運動連鎖道場in佐賀修了報告!!

身体バランスに対するアプローチ

運動連鎖道場in佐賀県武雄市が昨日修了しました。4カ月間のシリーズでしたが、なんだかあっという間に過ぎた感じです。また天候が雨模様が多かったことも、とても印象に残っています。


武雄市の町の雰囲気はとてもよく、そのある意味こなれていないからこその心地よさがあります。佐賀県は確かに福岡と長崎に挟まれて、通過点という位置づけにあるようですが、だからこそ素朴な自然が残っていていいのです。
深い緑に囲まれ神仙なる街!そんな形容がぴったりの街でした。

最終日のテーマは頭蓋顔面咬合になります。特に身体バランスという点では平衡器官である三半規管があるので、実は足腰以上に重要なところでもあります。

私も左の補綴を入れ替えて噛み合わせが良くなったのですが、いつもより下顎が右に修正されたので、その適応に時間が必要となりむす。つまり右に修正されて正常になったのですが、以前は左寄りだったが故に身体バランスが変わるのです。左下の奥歯の補綴が欠落したその理由は、身体バランスの崩れによる左側の噛み込みにあったようで、明らかに左半身のテンションが上がっていました。筋緊張が上がり、筋肉が短縮するのです。そうするとどうしても左右の荷重バランスも崩れてきます。その左右の筋緊張は補綴を入れ替えることで、即座に治りました。しかし顔面や頭蓋はアンバランスになっていたのでしょうね。ボディは良くなったのですが、当りの変わった噛み合わせは、明らかに圧が変わります。右側の顔面に負担がかかり、全体的に右側のテンションが上がるのです。
修正して全体的にはプラスとなる方法であっても、修正された部分が全身に適応するためには時間がかかる、よく言うリバウンドがあるということなのです。

私も被験者として受けてみると、本当に皆さん腕が上達していて、理学療法士に限らず身体に対する造詣の深さ、能力の高さ、普段からの研鑽の積み重ねを感じます。

皆さん謙虚なだけで、治療家としてできる人は山ほどいることがわかります。自己顕示欲が強く、野心家である人が目立ってはいるものの、特別な能力でもなく、普通にやっていれば誰もが身につく能力なのです。

あとは理念と矜恃、創始者としての自負と思い入れの違いでしょう。説得力ですね。利用しようとするのか?自分のために安易に使おうとするのか?それによって腕ではなく、その後の価値が決まるのです。

以前に比べれば若いセラピストの柔軟な思考と型にはまらない自由な吸収力は上がっていると思います。私が理学療法士となった時とは時代が違うわけで、固定観念がないのです。その固定観念のなさが時に羅針盤の欠如と映る時もあります。新しい道を切り開くということは、時に行き過ぎの感もあり、自らの欲望と未経験による自己判断となります。
社会の移り変わりによる、立ち位置を見据えながらどこに力点を置くか?

現在の理学療法は、その狭間にあります。国や協会の進むべき方向に沿って、それがなんとなく何も考えてなくても帰属することによる集団と、自身を異端児扱いして特別感を有していても、所詮はアウトサイダー!大きな流れや動きがあった時にステージに居なくては、何もできないのです。それこそ負け犬の遠吠えにしか聞こえません。異端児と自称するならば、私こそが代表格のようなものでしょう。そこに我ではなく先人に対するリスペクトがなければ、相手にされるわけがありません。誰が批判を繰り返す輩を採用しようとするのか?それは、あるとすればcorporationが崩れる時ですね。
バスケット協会のように。

俺はできると言っても、自分!が出過ぎてはやりにくくて仕方ありません。結局。その人のために周りがどれだけお膳立てをしなくてはいけないかを自覚することです。全て自分の我がにより、自分一人で何かをしようとできると思い込んでいるその姿勢が、自分に注目してほしい病なのです。

メインストリームから外れても、アウトサイダーとしとの生き方はいくらでもあるので、自らの矜恃を崩してまで、また、迎合してまでやりたいとは思わないと強い信念があるならばそれはそれで、周りを巻き込まないことです。

結局は自分がそれなりの待遇にて迎い入れてほしいという、自らの力では何もできない依存型なのです。

ヤフコメ市民と同じで、評論家や専門家は山ほどいます。ではそのステージにたっているか?というとパソコンの前にいるだけです。自らがその立場に立てば、何かができるのか?周りが納得いく何かができるのか?Whatは誰でも言えます、問題はHOWなのです。それも、具体的なです。

そして自分のやり方だけでなく、公的な決まりごとに自分をなぞらえるかどうか!そこに分かれ目があるのです。

さてバランスプログラムですが、頭蓋を眼球運動にリンクさせて能動的な運動療法にまで進化させます。他動的な徒手療法が効果がないわけではないのですが、その効果の出方が違うのです。動いた時に汎用できるかどうかは、能動的なクライアント自身の治療への参画が不可欠なのです。

つまりは運動療法が単なるストレッチと筋トレという範疇を超えた、治療への進化が現代におけるトレンドとなるのです。古典的な方法を踏襲することは基礎ですので、そこは確実に押さえておくことです。しかしながらリハビリの世界では、その方法は特殊であったり新しかったりするので取り入れることはなんら問題ないのですが、それがあたかも従来の方法よりも優れていると思い上がるのは経験の無さを露呈しています。

古武道がボクシングや空手などの公的なステージに立っているものよりも凄いと神格化してしまうのと同じです。ルールがある中で、世界中の人たちが凌ぎ削っているその世界にて、公平なジャッジを得るステージにてチャンピオンにならなければ話しになりません。

野党が政権与党になった瞬間にボロが出まくるのと似てますね。ただ外野にてガヤガヤ言っているのがお似合いの人もいるので、それはそれでいいんですけどね。

東国原さんが県知事を辞めた直後に震災が起きて、結局知事であればもっと何かをできたはずなのに、早まったばかりにその貢献できる機会を失ったのに近いですね。どんなに批判されてもステージに立ち続ける人には敵わないのです。

若さとはそこにアンチテーゼがあるわけで、そこに特権があるのですが、時代に乗るかそるかは誰にもわかりません。

全ては結果論なので、ステージに立てている人がことさら偉いわけでもないです。維新や革命はアンチテーゼがメインストリームを出てくる機会であり、その機会がこないとも限りません。

バランスプログラムとは眼球運動。顎関節、頭蓋、肩甲帯までの平衡器官に対してのアプローチです。

従来型のバランスボールやストレッチポールではない、上部平衡系へのアプローチになります。

そしてその顎と眼球を使った、前庭動顔反射の促通をしながらの立位、片脚起立、ウォーキング、ステップ、へとつなげていきます。

運動連鎖道場in佐賀県にて!上部平衡系を活かしたウォーキング!


実は足腰と双璧にて大切なのが上部平衡系なのです。

子供達はこの上部平衡系が長けています。むしろ問題はフィジカルです。大人においては上部平衡系が落ちてきて、なおかつフィジカルにも問題が出てきます。お年寄りにおいてはフィジカルの低下は致し方ないところがありますが、この上部平衡系がどれぐらい保たれているかが問題となります。つまり90歳も超えると、お元気な方でも転倒する危険性が増してきます。これは明らかにフィジカルだけでなく、神経系にも要因があることは明らかです。


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