臨床にて最も必要な要素とは何か?

2月12日、運動連鎖道場17期の第二回が海老名にて開催されました。

今回のテーマは足ということですが、運動連鎖のベースは歴史的にも足を理解することが起源を知ることになり、系統だった学びへの納得ができるようになります。



臨床にてもっとも大切なことは何か?

運動連鎖道場では知識と技術だけでなく、クライアント、社会に望まれる専門家としてのあり方についても私の経験の中からお伝えしています。つまり知識と技術の進歩は時代により栄枯盛衰があり、その有り様も変わらなければならなくなります。確かに良いものは時代を超えて引き継がれるものではありますが、次代に引き継ぐためさらにアップデートさせていかなければなりません。しかしながら、そのアップデートしていると思っている試みは、べつに今に始まったことではなく、常に繰り返し行なわれてきたことです。職人としてはそのスタンスでいいのですが、日本人は往々にして今自分か創始者として成り上がりたいという意識が強く働いています。よって自国の中で協応することができません。常に国内にて切磋琢磨ならいいのですが、お互いを認めて力を合わせることができていません。その結果、理学療法士、リハビリという分野においての優劣に終始し、お山の大将、島国根性の最たるものになっています。このスバイラルからの脱却こそが我々の未来を切り開くキーワードになるのです。よってそこに必要なのは、自己研鑽する前の教育です。知識と技術だけの学術偏重から、社会におけるシステムと世界情勢を俯瞰しながらみずからの歩んでいる道の微調整を繰り返すことです。

臨床において最も必要なことは、
それはプロセスの説明ということになります。
①評価とアプローチの説明=同意と賛同
 ↓
②治療
 ↓
③セルフエクササイズの指導


このサイクルこそが、クライアントの望むニーズに応えることができるロジックになります。記述してみるとなんてことはない当たり前のことです。これはセラピストの技術の探求という視点だけでなく、対外的にどのように見られているか?ということを念頭に置いた視点です。患者と療法士という一対一の関係から、もっと社会のシステムに近いところで意識もコンセプトも作り上げることです。

治療効果とは刺激に対する反応における物理的変化と脳内における身体表象の一致、そして実際に新しく生まれた空間に対して身体運動の経験を積むこと、新しい空間に対する日常生活における汎用性ができることで、変化した身体が定着します。

刺激に対する反応は生体においては必ず生じます。この刺激に対する反応を自覚してもらうことによって、特別な刺激になります。治療での刺激が触っただけでも効果を実感できるのは、特別な瞬間だからです。治療という場において、治療者と一対一の関係にて、そして自分の身体に意識を向けている状態、普段は自分の身体と会話することはほとんどありません。つまり外界の刺激に対して、常に受け身になっており情報量に眼を奪われがちだからです。ボディーワークというのは、自らの身体に対して問いかけモニタリングする、そして動きの中で自らの身体を筋肉を感情をコントロールしていくということになります。エクササイズにおいては感情まではいきませんが、ヨガは感情や情動といったレベルにフォーカスが当たるカテゴリーにあると思います。
 ピラティスの場合には、どちらかというとフィジカルへの意識が主となります。哲学はボディ・マインド・スピリッツなのですが、実際にはボディへの意識下におけるコントロールの色彩が強いのかなという印象です。
 昨今の体幹エクササイズはさらにフィットネスが入っており、ワークアウトという要素もあります。ひたすら強化するちう感じでしょうか。そこにはコントロールというよりもリズムとテンポと繰り返し要素が入っています。何回何セットそしてインターバルが何分といった組み立て方です。スポーツ色というかモードに近いため、自らの競技特性やモードに合わせて取り入れることが出来ます。

スポーツそのものが勝負であり、究極の中で乗り越えていくモードが、体幹トレーニングのエクササイズには含まれているのです。ボディワークの場合は、そのボディワークそのものがスタイルであり、創始者の理念が色濃く反映しており、その哲学を継承し追随していくことに重きがおかれます。つまりは、ボディワークそのものを履修することに目的があり、競技になってしまうのです。よってピラティスをやることでいうより、最近は体幹を鍛えることでパフォーマンスが向上したというフレーズがメインとなりました。よって体幹という特集はあっても、ピラティスという特集はありません。体幹トレーニングの中に、ピラティスなどがあるという序列になっています。つまりピラティスのコントロロジーという概念からいうと、現在の体幹トレーニングは厳密に腹横筋を常に効かしてというより、ヨガのアンバランス系のアーサナにおいて体幹の安定性と固定性にフォーカスをしながら、空間に対する協調的な四肢のバランスをキープするということになります。そしてさらに繰り返しをすることにより、ハートレイトを上げて達成感を持つことができます。覚える習得するというより、鍛える‼️というモードですね。
そのテンションとモードが勝負に値するのです。

知識と技術を覚えたものを提供したくなる、使ってみたくなる衝動があるのは仕方がありませんが、クライアント目線にて望まれていることを我々の理念を当てはめていく。再構築していく。プロトタイプの流れの中で、特別な空間にて特別な雰囲気の中で完結するロジカルではなく、一般大衆の社会のモードの中で、我々の知識と技術をどのように還元できるかを考え、社会仕様にアップデート再構築できるか、そしてそのためにどのようなキャラクターに変えていくのか?

社会に地域に出ていくということにおいて、その必要性や必然性が高まっており、また高めなければならない時代に突入しています。
しかしながら漠然と社会が政府の方針がそうだからと、ただ流されても仕方ありません。
それでは我々が必要だからそうなったではなく、時代がそうなったから参入しようというパイの取り合いのスパイラルに巻き込まれていきます。
絶対的な価値観を構築しておくことが、結局は自信をもって進んでいけることになるのです。
つまりはすべての人が地域をわかる、関わっている理学療法士にて埋めることはできません。治療に邁進するということにて何ら問題はなく、そのことを地域主体の思考になりなさいというのは無理なことなのです。トピックスは地域包括としても、実際は普遍的な専門性を有していることと、その専門家を自覚していることなのです。
つまり最先端の医療を追求してリードしながら、一方でその価値を背景に地域にも出ていくということです。そうすると簡単な運動指導が、一つのストレッチが全く違った価値として受け入れられるのです。もちろんそれは価値という地位というバイアスをもとに成り立っているのですが、それが、職能集団として専門家としての社会的な評価になるのです。
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