骨盤と仙腸関節~Q&A~⑵

現在開催している浜松の運動連鎖道場に参加している道場生からの質問に対する回答⑵を載せていきます!

Q.腸腰筋エクササイズの原理を説明していただけると嬉しいです。主動作筋というより股関節の安定に作用するから、不安定なボールの上で保持させることで促通になっているということでしょうか。

 その通りですね。これはその人の機能に応じての難易度になりますから、スポーツ選手のように特に腸腰筋などを作用させなくてもできてしまう人もいますので、どちらかというとかなり機能障害が進んでいたり身体の調整能力が低下している人になります。ボールの上に足を乗せて保持できるということ、これは簡単なようでなかなかのメカニズムが作用していなくては達成できないパフォーマンスです。特に変形性膝関節症のように、既に骨アライメントが垂直から内外反に変形している場合は、下肢の床半力や運動方向そのものが腸腰筋のベクトルから外れてきます。よってリラックスして何気なく保持することは、実は常にボールの中心に足を乗せている圧のベクトルを一致させ続けなければ行けないのです。重心動揺計などにて測定すると確実にぶれている軌跡が観察されるはずです。ただそこで大切なのはボールに足をのせるという形だけに捕われないことです。
 何を目的として何を意識してどのような感覚があるかをしっかりとキューすることが必須なのです。これがリハビリテーションの身体運動の専門家としてのスキルになります。もう少し言えばプロフェッショナルの分かれ目となってくるのです。そしてそのエクササイズをエクササイズの中だけのパフォーマンスに完結させるのではなく、その先の生活のなかでの動作などへのイメージとして連続させていくことが不可欠なのです。エクササイズをすればいいことはわかっていますが、このエクササイズ主動の考え方はインストラクターレベルの頑張りが無ければ効果が出ないということでもあるのです。だから巷の雑誌や書籍に掲載されているエクササイズをそのまま真似ても、実際に効果が実感できない要因となっているのです。よってどれだけメディアにあらゆる専門家やトレーナーとされる人が意気揚々と出てきて説明しても、結果的にはほとんど効果は持続しないし定着していないといっていいのです。大切な何かが足りないということなのです。そこは評価と身体感覚やイメージそして心情を察することが出来て、さらに生活や動作というジャンクションにて考えられるセラピストとしての新たな素養が必用となってくるのです。これは理学療法士だからできるというわけではありません。徒手療法や他動的な治療系に傾倒している限りにおいては、大切な生活という視点が足りないので、結局は実験室の中での変化に一喜一憂するレベルとなってしまい、そのサイクルから抜け出せないことが理学療法士の社会的な認知度の広がりにまったをかけているのです。
 踵へのボールはヒールコンタクトをイメージして腸骨筋に、そして足底接地は腹部のセンター、つまり大腰筋を意識してローディングレスポンスから蹴り出しへのphaseとなります。そのこともしっかりとイメージしてもらうことが大切であり、理解が難しければ治療者側が筋の働き等をモニタリングして達成できているかどうかをフィードバックして、その時の差を感じさせてあげることが必用となるのです。
 

Q.仙腸関節の評価で、なぜ片脚立位の遊脚側の変位を見るのか。立脚側の方が安定を求められるイメージなのですが。深部縦系と仙腸関節というスライドからも、ICのタイミングで大腿二頭筋との連動が重要なのかなと思うのですが。
 まず教科書的に遊脚側を評価するということでの紹介がされているということが第一です。つまり学会などでテストとして用いると時に、何々の方法に準じて・・・という記載がないと評価方法そのものの開発から手を付けなければ行けなくなるのです。支持脚側の評価としての使い方が現場では多いと思いますが、遊脚側にも何が起きているかを注目してみると新たな発見と情報が読み取れるようになるでしょう。
 敢て遊脚側に何が起きているか、そこには何も意味がないのか?支持脚ほどに意義はないのか?もし遊脚側の動態の変化によっても支持能力が上がったとしたら、その時にはきっと臨床の幅は大きく広がっていることでしょう。この評価は支持できるかどうかということではなく、仙腸関節の動態を観ているということです。私の研究結果でも明らかのように、PSISに下制が観られる場合には荷重動態は良好であり、上昇してしまうと非荷重傾向にあるということなのです。つまりこの遊脚側の動態をみることにおいて、荷重動態の機能的な左右差を推察することができるということです。例えば支持側の仙腸関節の動態を観るとした場合、純粋に仙腸関節の動態だけを反映しているわけではないことは明らかです。おそらく臨床ではその不安定さを体幹であったり股関節であったり、下肢のダイナミックアライメントであったり足部のアーチであったりと、多くの視点にてみていることでしょう。それだけ支持するということは筋力も含めたあらゆる要素が複合してくるのです。もちろんPISIが遊脚において下降する動態がみられるということは荷重しやすいということであり、支持脚になったときも支持力は高くなるのですが、必ずしもバランスがとれているかというとそうではありません。つまり仙腸関節の機能は良いが、片脚起立のバランスそのものは傾き加減で、それでも傾きながらも保持できるという評価になることもあるのです。この傾きながら片脚起立が長くできるということを評価として良しとするか改善の余地があるとするか?おそらく質的には良くないとなりますが、揺れ続けながら60秒間保持できれば、それは機能として高いということになります。
 つまりは荷重バランスとして左右差が大きくなると、荷重側の外側機構の関与が大きくなり結果的にネガティブなトレンデレンブルク兆候が観られることも往々にしてあるのです。
 大腿二頭筋の関与はIC時の閉鎖力に作用します。よって片脚起立の肢位とは一致しないことになります。また床半力のかかり方も違います。つまりICと片脚起立は相関はある可能性があるものの、必ずしも一致しないということです。つまり片脚起立において大腿二頭筋を触診して収縮しているかどうかを確認するということによって、深部縦系の作用を反映しているのでは?と考えるかもしれませんが、あくまでコンセントリックではなく動作は制御なのです。制御とは制動ですのでコンセントリックな関節や筋肉活動とは趣を異にするアクティビティです。
 ICは瞬間的なタイミングが重要であり、そして全体的に収縮しているというその場所を保持するために時として固めるという戦略では円滑なロコモーションにつながらないのです。つまり絶妙な関連筋群のバランスとグラデーションのような出し入れと、そのタイミングに最低限の最適な働きが理想となる類いのものなのです。それが重心をスムーズに前方に運ぶということの歩行というパフォーマンスなのです。歩行というのは重心を前方にスムーズに転がす、並進させるアクティビティなのです。


Q.丹田とはなにか。講義中に話されてた軸と同じような解釈でいいのでしょうか。それとも丹田がしっかりしてると軸もしっかりしてくるのでしょうか。
 丹田とは重心のコントローラーであり、軸とは正中に保つための修正能力のことを指します。つまり丹田とか軸は柱のような物体ではなく機能ファンクションの総称であるということ、そこには名詞ではなく動詞としての意味合いが含まれているということです。
 既に体幹が機能を表す記号として発展しているように、軸や丹田は解剖学的に一致する部位があるわけではないのです。機能であるということを考えると、人はあらゆるホメオスターシス恒常性を保つためのシステムはそれこそ何百何千と有しており、筋骨格名においてはいくつものバックアップシステムを有しているのです。それが人が誕生してから数百万年という歳月のなかでアップデートして獲得してったアプリのようなものなのです。
 このシステムは例えば人の機能を筋連結というキーワードだけで表現できるものもなく、アライメントだけでもとても説明できないのです。また各種ボディーワークや合目的な身体運動の方法論やコンセプトが存在しますが、そのどれもが人の原理原則を説明するには足りないのです。所詮は誰かが頭で考えたこと・・・それが人のグレイトジャーニーにおいて世界に広がっていった中で、あらゆる環境に適応すべき進化していったアビリティを一つの原理だけで説明できるはずがないのです。商業主義のなかでの手持ちの札として、自分の代名詞として売り出すための手段という本来の人の機能の探求と解明という観点からズレてきているものも多数存在しています。シンガーやお笑いの一発屋のようなものですね。それが脳であっても発達運動学的であっても環境適応であっても、関節運動学的でも何でもいいのですが、全てに備わっているものでもありますが、全ての病態に適応できるわけでもないということです。正常なモデルとしての視点から抜け出せない限りにおいては、医療となり得ない、そして医学になり得ないのです。それは単に身体運動の指導者になりえても医療従事者として理学療法としての本文からは外れてくるのです。
 さて話がそれましたが、丹田とは重心のコントローラーですので、達磨のナットのようなものです。そして軸とは前後左右に揺れたときにも元に戻れる能力、それが動作解析等で軌跡をみると、その中心となる芯のようなものが見えてきます。動きの中で前後左右に動くということは必ずどこかを通過して、次の肢位に移行しているということなのです。戻れるから動揺することもできるのです。動揺するということは倒れていないということですので、何かしら保持されるべき基線があるということなのです。その基線が芯であり、そのブレも含めた通過線が軸ということなのです。構造的にも補完されており脊柱ということになります。たこが背骨がないことによりぐにゃりとしていることにより、地上では垂直に立てないので構造的な支持性も当然必要な要素なのです。ただタコは水中では時に真っすぐになります。つまり水中では軸機能が発揮されているのです。陸では背骨や骨という剛体がないからなのです。人は左右対象に運動器が配置されていますが、芯として背骨が存在してるのです。その芯があれば制御できるわけではなく、三半規管や末梢の感覚器からのフィードバックによって制御能力が働いてこそ、ぶれに対する軸機能を発揮して、その中央の背骨が正中重力線に戻れる基線となっていればベストということなのです。
 回答をまとめますと、タコは水中では軸はあり、よってその軸の中心となる丹田というコントローラーも存在していると考える方がツジツマが合います。よって丹田がしっかりと機能しているということは、軸機能の芯を中心でコントロールできるということですので、丹田がしっかりしていると軸も安定するということが言えます。ただどっしりと腹が据わっているという身体感覚は、前後左右に動揺するということの機能はあまり考慮されていないようで、ふにゃふにゃ、へなへな、という見え方と「どっしり」しているというイメージに相違があるように、どっしりと軸があるということも=ではないということです。全く違うものではないのですが、現代においては身体に対する価値観や機能的な美しい動作というイメージが時代とともに変わってきているのです。
 よって丹田は丹田としての強調の仕方、軸は軸としての強調の仕方があって、相関はあるもののどちらか一方を高めればもう一方も獲得しやすい条件は揃うものの、時として偏りが顕著にでることで一方の機能が抑制されてしまうこともあるのです。

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