イントラアップデート第一回研修会修了報告

生活動作のための姿勢制御アプローチ

いよいよ始まった、運動連鎖アプローチ®のアクティビティへの展開、長らく治療という分野だけでなく、活動と参加につながる生活動作にどのように運動機能を結びつけていくか?その答えを模索して足掛け8年?とうとうその一つの着地点への到達しました。
 思えば私が非常勤で勤務している総合病院に8年前より、そのテーマへの模索が始まったと言っても過言ではありません。総合病院には回復期と一般病棟、そして老健施設と有料老人ホームがあります。外来もありますね。そこでは入院の患者がメインとなりますので、そのリハビリ現場をいつもリハビリ室にて眼にすることになります。いわゆる環境適応やアクティビティを中心とし、根幹としてはボバース法をベースとしたアプローチ。などを観察していました。当初は外来のみをみていたので、入院とはアプローチの視点が違ってくるのですが、このほど昨年より入院を中心とした介入をさせていただくなかで、改めてその難しさを感じていた次第です。そしてスタッフのアプローチがアクティビティ中心のいわゆるリハビリそのものが機能中心とうよりも生活動作への介入なのです。もちろん全ての取り組みがニューロリハビリとも言えるのですが、研究室レベルの手術室で行われる施術というよりも、本当の意味での在宅や生活に直結するための視点なのです。そしてそこに輪投げや選択干し、雑巾がけ、風船バレーがあるのです。このアイテムやデバイスを使って、自分の機能中心の運動連鎖アプローチ®をどのように落とし込むのか?輪投げや洗濯干しそのものが難しいわけではないのです。その手札をそのように自分の治療体系に落とし込むか?もしくは融合させるか?そこに入っていけないままに、ずるずると数年の歳月が経ってしまったのです。私は今までも自分の価値観というか考え方の中には無いな・・・と思われる手法やコンセプトに対して拒否するわけでもなく、無理矢理取り込むのでもなく、ただ馴染むのを待つというスタンスをとってきました。馴染むのをまつというのは時を待つというようなもので、無理をしない、言い方を変えれば理解しようと無理に努力しない・・横着な究極の方法なのです。何故に横着になるかといいますと、このような多種多様な価値観は世の中には山ほどあり、理学療法のなかにもそれこそ一生かかってもすべてを網羅することは出来ないほどに、多くの考え方があります。つまりは一つ一つに拘っていては、それこそあっとうい間に時間が経ってしまい、日々多用な症状を有する患者への対応ができなくなってしまうのです。解決するまで次に進まない・・・ということではなく、あらゆる刻々を出てくる新しい概念や価値観を一つ一つ吟味する時間がないということなのです。それほど現在は情報が溢れています。いくつもの立場や環境を同時に関わっていることで、広い視野が得られるかもしれないという反面、じっくりと一つのことをやり遂げることができないということでもあるのです。結局、良い意味で変わらないということが最終的には一番できないことであり、何かを成し遂げるためには必用なスタンスであることが多いのです。愚直に取り組む、諦めずに取り組む、投げ出さずに取り組む、これは一番難しいことです。選択肢が多ければ、とても一カ所に留まる必用も、必然性も無くなります。

 ということでイントラ研修会では最終的には、回復期や訪問リハ、クリニック、デイサービス、柔道整復師など、どのような環境においても応用ができるということが確認できました。参加者の道場生から、どのように応用していくかということで一人一人から意見を貰えました。

タイムスケジュールおよび研修内容
 AM講義&実技
 ①今現在、社会の変革のなかで、療法士に求められているスタンスとは何か? 60分
 ②生活動作のための姿勢制御アプローチ 講義&実技  100分
  課題:上肢拳上と姿勢制御アプローチ
  昼休み
 PM講義&実技
 ③口頭試問 ディベートタイム
  動作分析と姿勢制御
   ・動作分析における前額面の重要性とは?
   ・矢状面の正中の指標は? 
   ・水平面の回旋変位が起こるとき、その背景としてのストラテジーは?「臼蓋形成不全を想定して」
 ④生活動作のための姿勢制御アプローチ 実技  100分
  課題:膝伸展と姿勢制御アプローチ
     風船バレーへの応用
 ⑤生活動作への取り組み課題について各自想定を発表


 
 総括すると部分と全体という見方のなかで、理学療法はまだ模索段階と言えます。個別にプログラムをたててその人にあった治療を選択するという理想と現実的にその人に最も適した必用な治療とは、セラピストによって全く変わってくる可能性があるということなのです。それでもそれぞれに効果や変化を出すことができるという、どうしようもない矛盾もはらんでいます。つまりは十把一絡げ(いっぱひとからげ)にフォーマット通りに理学療法を実施したり、プロトタイプの治療体系への危惧が常にこのリハビリ業界にはあったのです。それが、昨今の治療方法偏重の傾向によって、見事に?これをやったら必ず良くなる的な、極端な言い分によってマニュアル化させた方法が紹介され続けているのです。これは既に不文律を破ってしまっているということです。誰かが暗黙のルールや良識や越えては行けない壁を、何の気なしに破ることで、その壁があることで挑み!ときに苦しまなければいけない道を避けることが出来るのです。つまり安易に獲得できる、明日から使える!効果が出せるという謳い文句が乱用されエスカレートしていったのです。
 簡単に何かを得ようとする気持ちは私にもあります、宝くじをつい買ってしまいますから・・しかしながらその精神は逃げになるわけで、目の前の覚悟からの逃避になります。難しいところですね。やはり安易な方向への選択や、早く楽になりたいといった潜在的な気持ちはどうしても拭えないのでしょう。誰も苦労や苦しんでまでも、それほどまにして何かをしたいと思うのは余程の気持ちの覚悟が必用となってくるのです。

運動連鎖道場にて多くの情報が提供されますが、結局「どこからやったらいいいのでしょうか?」一番大切なところはどこでしょうか?よく受ける質問です。直に使えるようなお土産があれば・・という意見が出たこともあります。このような考え方は明らかに私の理念には、存在しません。嘘をついてまで要望に応えることは、全く持って死んだも同然です。何のためにここまでやってきたのか、人生とは自らの自己表現です。本当に自分が何者であるかを知って、生まれてきた意味と使命を知って、その使命に気づいて確信をもって歩んでいける道を探すことに人生があるのです。その道がわかるまでに、自分の居場所、自分の存在意義が自覚できるまでに多大な労力と時間を費やすのです。誰のためのお土産なのか・・?それはレクチャーする側の参加者へのゴマスリでしかありません。自分に妥協して喜ばして、ご機嫌をとったところで、その次はもっとご機嫌をとらなければいけなくなります。優柔不断にご機嫌をとることは、その場限りの何も残らず、都合良く利用されるだけのことです。理念と頑までに貫き通す、原理原則!そこは絶対に変えては行けないものなのです。
 理学療法の専門性とは何か?リハビリテーションの理念を体現化させるための理学療法!リハビリテーションの理念をベースとして、理学療法はあるのです。その大元の出発点を忘れてしまっては、糸の切れたタコのようなもの。飛び立った時は大海の広さにワクワクすることでしょうが、どこぞに行ってしまって戻って来れなくなってしまってから慌てても遅いのです。私には理学療法へのこだわりと、いわゆる理学療法「愛」があります。つまりは理学療法を構築していただいた先輩方や先駆者をリスペクトしています。常にその恩返しと義理を通すということを心がけています。よって研修会の講師をしていても、そのルーツを明らかにし、決して自分が一から考えたことではないということをことあるごとに公言しているはずです。それがどこかで聴いてきたこと、本で勉強したことをそのまま研修会にしてしまうなど、オイオイ!と言いたくもなりますね。それは最早、当初の目的は形骸化し、いつの間にか自己顕示欲の手段と化してしまっているのです。ハードルが限りなく下がってしまい、そして「いいじゃね〜」という思い込みが、あたかも世の中そのものもそうあるべきだと結びつけ、さらに思い込んで周りを巻き込んでいきます。頼むから思うのは勝手だけど、周りを巻き込むなと・・・自分1人でやってくれよと・・・。
 表向きは間違いなく崇高な目的を掲げていますが、黄色信号は停まらないとダメですよ・・・と言いつつ自分は赤信号でも渡っている・・・という、人に厳しく自分に甘いということです。安易に手にできたものは、安易に使いだす・・そして脈々と受け継いでいくべきであるはずが、あたかも自分が発祥のかのように振る舞いたがるなど、自分起源にしたいという欲望は誰でもあることなのでしょうが、ちゃんと義理を通してやらないといけません。
 経験と実績が伴ってもいないのに、身の丈にあわない背伸びを繰り返すと、結局ポキッと折れてしまいます。
 一度屈めばいいものを、伸びたら延々と補高ブーツを履き続けることを選択してしまうんですね。登ってしまったら降りたくないのでしょう。自分が背伸びできるものを延々と選択することで、結局は自分に都合の悪いものを全て相手のせいにするという思考になってきます。あくまで自分目線でしか見ないので、美味しいか心地よいかだけの判断になってしまうのです。自分を嫌な気持ちにさせるものは全て遠ざけることになり、いつの間にか選択権が全て自分にあるかのように勘違いしだします。地球の真ん中で愛を叫ぶという映画がありましたが、自分が中心で周りが動くという天動説になってしまうんでしょうね。天動説はガリレオの時代ですよ。いったいどこまで歴史を逆行すればいいのでしょうね。


どこからやったらいいのか?この質問に対しての一つの答えが、今回の研修会のなかに詰まっています。
結論としては常に全身から見るということです。答えになっていない?いやいや運動連鎖アプローチ®ですから。今になって部分や局所や、世の中に迎合してこれをやればいいというような、テクニックありきの思考になってどうするの?もともとテクニカルセミナーの開催が嫌で、というより理学療法の理念そのものから外れている、つまり我々がやるべきことはある一つのテクニカルな手法ではないということの考え方を原点として2003年に立ち上げたのが、運動連鎖アプローチ研究会なのです。最初の立ち上げの理念を変えたら、それは既に存在する意味はありません。「変えていいことと、変えてはいけないこと、変わってはいけないこと」その分別ですよ。


今回、以下の7名が修了し、新たなインストラクターとして認定を受けました。
PKAA認定 「姿勢制御インストラクター」  
        部門:生活動作
DSCN0605.jpg

イントラNo.
001 山岸恵利子
002 高木謙太郎
003 難波志乃
004 大前卓也
005 小西剛史
006 遊佐真弓
007 仁木洸平
 
今後も「生活動作のための姿勢制御アプローチ」の研修会を以下の長野千曲と軽井沢にて開催します。興味のある方は是非ご参加ください。

5月9-10日 第八回長野運動連鎖アプローチ研修会
      「生活動作からみた姿勢制御アプローチ」

10月24-25日 フィジオ運動連鎖アプローチ協会in軽井沢 合宿講座
 
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コメント:4

開業権がない理学療法士として開業してましてや協会の理事をやっている。どう考えても矛盾の塊。
開場しているという立場上、理事になって開業できる方向にシフトさせていくのかと思いきや何もしない。
専門も認定ももたないで協会理事ですか。会長の告示に対しては、やり方が違うからグレーですか。
開業している人たちは開業している時点で理学療法士としての立場は捨てているのにあなたはそれにすがって自分自身の私利私欲地位名声にすがり周りを陥れあたかも尤もらしいことを言っている。
あなたのやっていることはあなたが批判している人たちと同じことですよ。
それなのに理学療法の専門性なんて言わないでください。
決められたルールの中で必死になっているセラピストたちをあざ笑うかのように立場や地位を振りかざして金を巻き上げての自分の知ってきた知識を見せびらかしてる。このブログの中で批判していることをそのまま自分がやっていることに気づきませんか。
私たちがあなたに投票している真意は開業権の獲得ですよ。
外では偉そうに言っているけど協会の中じゃろくな仕事も与えられずに発言権もないような理事に成り下がってがっかりです。

変わってはいけないことを変えられないことにすり変えてはいませんか。

変わっていないから変わってはいけないこと。

それは開業です。

今回、表っ面のあなたに投票した人たちを裏切らないでください。
あなたの真意や本質なんてどうでも良い。私たちにとっての本質はあなたの表っ面なんです。
理学療法を語るなら理学療法士としての役割を全うすべきです。

Re:

山本尚司
匿名にて投稿されてますので、どのような立場にてどのような思いにて言われているかが分かりません。このように真正面からバッサリと切り込まれたことは初めてです。
是非直接お話をお聞かせいただければと思います。

Re:

山本尚司
是非直接お話をお聞かせいただければというのは、売り言葉に買い言葉というわけではなく、真の思いですので、是非ご連絡いただければ幸いです。

Re:

山本尚司
音沙汰なしですね。
私のことを随分お詳しいようですね。
ここまでの思いを書けるのは、私よりも先輩かもしれませんね。
それほどいうなら、私をリコールすればいいのです。それが社会問題になれば、理学療法士の中で協会のなかで、業界のなかで大きな問題提起になることで自ずと皆が考えるようになるでしょう。匿名で言うのなら、ヤフコメと変わりません。何も変わらないのですよ。

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