錦織圭に学ぶ

マイケイルチャンから紐解くキーワード

チャン氏は基礎技術だけでなく、世界で戦い抜く精神力を惜しげもなく伝授

「Believe yourself(自分を信じろ)」
チャン氏がにわかに注目されている。

それもそのはず…

昨年の大躍進を目の当たりにすれば、

そしてそのターニングポイントが、明らかにチャン氏がコーチングスタッフに加わってからだということが明らかであれば尚更だ…

今までもアメリカンのアカデミーにて育成され、その狭き門を勝ち抜いてランキングがTOP10に入ってきた時点にて、すでに素質は才能は能力は疑いようがないものであったが、それでもBIG4ともBIG3とも言われる絶壁がそびえ立っているわけで、どうにも敵わない印象がありました。

またフェデラーやジョコビッチに善戦する時も出てきたことも大躍進でしたが、ビックサーバーに対して脆さも露呈していました。また故障がちで日本選手にも星を落とすなど、グランドスラムは遥か先に見えたものです。
何と言っても一回戦を勝つのも難しい四大大会‼️

今までもチーム圭は当然あったわけで、ゴルフの松山も石川遼もしかりです。

世界を知っているコーチ、、スタッフ

知識や技術論ではないメンタリティーに目を奪われます。

以下は、ネットで錦織選手に対する見解を書いていた記事からの抜粋です。
「圭ぐらいのレベルになると、何でも言えるコーチは少ない」
準優勝した8月の全米オープンでは「勝てない相手はもういない」と発言して周囲を驚かせたが、メンタル面の成長に伴う自信をうかがわせた。この躍進を陰で支えたのが、全仏オープン覇者のマイケル・チャン・コーチ(42)だ。13年末にコーチに就任した1年足らず。錦織に、どんな“魔法”をかけたのか。全米オープンで8強入りした際には「勝てないという相手はもういないと思う」
 これは14歳で渡米し、IMGアカデミーで腕を磨いた錦織にしても「世界トップの基本」を学ばなければならなかったことを意味する。基本にもランクがあって、「世界トップの基本動作」があるという認識を持つべきだろう。
 現在、サッカー、ラグビーの日本代表監督は外国人が務めている。トップを知る外国人指導者に教えを乞い、将来的には日本人指導者を育成したいと考えているのだ。
 個人競技ももっと外国人コーチを活用するべきだろう。特に錦織と同世代である男子ゴルフの松山英樹(22)、石川遼(23)は、彼らにとっての「マイケル・チャン」と出会うべき時期にいる。
(1)日本レベル(2)日本トップレベル(3)世界レベル(4)世界トップレベル-と強引に仕分けすれば、錦織はチャンとの出会いで(3)から(4)へ飛躍しつつある。


 世界への飛躍とは、どこかでトップ選手はちやほやされる時期を迎える。ちやほやというように遠慮されるということです。特に日本においてはこのような風潮があり、実績のある名前がなければ選手もついてこないという風潮がある。しかしながら、名前があるといっても阪神の監督のようにベテランにものすごい配慮をする傾向があるように、王さんのように本当の意味でのトップでなければ、選手のほうが実績については逆転することが多々ある。それでも指導者というのは、例え実績がなくても教えるということにおけるプロなのだから遠慮してはいけない。海外の監督においては、アギーレなどはそうだが全く持って選手によって特別感はない。怒るときは烈火のごとく怒るのだ。国際化とはこの遠慮の文化のある日本からの、良い意味での脱却が必用なのだろう。しかしながら、そこを逆手にとって言い切ること!表上、確信をもって言い切ることによってカリスマ性や人を支配することもできる。若手がより早く登っていくための、実力以上の何かを見せるときの常套手段となる。遠慮してくれて、日本人はいいところをみてくれる、見捨てずに見守ってくれる・・・この人の良さを逆手にとっているのです。

ではどのような指導者であれば、さらに国際舞台にて活躍できる人材へと引き上げてくれるのか?
そこにはマイケルチャンの指導方法に垣間みることが出来る。知識や技術偏重ではない、メンタリティ、それもいわゆる根性主義ではない、指導者のエゴや都合ではない本当の意味での叱咤である。そこには強い信念と愛情と配慮が入っていることである。単なる人格に対する攻撃では、ただのイエスマンを育ててしまうだけとなる。全米の前に足の手術をして、2週間動いていない状況においても言い訳にさせなかった。私なら無理しないで休めというでしょう。そこに選手の逃げ込もうとする何を察して貫き通す!
とこかで自立していくという前提にて、チャンは指導しているようです。孤独で孤高の世界へ入っていくのがグランドスラムの決勝!というステージ!自らが考え選択できることが求められのです。
 
日本の根性主義は精神主義ということで、これはこれで効果はあったものと思う。しかしながら、そこに普遍性や世界の潮流に乗れなければ、ただの監督個人の熱血の度合いによる成長では限界がある。また国際舞台で活躍するためのメンタリティは支配的なイエスマンではどうしようもない。何故ならば日本人同士の闘いでは、空気や雰囲気など名前も伝わるからだ。しかしながら、世界に行くと無名の監督で知られていない、言葉も違うのですから気迫は何やら伝わっても、そこに具体的な日本のような配慮やオーラは通用しない。
 ある場所やある所ではオーラがあっても、場所が違えば全くそのオーラが感じられないことは多々あります。つまりその狭い業界にて威圧できる雰囲気は、海外では当然ながら通用しないということです。
 
 そういった意味においてもサッカーの元日本代表監督の岡田さんは凄いですよね。あれだけのスタンスにて国内のあらゆるパッシングを受けても自らの信念を貫き通している。国内で日本人の代表監督の大変さはこれはこれで半端ないはずです。長谷部選手の眼もすごいですよね。誰もが認めるキャプテンシー!

信念を貫き通すこと!おそらく世界標準にてそれができること。そこにつきると思われます。

錦織選手はチャンコーチからグリップの握り方から、それこそ単純な繰り返し作業を何千回となくノルマとしたようです。誰もが地道な基本を繰り返すこと、それも錦織選手ほどのキャリアがあれば日本人コーチでは誰も言えないでしょう。

今回の錦織選手の躍進にはもちろん技術や体力などの要素もありますが、これほどまでにコーチの存在がクローズアップされることはないでしょう。それもメンタル面での成長です。メンタルの強化や成長は定量的な評価がありません。いったい何を持って成長したと言えるでしょうか?外野からはメンタルが弱いと指摘することは簡単にできますが、果たして自分に置き換えてその成長はできているのか?今の状態で十分なのか?おそらく世界にたってあらゆるメディアや眼があるなかで力を発揮するということの中では、当事者でなくては絶対にわからない領域でしょう。その領域に治療者であっても通じるものがあれば、それは一流ということになります。世界という場にたって、注目されるなかにおいて比較検討によって成されるのは、学習の場があるということになります。しかしながら、そのような場がなくてもその姿勢やスタンスが貫ける強さは、誰もが持てるものではありません。

政界では、
菅官房長官に、そういった意味においての凄さを感じます。自分の役割、自分の立ち位置をしっかりと分かっている中で、淡々の遂行していく、ぶれないということです。趣味や余暇における楽しみといった観点はほとんどないとのことです。食事に対しても欲はなく、決まったルーチンでマックににしんソバとのことです。服装やおしゃれにも無頓着に思えますし、実際のところはわかりせんが、このような人がバックにいると回りは畏怖しますよね。原監督もそうでしょう。あれだけのスター軍団をばっさばっさとスタメンを外して入れ替えることができる。阪神ではできません。イオンの岡田議員もそうかもしれません。雰囲気としてはそのような空気を感じます。私が最も足りない部分と自覚しています。私自身は創発クリエイティブな点が持ち味ですが、これは逆を言えば移り気だということです。飽き症でどんどん新しいことに飛びついていく、思いつきや既成概念にとらわれないという意味では革新的かもしれませんが、一方で芯が通っていない、ぶれまくっているということです。地道に何かを遂行することが苦手ということは、ある意味自分に甘いということになります。自分に甘いということは他人に対しても甘くなりがち。自分に甘くて他人に厳しいタイプもいますけどね。自分のことは棚に上げてというタイプ。このような側面も自分には混在していることでしょう。自分のことは見えないという脳の特性があるので、おそらく今その瞬間の思いやイメージが全てとなって、過去の経緯は一切忘れているのでしょう。最初に言ったことと違うだとか、そういった指摘が時にあるのは既に自分のどこかに連続性がないことによる表象なのかもしれません。
 我やエゴが先走ると、必ずこのような風潮がでてきます。欲ですね。欲はあるのですが、その欲が信念があるのかどうか?どこかで上手いことしてやろうとか、楽して達成しようということにおける背景が見え隠れすると信用がありません。

錦織選手はぎりぎりゆとり世代のようですが「物欲が無い」と自ら言っています。年収5億とも言われる選手であれば、おそらく自分だったらもっと何かをしたいと思ってしまうでしょう。車や服装や時計や、もちろんプロなのでこだわりをもってということも必用でしょう。本田選手のようにいかにもということもあります。しかし、それがどのようなスタンスにて服装や時計を身につけるかが大切なのだと思います。責務と何かを背負いながら身につけるということが不可欠なのだと思います。

地位と名誉とお金を手に入れた瞬間に墜落していくことも多々あると思いますが、果たして自分がその立場にたっても変わらず信念を持ってできるかどうか?昨今のサッカー選手においても、どんなに成功していても真摯に取り組む姿勢のない選手はあっというまに淘汰されています。確かに一昔前ならマラドーナは英雄になれたでしょうが、現代においてブラジル選手が今ひとつパッとしないのは技術と上手さはあっても、いわゆる教養というか謙虚に取り組むメンタルの姿勢に問題があるのだと思います。ネイマールは別ですよ。彼は新しいタイプのブラジル選手ですよね。

錦織選手の活躍においては、体幹や身体機能優位な論調はでてきません。理学療法士だったらフィジカルの発達と進化がオフォーマンスの向上につながったと言いたいところですが、彼の場合にはそれが当てはまりません。もしトレーニングや治療にて、何処かの誰かが関わって躍進したら、間違いなく吹聴することでしょう。

本当の意味での信念とは・・・を考え続けていきたいと思います。
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