運動連鎖道場in佐賀県スタート

社会に求められる理学療法士の存在とは~身体の原理原則に基づいた評価・治療~



1月17日-18日両日、佐賀県の武雄市にて運動連鎖道場がスタートしました。佐賀県は、ほぼ初めて訪れる場所になります。一度素通りのように通ったことがあったぐらいです。

武雄市は盆地で空気が澄んでいて、壮大な三船山を望む、どことなく私の故郷と似ているところがあります。朝になると凍結している道路などはまさに盆地ならではかもしれません。ほっとする街並ですね。

井手チャンポンという有名なお店に連れていっていただきました。11:30という時間にもかかわらず、席は満席でした。でてきたチャンポンをみて、納得という感じです。ボリューム!味ともに言うことなしです。


また代官山にあるスタバが合併しているTUTAYAがあるのにも驚きです。きっと地方にもあのように図書館があると、文化的な意識がきっと醸成されることでしょう。若者にとってもとても貴重なスペースとなるでしょう。何故なら代官山のTUTAYAでもそうですが、行くときには少し身なりにも気をつけたくなる場所だからです。中に入るとそのスペースの広さは圧倒的で、TUTAYAの哲学がしっかりと引き継がれています。

豊かな自然と出会う人の人柄は、この地が豊かな人間性を育ててくれる土壌であることを物語っています。

毎回道場においてはテーマを決めて臨んでいます。今回は冒頭のように、理学療法ということと、身体機能の原理原則ということをさらに強調しています。

常に自分自身の挟持がぶれないように、改めて自覚をするように、ぶれないようにするという効果もありますね。

シリーズとしては土日の4回シリーズで初回は「運動連鎖アプローチⓇ概論」「足・膝・股関節の運動連鎖」がテーマとなります。

何故運動連鎖アプローチ®に至ったかということ。その経緯と何故にこの時代に生まれてきて、その系譜はどこに続いていくか!未来にどのようなレガシーを残していくか!ヒストリーを伝えていきます。この年代になってくると、未来へ引き継ぐこと、未来を示すこと、その使命と役割を全うする時間はそれほど残されていません。

理学療法士の専門性とは何か?四半世紀このことを自問自答するなかでの行き着いた運動連鎖アプローチ®

さて初日は運動連鎖アプローチを学ぶ上で、基幹となるパルペーションテクニックと姿勢制御についてレクチャーしました。

運動連鎖道場において全てのシリーズにおける基本はパルペーションテクニックになります。このパルペーションテクニックにおいては、解剖学的な触り方もさることながら、生体に対するセラピューティックタッチということになります。つまり部位と特定する探索的な触り方だけでなく、生きた躍動感のある内部環境の動態についてモニタリングするという観点です。実はこのセラピューティックタッチとエビデンスというのは、相反する感覚の世界でもあり研究的な視点、学際的な視点が高ければ高いほど、馴染めない領域でもあります。反面、早い段階でこのモードに慣れておくと臨床における機微な変化を捉えやすくなりますので、同じようなことをしているようで結果的に患者の満足度として高いものにかえってきます。つまりエビデンスとは最終的には患者の満足度につながるわけで、satisfyなのです。この満足度というのが患者主体としたものか、新しい価値観を提供することで新たな境地に導くのかという二面性がありますので、単純に満足度といっても単純ではありませんが・・・。

つまり患者満足度という徹底したお客様、おもてなし、といってリッツカールトンのような視点と、時にがんごおやじが営むラーメン屋や小料理屋のこだわりと仕来りに触れることで得られる満足度との違いです。

感銘を受けることによるインスパイアーなのか、自らの心地よさ価値観に合うかあなわないかという、いわゆるナッツリターンなのかということです。

もっと身近な例でいうと、公衆のトイレにて「いつも奇麗にお使いいただき有り難うございます」と書かれていてれば一般的には奇麗に使おうと心理としては働くという読みもありますが、このお客様には一切文句を言えないということの立場をいいことにクレーマーが横行しているという事実もあります。このようなケースに対しては一喝するということが本来ならば必用なのですが、今はそうするとさらに上を出せ!ということになって結果的に追い込まれるのは提供側ということになってしまいます。よって今は事実をしっかりと押さえて、最終的にはしかるべきとろこに委ねるという、しちめんどくさいことになっています。
 ネットが発達して功罪として、その経緯や真意は伝わらず、現象だけが一人歩きしてどうだらこうだらと言われる世の中です。

いずれにせよ活動と参加、そして地域の活性化という超高齢化社会における医療者の新たな局面を迎える中で、個々における臨床時の満足度とは触れ合いの延長線上にあると言えます。良い医療を提供するといった観点からのエビデンスによる目的は、職能集団としての価値を高めていくことによる待遇改善につながってくるからです。つまり母集団そのものを引き上げることができるという大局的な見方です。一方でこれだけ効果が上がっていますというデータは、見せられて初めて分かるもので、個々の事例においてはピンとこないことが多々あります。確かにルールやスタンダードはそうだけで、実際にこの患者に対してはかなりの変化球が必用であろうというケースばかりです。こうなってくると、研究者的な大学病院的な視点ではアカヒゲ先生にはなれません。総合診療といった心身も含めた多用な要因を分析したなかでの、時に傾聴が必用となってきます。

何故、内在的運動連鎖が必要なのか
 運動連鎖道場では内在的運動連鎖をベースとしています。つまり観察的動作分析に対して、触診により動作分析をしようという試みです。これは視覚的に動作分析をするということが、理学療法士の専門性であるがゆえにその上達するための道筋と何がどうなったら動作分析ができるようになったと言えるのか?という基準がないということもあります。空間的、時間的に肢節を記述していくことを評価において何度もレポートとして書くことを練習してきました。昨今のクリニカルクラークシップではおそらく、この観察的動作分析のスキルは失われつつあるのかもしれません。
 つまりある程度見慣れてくると見えるようになってくるのですが、では脊椎の分節の変位までがわかるようなるかといわれると、それは見えないわけです。そして運動連鎖となるとコンマ何ミリのズレが大きく機能障害につながってくるわけですので、スクワットにしても簡単な動作やパフォーマンスにしてもその時の意識や注意や認識まではわかりません。ましてや体操競技などは空中にてくるくる回っているわけで、審判であったとしても何回回ったか追えないとなると限界になってきます。そして極め付けはハイスピードカメラです。肉眼では到底追いつかないレバルの画像を瞬時に表示できます。
 そして動作分析はあくまで分析であり、アプローチではないということです。動作分析が専門であるといっても解析する専門家ではないわけで、機能改善を促すための職業なわけです。そうするとあらゆる患者において、特に抵抗力が落ちていく、重篤な障害を有している、不定愁訴が多い、痛みが強いといった場合において、動作分分析が第一の選択肢になるかといわれると、まずは緩和ケアーだろうということになってしまいます。結果的に動作や姿勢が問題だとしても、縮んでいるところを伸ばして、伸びているところを収縮させてといったロジックにてよくなるならばいいのですが、それも額面通りにはいきません。
 また動作においても実際に見なければわからないではなく、身体の構造をみることで推察することができるといったことでなければ選手や患者自身も気がついていない身体操作があったりするのです。愁訴や既往そして現病歴においても、実は話してなかったとか抜けていることが多いのと同じですね。
 この内在的な運動連鎖は皮膚と筋膜の流れを見ます。
筋膜へのアプローチは二つの潮流があって、ソフトにリリースするものと剥がすような手技のものです。筋膜リリースといわれるものは比較的ソフトなイメージで、ロルフィングというとかなり強くほぐすイメージになります。ただどちらも筋膜へといいながらも、似て非なる強度のアプローチとなると機序も違うはずです。
つまり筋膜へのアプローチといえども表面の皮膚は必ず触らなければならないわけで、ソフトに手を置いているだけのように施述はむしろ皮膚への感覚入力となります。この皮膚は外胚葉系であり発生学的に同じです。つまりむきだしの脳というのが皮膚ということになります。よって皮膚へのアプローチはダイレクトに恒常性や治癒能力の向上に向かっていきます。表皮に感覚入力がされるということは、その刺激が侵襲性が少なくなおかつ反応を邪魔しないものであるならば、脳はその部位の刺激をキャッチして修正しようとします。つまり施術とは治してやろうという類のものではなくて、治っていくように、治ってもらうように、その治癒能力を最大限に引き出すということにつきるのです。つまりは、そこに刺激を入れることそのことに意味があるということです。究極は手当になります。人類が有史以来最初に施した治療は手当でしょう。
 つまり手を置いてじっと感じていること・・・そこが治療の基本なのです。理学療法においてはあくまでパルペーションは探索的であり、識別するという意味合いが強くなります。そして変化は刺激の量に比例するというような、物理的な発想が色濃く教育の過程で残っています。
 いわゆる代替療法と呼ばれるものはこの手当系がベースとなっていることが多いのです。あくまで 脳に治させるということ、そのお手伝いをするということの意味は気持ちではなく、まさにタッチそのものが脳科学的にみてもお手伝いしているにすぎないのです。
 また筋膜の反応も神経よりも伝播が速く、全身への波及効果が高いと言われてます。トラウマや交通外傷などにおいて急激な衝撃は、この膜系を通じて感情と一緒に記憶されます。
 このように皮膚と膜系は西洋医学の臓器論から、生体に対する治癒を高めるという療法士のためにはとても大切な要素が含まれているのです。長らくこのリハビリ業界には、この生体に対する基本的なスタンスが欠けていたのです。エビデンスやプロトコールなどは、政治を変えるためには必須です。しかしながら、このロジックは普遍性ということの共通言語を作るために必要だったことと、そこの厚労省のように予算をつけるにあたっての判断基準が必要だからです。個々の患者をみるにおいて、どうしてもエビデンスやルールというものが感覚的に馴染まないというのは当たっているのです。人間が勝手に決めたルールだからです。ある程度の法則性と統計学的な傾向まではいいのですが、そこにガイドラインとしての立ち位置まではいいのですが、絶対と思い込んでいる人がいるのも事実です。
 
 この内在的な運動連鎖においては、同質同圧という原理があります。つまりあくまで手を、モニタリングのための端子として扱うには探索的に末端にて探索的になりすぎると精度が落ちるのです。
 正確に刻々と起こりうる変化を追随していくこと、そのための触角なのです
最初のファーストコンタクトにおいて、どちらか一方に引っ張られます。そして次の瞬間に別の方向に修正されます。この第1波はその人のもっている現在のアライメント、つまり癖のようなものです。そして二波は修正方向、つまりすでに脳が修正に入っているのです。よって第1波によって機能障害の方向性を、二波によって修正するための方向を評価することができるのです。
 そして軟部組織には階層性があり、この角レイヤーの位相差があります。ある程度の相関がありますので骨や関節の整合性がずれていても、表面の皮膚の歪みや流れによって予想がつくということです。そうすると椎間関節や細かい骨における変位を、ゴリゴリと探索しなくても軽いタッチングによって理解することができるのです。よって触った状態でアライメントや骨関節、筋肉などの方向性やテンションもわかってくるので、その動きの特徴も予想がついてくるということです。
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