身体の自由度とバランスの臨床応用

機能改善と身体バランス



どのように身体バランスを理学療法に応用していくか?活用させるか?

姿勢制御における自由度と汎用性を理学療法における機能改善の原理原則とし、この概念こそがリハビリの掲げる治療の根幹である!と常に提唱し続けていますが、この自由度と汎用性を如何にリハビリ現場にて応用するかがテーマとなります。

一般的に書店に並んだり、雑誌のターザンや秘伝に掲載されている理論は、一般論としての概念になります。つまりは、一般論ということは、姿勢は直立で左右対称でなくてはいけない!という解剖学的な肢位になります。教科書は正常な標準を基本として述べていますので、確かに理想はそうでしょう。そして当然一般紙は購読者が一般大衆ですので、これまた正常に近付くことを、理想に近付くことを基本とします。

ところがリハビリでは日々直面する患者は、高齢者であり退行性変性疾患なのです。もちろん、若い人も対処となりますが、大半は高齢者なのです。そして重度な機能障害や内科的疾患を有する患者です。つまりは明らかな後遺症を残すという前提にたっての理学療法になりますので、正常に戻すことが本分ではありません。必ず機能障害は残るのです。運動器疾患においても、麻痺がないだけで不可逆的な変化を有していることが少なくありません。

よってリハビリにおいては、ICIDH国際障害モデルからICFという国際生活機能分類へと変遷してきたのです。

不可逆的な変化を見せている場合、どのようなバランスを考慮すべきなのか?

まずは運動連鎖でも基本となるニュートラルをベースとします。ニュートラルとはその人なりのバランスとなります。つまりはその人が1番汎用している、現バランスにて最も機能的な肢位となります。4スタンス理論においても、基本はその人のタイプを見極めて、そのタイプに合ったパフォーマンスを構築していきます。つまりはそのタイプに適した身体バランスや身体機能、つまりは身体の使い方です。特にスポーツパフォーマンスに適応となる理論であり、競技特性に転換しやすいメリットがあります。元来、スポーツパフォーマンスは、人間が二足直立になることにより進化した機能プラススポーツのためのスキルを身につけなくてはなりません。マイケルジョーダンが大リーグにチャレンジしても通用しなかったように、身体機能だけではダメなのです。そのあらゆる場面場面に応じた身体操作や心理的な想定が必要であり、単純に走るといってもそのバリエーションは幾千にもなるでしょう。よって体幹のプロフェッショナルや、身体軸のプロフェッショナルがそのスポーツにて大成するわけではありません。

ボディワークや古武術も含めて、身体技法とされる方法論は、スポーツ選手が取り入れていることはあっても、その方法論の専門家になる必要はないのです。それはボディワークという名の、競技だからです。ボディワークに特化した其々の場の空気や流れがあり、各々のスポーツ競技にもっと転換しやすい、身近に感じられる体系が必要なのです。ファンクショナルトレーニングなどはまさに動きがスポーツを連想させる、その最たるもので、または世界中のトレーナーが提供しているコンセプトの中にヒントがあります。ようはモードですね。そのモードに選手があらゆる境遇を経て、受け入れるタイミングになった時に、その身体技法なりトレーニング方法を取り入れた時に、始めて効果が出るのです。誰がやっても効果的に作用するわけではありません。普遍性があるものがエビデンスとはなりますので、間違っているものには効果はでないのは確かです。つまりは、各々の身体技法には何らかの真理があるのです。その真理の方法論のみを体系化させるのは構いませんが、全てのあらゆる選手や大衆に適応となるかどうかは全く別物です。例えはある有名な選手がある方法論にて競技能力が向上したとします。その提唱者は一躍時の人となりますが、その効果を期待して集まってきた誰にもが効果を上げるこことはできません。重要なことは理論ではないのです。その方法論ではないのです。全てのクライアントに治療家やトレーナーが、変わらぬスタンスで個別性を考慮して一から組み上げるつもりで関わることなのです。理論の専門家が机上やセミナーでは賞賛されても、実践になった時に、自らの方法論の素晴らしさを誇張するための手段となっては、本末転倒になってしまいます。そこには自分しかないからです。あくまで自分のための手段でしかなく、思うような効果がでなければ言い訳、良くなれば手柄、手柄しかにないでネガティブな場面はすべて都合良く他人のせいにするという思考になります。
賛同と賞賛に対してはウェルカムで、批判と疑問にたいしては攻撃をします。

体幹トレーニングを取り入れて効果を上げているという選手はものすごく多いです。コアトレですね。既に普遍的なエビデンスといってもいいでしょう。実践と現場は実験の場であり、そして競技成績が結果となります。あまりにも統計には乗らない、あまり意味がない、シングルケースそのものが最も大事な特性があるため、その体幹の何がどのような導入によって効果に結びつけられたか!ということが大切になります。おそらく大切なのは体幹のトレーニングではなく、その導入方法論がこなれてきなということなのでしょう。そしてその身体構造そのものが身体機能の原理原則の一つであったということです。
よってそこにはピラティスをやってとか、ヨガをやってとかというフレーズではなく、体幹であり、コアトレーニングなのです。そのボディワークの要素や素養は取り入れていたとしても、そのボディワークそのものの評価ではなく、あくまで応用して転用できることが不可欠なのです。

どのようなマインドが必要か?現場とはOJTであり、そして病院なクリニックやスタジオの中での閉鎖空間での当たり前ではなく、まさに今求められているマインドは地域包括なのです。本当に効果を上げるとは何なのか?そこにはあらゆる人達の協力と思考が交じりながら、ある方向性に進んで行くのです。ある方向に強引に牽引する人がある時期には重宝されますが、潮目が変わると途端に頓挫します。どのような効果的な流れになるかどうかは、我の突出ではないのです。引き出して能動性を高めて、融合すること。そこにはコンプライアンスとガバナンスという一線は超えないことが前提です。
しかし、イノベーションとは、何かを変えるときには、常識という枠にとらわれないマインドと、そのマインドに基づいた行動が必要ではあります。それはサッカーにてエゴイストが時にマイナスに働くことが多いように、しかしながら時にエゴイストが輝くように、それは大衆の批判を評価を一身に浴びる環境だからこそです。エゴイストがエゴイストのままでいられるのが、病院という閉鎖空間てあり、時に社会性や世間に通用しないなどの形容がされるのです。

先生という立場、一度浴びた賞賛と言うなの権力ー地位!引き返せなくなるエスカレートする言動ー世界のプロフェッショナルに準じようとするならば、批判も非難も受け止めなければなりません。

身の丈に合った見返りと評価ー
それは人によってスピードとタイミングが違います。一足飛びに駆け足では上がれません。しかしながら何事も失敗なくしては、次はありません。その時にアドバイスや指南を与えてくれる人を大切にしなければならないのです。所詮は自らの現段階での価値観!いつでも覆ります!前言撤回などさ容易いものです。公的な文章にも、議事録にも、残ってないのですから言いたい放題です。

街づくりまでできるような、その気概や気持ちと可能性^ ^を試行錯誤し、ようとするマインドが新しい時代の為の時代を切り開くスキルなのです。

さて、身体バランスですが、普遍的な身体技法はスポーツ選手により適応となる理由は、自由度と汎用性だからです。しかしながらゴルフのようにセンチ単位の精巧さは、時期を間違うとダウングレードしてしまいます。つまり、真ん中に合わせればいいというわけではないということです。知り合いの、咬合を専門とする歯医者さんも、スケート選手の咬合を治すのは躊躇う!と言っていました。つまりは清水宏保などな明らかに下顎がズレていますが、そのバランスにてバンクを作りカーブのコーナーリングをしていたとしたら、その積み上げた運動連鎖を壊してしまう可能性があるということです。競技特性とはアンバランスが前提となる場合、その変化を起こすタイミングと時期を見誤ってはいけないということです。
このような幼少より積み上げた運動連鎖のバランスをより活かすことがプラスと考えるか、それとも一度イニシャライズをして、ニュートラルな状態に戻すべきか?怪我をした場合には、治すことが前提となりますので、ニュートラルに戻し、時間もあるので割り切って一から積み上げることができます。
そして怪我をする前よりパフォーマンスを上げてくることも珍しくありません。聞く耳を持てるタイミング!このタイミングも合致しないと、どんなに素晴らしい理論も空論に終わります。
また、不可逆的な変化がある症例においても、例えば外科的に固定しているとか、明らかな制限です。これは自由度と汎用性を拡げてしまうと、動かない部位は負担が増大する場合があります。
このような場合には、敢えてアンバランスな中で、どのように補償するかを考えます。

まとめると画一的な身体技法の方法論は、秘伝モードではOKですが、それをあたかも医学かのように振る舞うのはお門違いでございます^ - ^
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コメント:5

道場での学び

16期生 今井
身体の使い方こそ、その人の生活であり、人生であり、運動と作業の自由度と汎用性を広げることは即ち人生の拡がりであると解釈しています。これはDrにもNsにもできない専門性を必要とし、リハビリテーションの本質であると思います。
情報社会に生まれ、先人の経験や知恵の恩恵を受けることができる次世代の臨床家は、あらゆる技術に驚いたり酔いしれることなく、その対象者の身体の先には生活があり、社会があることを意識しなくてはなりません。どんな凄い治療技術も哲学なくてはただのパフォーマンスであり、自己満足であり、駅前のヒーリングと変わりません。逆にどんな技術であれ、リハビリテーション哲学に基づいてその対象者の身体運動、生活、人生の自由度と汎用性を広げて行くことが役目であると考えます。
上記のマインドはこれからのリハビリテーション専門家は備えるべき必須条件であり、さらにプラスアルファ自分の形で何か一つでも社会へ貢献することが道場生には求められると感じています。
高齢化や人口減少をはじめ、複雑に絡み合った社会問題を抱える地域にはどこか閉塞感があり、これを解決していくマインドこそ自由度と汎用性であり、リハビリテーション理念ではないかと思います。社会を変える運動も連鎖していくことを望みつつ、自分自身も失敗を恐れずに挑戦して行きたいと思います。

Re: 道場での学び

山本尚司
今井さん

ありがとうございます。
リハビリテーションの本質を運動連鎖道場にて感じていただければ、これ以上の喜びはありません。
技術とは知識とは、常に繰り返されてきた自己満足のループに貶めてはいけないのです。その負のループに陥っていることに気がつかないセラピストが、いかに多いことか…延々と自らの優位性を吹いていても、なんの評価尺度にもなりません。SNSとは怖いもので、何かしら発信することで自らの価値が高まったかのように洗脳されます。普遍的な原理原則を見定め、リハビリテーションの理念を具現化できる人材として道場生を送りだしていきたいですね。

身体の繋がり

金子
ご無沙汰しております。以前 神奈川県学会でお話せせていただいた者です。
今年に入ってから古武術を学ばせていただいております。姿勢制御に関しての視点が違い「目から鱗」といった感じです。「どこに、あるいは何に注意を向ければ体が繋がるのか(安定する)」「楽に動けるのか」など理屈ではなく、体で体験させてもらっています。箸のもち方や空手の型なども姿勢制御に関係しているようです。ほとんどの人が体験できる人間の体に備わっている原理原則だと思います。転倒予防に関しても応用していけるのでいろいろ思考中です。

Re: 身体の繋がり

山本尚司
金子さま


貴重な体験をされているようですね。
是非またお話し聞かせてください。
宜しくお願いいたします。

Re: 身体の繋がり

山本尚司
金子さま


貴重な体験をされているようですね。
是非またお話し聞かせてください。
宜しくお願いいたします。

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