呼吸

運動連鎖道場ゼミコース第3期vol.4報告
ブリージング


昨日は運動連鎖道場ゼミコース第3期の4回目の講座でした。早いもので6回シリーズの4回目になりました。
バイラテラルセンタリングアプローチのバイラテラルに着目したセミナー形式の研修と、anatomy of breathing~の英文抄読の訳を道場ゼミ生に発表してもらいました。そのあとに、呼吸と運動連鎖についての講義と実技です。

センタリングとはバイラテラルの表象によって構築される。

この、原則に則って考えた時にバイラテラルに感覚入力を与えることによって、脳の中にセンタリングのメカニズムを発現させることができます。

ではフィジカルのチエックはどうするのか?いわゆるパフォーマンステストのような、目に見える形での左右差を見ていきます。スタティックだけではなく、できるだけ大きく動かしてエンドフィールのエリアにて評価していきます。

つまり姿勢制御の幅は各々に個人差がある中で、体力やパフォーマンス能力の高い人ほど大きなスケールにてみないと、その左右差はわからないのです。

特にボディワークにおいては、その真髄は、エンドフィールのその先にさらに合理的な何かを組み合わせて、さらに動かせないか!というところにあります。

リハビリ対象者は日常生活動作そのものが損なわれているので、エンドフィールエリアは危険なことも多々あります。つまりはリハビリにおいては、グイッと動かすことが禁忌となるのです。

ところが軟部組織のリリースは臨床において必要であり、そのための方法としてモビライゼーション、筋膜リリース、ストレッチ、などの他動もしくは自動的な方法があり、抗重力下での姿勢制御を高めるための方法として、筋力強化、バランスエクササイズ、体幹エクササイズなとがあります。最近ではファンクショナルエクササイズや、筋膜リリースそのものをストレッチポールやボールを使って自動にて行うツールもあります。
つまりは、運動と他動的に施術する効果をミックスさせたようなコンセプトの開発です。

これこそが軟部組織そのもののエンドフィールをリリースしながら、自動にて動くという要素が取り込まれたコンセプトになります。
またそこにボディワークのように一連のフォーマットを習得することが目的ではなく、トレーニングとしてオールアウトしながら追い込める、つまりは追い込みながら、回数とセットにてプログラムできるコンセプトが主流となってきているのです。特にスポーツ選手にとっては、よりスポーツパフォーマンスの臨場感と近いものがいいわけで、それは補強とよばれる類のものでなければならないのです。フイットネスでいうエアロビなとのエクササイズや、ボディワークでいうレッスンは、そのものが種目であり、競技になってしまうのです。スポーツも競技であり種目なので、改めて長く努力して習得しなければならない類のものなのです。
目的ではなく手段として、一助として使うべきな方法が体幹トレーニングとして一躍飛び出てきているのには、それなりの理由があるのです。

つまりはフィツネスを彷彿とさせるエクササイズでもなく、ボディワークの流れをくむワークやセッションでもなく、踊りやダンスで使われるレッスンでもなく、トレーニングなのです。

このトレーニングこそが体幹トレーニングとして体幹をリードしているのです。

インストラクター、セラピスト、体育、スポーツトレーナー、フィジカルトレーナーなど、それぞれの立場にて文化が違います。その文化の違いが体幹を扱っても、それぞれ違う色が出てくるのです。

アナトミーブリージングの書籍の素晴らしさは、理論的に解明されたものを裏付けされているわけではないものの、その人の本質の概略を捉えようとする、そのスタンスにあります。日本では医学教育そのものは、医師のカリキュラムと縮小版のような構成になっていますので、包括的に人間の機能を見るという視点が理学療法士における独自性が希薄です。

呼吸の読み物として、身体全体を通して躍動するというそのコンセプトは素晴らしいと思います。もしかしたら海外のほうが、もっと人間を科学から切り離しての包括的な視点を有しているのかもしれません。東洋への傾倒など、西洋人のほうが日本人よりも、よりその東洋的な文化に精通しているのでは?と思えるとがあります。スピリチュアルな世界感などは、その異なる価値観があるからこその造形と言えます。
日本人はもともと東洋ですので、当たり前の中で、むしろ西洋的なものに特化して進もうとしています。医師が代替療法について取り入れて寛容であったりとすることを考えると、我々は何かを確立して成し遂げていないからこそ、こだわりから抜けられないのかもしれません。そのこだわりは何かを成し遂げている人が貫くからこそ様になるわけで、何者でもない段階では、それはただの意固地になります。単なる自己判断の思いつきと変わらず、その視点は独善的になります。つまりはこだわりが足かせになるのです。人に影響力を与えることになるには、社会のルールや法則にも乗りながら、そして自らの意思をもって一貫して進んでいくことが不可欠です。この社会のルールや法則さえも、自らの価値観にてバッサリと切ってしまうことは、それは勘違いに等しくなります。

海外からの~法というものは、大概は人の名前が入っており、その独自の探求の中で人を包括的に見る傾向にあります。
日本の理学療法士や、作業療法士は、何か一つアイコンを見つけると、そこに狭く深く入り込もうとします。そして排他的になりがちです。この文化というかスタンスからの、脱却がなければ真の国際化にはならないでしょう。

良く観察して試して、その想像力に深く入り込めているのかもしれません。日本人は創造力ではなく探究心ですね。細かく打ち込んで、誰にも到達できない領域にまでたかめる。しかしながらそれは科目が決まっていたり、宿題として出された時にきっちりと仕上げてくるという几帳面さと勤勉さによるものであり、真似をしてアレンジすることの上手さ、適応することの上手さによるスキルと思われます。

新しい価値観を創造したり、作り出したり、アピールしたり、ディベートを通して深め合うそのスタンスが欠けているのかもしれません。

いずれにせよ、呼吸にともない全身が調和するというのは、運動学的にも必要な要素であり、その呼吸の妨げはあらゆる心理的、身体的に影響を及ぼしてきます。

呼吸にともない胸郭の拡張と縮小を基本としながら、骨盤ではインフレアとアウトフレアに開閉します。この開閉は骨盤の前後傾を伴います。順方向に誘導するか、抵抗要素とするか?必ず矛盾の出る状況において、スタビリティがそこに生まれてきます。スタビリティとは拮抗であり吊りあいです。どこに拮抗を作り、どこに吊り合いを作るのか?またできるのか?そして円滑な呼吸に結びつけられるのか?
例えば吐く時はドローインとなりますが、骨盤においては前傾しずらくなります。つまり腰椎の前弯を減少させる方向になりますので、骨盤の前傾を保つためには拮抗した作用が不可欠となります。つまりが続きますが、吐く時はインフレアのAS腸骨であり、そこは胸郭動態と差分が出るのです。

その差分をつけるべきか?つけないべきか?各々の症例によって違ってくるのです。

次回、来月のの運動連鎖道場ゼミコースはテーマとして上部平衡系です。さらに呼吸も深めながら、ゼミ生と成長していきたいと思います。
スポンサーサイト

コメント:0

コメントの投稿

トラックバック:0