運動連鎖アプローチ®の歴史

⑴ 運動連鎖アプローチ®の歴史(成り立ち)

平成15年(2003年)運動連鎖アプローチ研究会 発足
①人材発掘
 私が理学療法士になった25年前は、ある限られた先生による研修会のみが存在していた。そして、その先生方の影響力は絶大であり、我々は常にその先生方が発信する情報やメッセージに頼っていた。つまり、良い意味では中央集権的にまとまっていたということでもあるが、その先生が何かを発信しくれなければ何も変わらないという現状でもあった。つまり前頭葉を他人に預けている状態と言える。そんなアンチテーゼを胸に運動連鎖アプローチ研究会を発足した。今から12年前にさかのぼる。臨床経験は13年目といったところになる。
その時に①人材発掘 ②人材育成 ③既存の理学療法へのアンチテーゼマルチな総合的に何でも見れる理学療法士を目指す!という三つの理念を掲げた。

また、「媚びない、群れない、(長いものに)巻かれない」
という自分なりのポリシー、挟持とした。

これらは今でも基本的に変わっていない。

 20代はそれこそがむしゃらといった表現がぴったりだ。目の前に来るもの全てを喰らうようなそんなハングリー精神があった。その先に人前でしゃべるようになるなんて露とも思わなかった。何故なら高名な、とてもおいつけそうもないような先生方が沢山いたからだ。ひたすら下積みを重ねた10年間であったと言える。好奇心が強かったせいもあって、理学療法のみならず整体やカイロ、歯医者や東洋医学、スポーツ現場、認知運動療法、嚥下や脳外分野などにも出まくって、とにかく新しい世界への扉を開くことに邁進した。臨床経験が10年にもなったころ、運動器分野では何でも人前で話せるぐらいの自信がついていた。まだ人前で話すという方法を知らなかったので、とりあえず沖縄にて知り合いの伝で喋ってみる機会を模索したが、「何でも話せるよ」という返答がかえって主催者にとっては何が特色がわからないということで逆に企画をしにくかったようだ。結局は話は流れてしまったように記憶しているが、それは私が無名であったことも無関係ではない。学会にも積極的に発表をしていて、ポスターセッションにてわざわざ質問に来てくれる人もちらほら出てきた。こんな自分にも真剣に臨床での疑問をもって来てくれる人がいるんだ・・少しはこんな自分でも約立てることがあるのでは?そんな気持ちになったことを覚えている。最初はhow toを教えるような研修会を考えた。しかしながら、自分のやりたいこと、理念とは相違がある。理学療法の専門性とは何か?そのことを考え続けた10年間!方法論のみを論じるレクチャーする功罪。それは方法論のみをレクチャーする研修会、リハビリ以外の業界に出入りする中でデメリットを強く感じていたからである。よって考え方や視点を前面にだすべく「運動連鎖アプローチ」という文言を選定したのである。手技療法などの治療方法は自分でいうのもなんだが、理学療法にあるあらゆる手技はほとんどマスターしているといっていいだろう。別段特別習ったわけではなくてもだ。

 レッドフラッグなども含めた適応を見立てることの重要性については、クリニカルリーズニングやclinical prediction rulesなどの欧米のエビデンスに基づいた体系において述べられている。これはこれで重要だが、医師と同じ診断権や開業権ができたときに必要性が増すであろう。知っていなければ行けない!と欧米にいる理学療法士はさかんに言って入るが、残念ながら現在の日本の理学療法において必然性が高くないのである。政治を変えて制度を変えなければ、教育を変えなければただ発しているだけでは何も変わりません。その通りだよな・・・と思って終わりです。
 現段階で、日本においては在宅への復帰率、活動と参加という診断や治療というよりも、生活リハビリなど日本の高齢化社会が抱える問題への取り組みが最優先しなければいけない風潮がある。基本的動作能力の改善なのか?機能障害の改善なのか?向上なのか治癒回復なのか?局所的な機能回復が動きや活動にどれほど影響を与えるかといったジャンクションが欠けていると、楽になる軽くなるという近視眼的な現象にとらわれてしまう。理学療法においては、長らく近視眼的な見方に傾倒していた、いや甘えていたのである。

よく日本人が協調性を重んじるが故に、飛び抜けた個性というものを認めないという土壌があることは各方面にて指摘されている通りである。「今の理学療法士は前頭葉障害である」・・このことをあるカリスマと呼ばれる起業を推進していた療法士に話すと、眼を輝かせていたことを覚えている。

 ものごとには功罪というものがあり、サッカーなどの勝負の世界においては意見を言わない、主張しない、言われたことを忠実に従うということにおいてのマイナス面をトルシエやオシムからは指摘されていた。
 しかしながら一方でエゴイストという言葉がサッカーにおいての功罪両面に使われるように、全てを自分でやろうとする姿勢についての警報をオシムは指摘していた(本田について語る時)。その思いは時に周りの意識改革を促し、起爆剤となることがある。香川や長友や本田が欧州のビッグクラブに移籍し始めたときに、ザックジャパンにおいてその説得力がピークに達した。またザックが選手の意見を積極的に耳を傾け取り入れるスタイルであったことも、本田選手をはじめとするカルテットが日本サッカーの世論を形成しているかのようであった。しかしながら、そんな時においても内田選手は特に傾倒している様子はなかった。遠藤選手を除く、Jリーグの選手はその意見にものを言うこともできずに右に習えであったろう。「W杯にて優勝」という目標を・・・。このような経緯には必ず伝説となる逸話が存在する。何度か本田選手が怪我などで欠場した代表戦において、ことごとくチームの力は低下し、ピッチに立ったときには勝利するということを繰り返した。こうなってしまえば、本田待望論が巻き起こっても不思議ではない。そういったことを繰り返すことで、さらに本田選手の上昇志向が個だけにとどまることはなく、欧州移籍からビッグクラブへそして代表においても優勝という目標を掲げることは、当時のメンタリティから言うと自然なことだっただろう。
既にビッグクラブに何人もの選手を抱えている強豪国に比べて、レギュラーをとれるかどうかといった欧州組が何人もいた日本代表では、明らかに格が違うはずなのだ。しかしながら、初めて到達した高揚感というものが日本代表における長友・本田・香川・岡崎のカルテットにはあっただろう。そこまで欧州のチームで活躍する選手がいなかった南アフリカ大会におけるベスト16、そこからの実績の上乗せを考えた中での最低ベスト16、それもリアルに8・4が当たり前の現実かのような錯覚を覆っていた。そこにさらに本田選手が優勝という目標も、高い方が良いだろうという風潮も手伝って支持され続けた。固定されマンネリ化したパターンにおける新鮮味の欠如は、大久保待望論を巻き起こし直前にて代表枠に選ばれた。その大久保は長友に対して「ワンパターンのセンタリング」についての変化について直接指摘したという。長友からするとインテルのレギュラーである自分にJの選手からのダメだしは、かなりのカルチャーショックだっただろう。しかしながらそれは現実のことであり、周りが超一流の選手の中において、その隙間を見つけて献身的に埋めたり、縁の下の力持ち的なフォローが得意な日本人特有の勤勉さがチームとしてハマるのであって、局面を打開するだけの個のレベルというものが足りていなかったということなのでしょう。インテルやマンUにおいては、CLなどでビッグクラブと対戦しているはずなのですが、代表において力の差を見せつけられるという経験は、クラブでは体験できない事実であったはずです。何故ならドログバを要するコートジボワールや、ハメスロドリゲスを要するコロンビアなど、欧州においてはゴロゴロいるはずの選手達に代表のW杯において、心理的にも圧倒されてしまったということ。バックにチームの歴史や同僚の選手としての格が欧州においては受け止めてくれたものが、日本代表というなかにおいてはその精神的支柱としての役割が一気にのしかかってきたときに欧州においてレギュラーを張っている選手においても受け止めるには足りないキャパだったのです。
 理学療法士においても病院の医師の診察の検査の診断という儀式を踏んだ上で、患者になってリハビリ室に来るのと、一歩外に出て自分という個を曝け出したときに勢いが無くなってしまうということと同じです。羽入選手がNHK杯において4位であったとしても、グランプリファイナルにて圧倒的な強さで優勝してしまうその格のようなものです。
 日本代表もまだまだ欧州や南米の強豪国に親善試合にて勝ったり善戦したりという経験が始まったばかりであり、公式戦にてどのように勝ちきるかという同じ目線にて同等とならなければならないのです。
 人の屋根を借りて何かをするのは安易ですが、それは自分の真の実力ではないということ・・・親の七光りにて最初は良くても、独り立ちをすることの難しさは芸能界やスポーツをみても明らかです。叩き上げにて作ってきたそのノウハウと経験をすっ飛ばして、いきなりステージに上げてもらう恵まれた環境は往々にして人を勘違いさせてしまうのです。
 何をやっても題材となって話題になるAKBなどは、舞台裏や稽古場での涙と汗そのものが感動を呼んだり、共感という宣伝材料となってしまいます。そのような仕掛けやストーリーはあくまで秋元康がプロデュースしているのであり、メンバーそのものは学芸会のように頑張ることそのものが注目と飛躍につながるという不思議なロジックなのです。よって紅白などにて中島みゆきの後に歌ってしまっては、その実力差に愕然としてしまいます。紅白の善し悪しはさておき、これほどまでに歌とは何か?歌手とは何か?ということを検証できるということにおいて、これほどわかりやすい場はないでしょう。いずれにせよAKBもモーニング娘もしかりですが、ピンではなかなか難しいわけで、ちょっとスキャンダラスな話題を振りまくぐらいの輩がようやく居場所を見つけているということなのです。
 AKBとしても鳴り物入り?で卒業していった前田敦子や大島優子においては絶対的に成功しなければ、成功させなければいけないということなのです。一歩外に出てしまうと、AKBとしてではなく初めて井の蛙であったことがわかるわけで、これは病院にいる療法士においてもよく言われていることです。病院の外のことを知らない!社会の常識に触れていない。よく社会では通用しない!ということを言われていますが、一般社会とは?何を指しているのか?サラリーマン?企業?では世の中企業が基準なのでしょうか?他職種があるなかである世界が全ての基準になる必要はありませんが、守られている環境ダルということを自覚しておかないと、いざ外に出たときに目論みが外れるということになります。まーこの目論みが外れて、こんなはずではなかったという体験そのものが大切であったりするので、長い眼で見たときに狭い世界にいるということを+に転換できるも、固執してマイナスに転落するのも結局はその人次第ということになります。
 今現在は人材発掘しなくても自ら躍り出てくる人が山ほどいるので、かえって誰の話を聞けば良いのか分からなくなっています。相変わらず昔から著名な人は、その名前で需要が減ることはありませんが以前ほどに存在感はありません。あまりにも多くの情報があるために埋もれてしまうからです。よって機会が全体的に増えているので、需要が減らないというだけであって占めるシェアは減っているのです。個人にて声をかけてもらって講師扱いされることでステイタスがあった時代は終わり、社会に何の足跡を残したかが問われてくるようになりました。その足跡もしっかりとアピールしなければいけません。それも世界的に。
 最早、人材発掘というニュアンスは変えなければいけない局面を迎えています。発掘しなくても勝手に出てくるからです。これからは既に理学療法として誇るべきコンセプトや技術など、既に世に出ているものをさらに発展させ引き継いでいく土壌をつくることでしょう。それは誰もが出来るものではありません。若い療法士が、いきなり自分が引き継ぐ!背負って立つ!という気概も勇気も行動もとれる人はそうはいないからです。自らが初めてという肩書きが欲しくて、目立つためには意気揚々と出て行きますが、責任を負う、背負って立つというニュアンスは重いからです。好きなようにできない、思い通りできない、という状況を嫌がる傾向にあるからです。「楽して上に上がりたい!」そんな風潮において際立っている人が目立っており、そしてリスペクトと崇拝する輩においては謙遜がたってしまって出て来れない!そんな矛盾のなかで、誰が先人きって理念と哲学を引き継ぎ、挟持をもって積み上げて生けるか?伝統と歴史を背負って立てるか?屋台骨を間借りして売り出そうとするAKB商標を目指すのか?自分のために・・・利己的でエゴがそこには無いのか?半径数メートル以内の狭い世界のなかで、自己満足しようとするスパイラルに陥っていることに気がついているか?
 いずれにせよ私の世代がそのバランスをとれるキーワードを握っているわけで、自らが率先してその行動の先を示さなければ行けない!

次は人材育成について述べていきたい・・・つづく
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