果たして本当に世の中に認知されているのだろうか?
少なくとも知られていないという声が聞こえるの中で、50年間並み居る先輩たちが尽力されたなかで、それでも不十分だということなのだろうか?それともここまでの歩みがあったからこそ、現在の位置があると考えた方がいいのでしょう。つまりは、今まで以上に先輩方は文献や医療を意識して、そして世界を意識して牽引していったことは間違いありません。このような文化はとても私の理解を超えているものでした。理学療法士になったばかりのときは、本当にこれほどまでに勉強をしなければいけない職業とはつゆとは知らず、周りの環境に引っ張られて現在の自分があるということです。よって、その流れを構築していってくれたのは先輩方であるということです。その上で現在の流れを見ていきますと、その上にたって理学療法士という保証というか社会的信頼をもってあらゆる活動をしているということです。自分のやりたいことをそれぞれの価値観にて、考えにそって歩んでいるもののそれはあくまで自分という尺のなかでの活動になります。大概はその道ができるまでの先駆者の苦労は、達成されれば忘れ去られていくのが歴史の常です。若者がのし上がっていくためには、利用するということがなくしては人生経験も人脈もないわけですので仕方がないとことかもしれません。ましてや理学療法士としての先行きが不安であれば、若くして何かを早く成し遂げようとしていわゆるビジネスモデルに手を出そうとすることもこの情報化社会においては規制しきれないのです。

全ては先行きの不安が、なせる技です。
将来への不安や、思うような活動が仕事にて、できなければ、あらゆるジレンマを抱えて自らの理想とる考えにそって一歩を踏み出そうとします。
その踏み出すきっかけは、その人にとっては必然性があり、それしか選択肢がないこともあります。

第50回学会はものすごい企画と運営能力をまざまざと見せてくれた、圧巻の学会でした。よく私は自分だったらこんな発想してたかな?企画してたかな?こんなシステムを組んでかな?選択してたかな?と考えた時に、とてもできなかったな…と思える場面が山ほどあります。つまり私の価値観や判断や発想外のところで、結果的にものすごくよかったところが山ほどあるということです。1人の人間の判断や発想は、間違ってはいないものもっとベターやベストはあるということです。改めて多くの人たちのチカラを活かせる組織や認めるマインドが必要不可欠なんだと思われます。

理学療法士は本当に粘り強く、我慢強く、また諦めずに問題解決を成し遂げようとする人種です。
じっくりと取り組ませたら右に出るものはいないのでは?と思えるほどに地味に積み上げていきます。この気質に合わないというか、目立ちたがりやのエゴイストにとってはアドバルーンを上げたくなりますが、地道に地力をつけていくこの業界は必ず浮き上がって行くことでしょう。悲観的なネガティヴな話題や話もよく聞きますが、それでも信じて進む人たちが牽引していくことになります。ただし、大半は長いものに巻かれることになるわけで、やはり個人の気持ちだけに責任を任せるのは限界があります。先行き見えない五里霧中において、誰もナビゲーターがいない中を歩けと言っているようなもので、その先に光を見出せる人が牽引して見せていかなければなりません。個々の研究発表のレベルの上がり方は凄まじいものがあり、はっきり言ってこの分野では遥かに私の上をいっています。またこのロジカルな思考は理学療法士としての思考のベースを形作ってくれます。つまりは研究思考としとの考え方が、より普遍的な思考となり、理学療法を民間療法のイメージでない、医学に押し上げるのです。比較検討して自分のやっていることを冷静に判断できること。
同じ良くする、治ると言っても、自らの技や方法のみをクローズアップさせる思考はすでに理学療法ではないのです。


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