ニューロリハビリ

難病に挑む!


 ハートネットTV にてニューロリハビリが紹介されていました。そのなかでフォーカルジストニアという音楽家のなかで50人に1人の割合で存在するという難病が紹介されていました。ある日突然発症して、楽器が演奏できなくなってしまう。紹介されていたピアニストは右手があるとき急に自由に動かなくなってしまった。練習不足だと思い、さらに練習を繰り返したようです。ジストニアは私もみたことがありますが、楽器がひけない、スポーツのいっぷすと同じような感じかもしれません。
 また「小児慢性疲労症候群=Childhood Chronic Fatigue Syndrome」についての紹介されていました。
成人では慢性疲労症候群(CFS)、ME(筋痛性脳脊髄炎)と言われいる疾患です。子供の場合、日中が眠くて起きれないので不登校になるということです。脳の活動をみてみると、夜でもあたかも昼間のように活動をしているようで、当然脳は休めなくなるということだそうです。また外界の刺激に対して休むということをしない、全て反応してしまう、いわゆる神経質な気質なども出ていたように思います。よって脳の器質的な問題ということだけでなく、その器質的な問題を引き起こす気質や環境なども誘因となっているのでしょう。

 このような難病において、原因を脳から解明しようとする動きがあります。これがニューロリハビリということになります。理学療法などのリハビリにおいては、論文ベースに体現化することになりますが、そのリハビリ方法そのものの有効性を示したものではないことが多くみられます。つまり最新の論文を紹介して引用はして、その理論をもとにリハビリを思考するというロジックです。しかしながら論文は基礎研究であり、その研究が実際のリハビリの有効性を示してるものではないことは明らかです。それは、リアルタイムにその脳内の過程をみることができないからです。そしてその結果脳内がどのように変化したかも確認できないからです。我々は効果器である末梢の運動器によって、その脳内の表象を得ようとします。しかしながら、実際に脳がその時何をしているかはわかりません。
 番組では、「脳卒中:イメージトレーニング」にて治療をしようとする試みも紹介されていました。そのメカニズムはそれほど複雑なものではなく、全ては機器にて視覚化できるということでアカデミックなのです。完全に治るわけではないのですが、患者は未来の治療法への協力を喜んでするでしょう。その何か起きていて、何か少しでも手がかりが無いのか?そんな気持ちだと思います。変化すること!そのことがアカデミックであり再現性があり、次の研究としてつながっていく、積み上がっていくことが臨床現場でのセラピストが実践しているニューロリハビリとの大きな違いです。つまりは英文での論文になっているかどうか?というだけの差なのです。

そこで登場するのは全て研究者と医師になります。このような試みは本当の意味での治癒にはまだまだ壁がありますが、基礎研究としてそして今後の治癒への可能性の礎としての意味があります。しかしながら、理学療法士や作業療法士は臨床ではそのような試みはできません。診療報酬の点数を稼がなければいけないわけですので、点数にもならないような、またどちらかというと診断的な意味合いの強い、測定と視覚化できる治療は科学の分野なのです。この科学の分野にリハビリ専門職が入らないで、臨床という名の下にコストパフォーマンスを求められるルーチンワークとなってしまえば、それはもはや医療なのでしょうか?
現場とはドラマ人間模様であり、リアルタイムに息づくものであり科学とはその一側面である!とも言えますが、専門家としてのそういった面ももっと注目されていいはずです。リハビリ専門職のなかで、impaermentの治癒につながる研究と取り組みをもっと前面に押し出すべきでしょう。そしてそのベースがあるという上に、地域や生活場面でのリハビリがあるのです。
 
 身体機能に拘りすぎた反省にたって今はリハビリは進もうとしています。反省の上にたつのはいいですが、いいものを失っても意味がありません。否定ではなく肯定と評価をしっかりとしてから、ポジティブな意識にて次の段階に進むべきなのです。しかしながら同業のなかでも、その身体機能に拘るスタンスが鼻持ちならないイメージとして嫌気がさしている人も居ます。そうすると結果的に、新しい時代にあった理念がでてくると、以前のものを排斥しようとする意識がでてきます。本来、脳や心理、認知機能などは、このような自分自身に湧き上がる思考について分析して、活かさなければならないのです。その自分の陥っている思考や認識が、脳や認知という視点からどのようなメカニズムにあるのかを応用することが各々ができる最初のニューロリハであり、患者も我々の発展のためにも大切な視点なのです。

その身体機能の指導的立場に立つ人においても、他のカラーを持ち合わせていないものだから、時代が変わり旗色が悪くなってきてまずいな!と思いつつも、今更前言撤回もできないしということになるのです。

全て受け身になっていないだろうか!ニューロリハビリと提唱している人は沢山いるが、果たしてイニシアチブを握れているのだろうか?リハビリのそれもコメディカルのなかだけで、専門家になってはいないだろうか?
地域包括ケアーをしっかりと確保しなければいけないことは百も承知ですが、それは当然、全ての人がそのモードでなくてもいいのです。しっかりと治療の分野にてさらにイニシアチブを握れる人が必要なのです。普遍的な根幹がなくしては、結局は地域ケア会議に出た時に、何が軸として臨んでいるのかが結局はおうむ返しのように突き返されるのです。いまだに理学療法の専門とは何か?ということがはっきりしないなかで、今は地域包括という椅子をとることにスタンスを置いていいいでしょう。その先は?どうする?同じ方向だけを見ている人だけではなく、その別角度であったりその先であったりを見ている人も必要なのです。地域包括ケアの視点は、直接ニューロリハとはカテゴリーが違えども、その包括的な視野は大いに応用できます。医学に特化した分野を伸ばさなければならないが、医学モデルにてリハビリを考えすぎたことは患者や利用者にとってプラスになりません。講演会にて賞賛されることと、リハビリ現場にて必要とされることは違うのです。専門家は講演では感銘を受けますが、生活の場面になると専門特化ではなく多様性が求められます。研究室の場では価値があることも、生活の場になると一人一人の気持ちや背景を念頭に置かなければなりません。専門家の集まりのいわゆる有識者会議には学術的な視点の人が必用ですが、防災ではさらに市町村や行政と連携なくしてはどうにもなりません。後で予知が当たったなどとよく報道かれますが、具体的に行政に働きかけたか?ということが大切なのです。

リハビリでは医学モデルにて身体機能をみて、一時的期な変化のみを効果として見る風潮ができてしまったのは反省です。あたかも変化することが最大の我々の存在価値であるかのような、それは明らかに違っていました。脳の可塑性という呪文のような言葉にて、脳科学がまだ脚光を浴びていないときにはアナログのアプローチこそが、その襲名に相応しい立場だったのです。しかし、科学がここまで進んできて中枢神経そのものが再生されようかという時代に、来ては欲しいような欲しくないような時代が理学療法士に降り掛かってきます。おそらくその時には二極化するでしょう。ニューロリハビリというものからいっきに離れるもの・・いやそれでも大切なんだと変化しながら、または再生医療の専門家を講師に呼んでステイタスを保とうとする焦りと抵抗。
 いまからそのような時代が来ることを想定して、新しいリハビリを構築するべき委員会をつくればいいのです。テーマは成人になってからの個体発生アプローチ。既に1Gそのものが赤ちゃんのような個体発生を許さない環境なのですから、発生学的なアプローチというのは聞こえがいいですが、問題点があることを指摘しなければいけません。
①成人は身体が大きい
②体重が思い
③1Gの影響を受けやすい
④健側がある
⑤社会生活を営まなければいけない


⑴末梢から力が入りやすい、意識が向きやすい~
 これは脳卒中や不全麻痺などでもそうですね。効果器の末端がもっとも作業を担うのですから、当然意識がそこに向きます。本来であれば、個体発生のなかで無意識に運動連鎖が構築され、自然に末梢を動かすときにも中枢部が連動してくるはずなのですが、麻痺の場合には一度分断されていて、それでいて生活において作業が必要で、合目的に課題が目の前にでてくるわけで、経験的に知識として使おうとしてしまうことで動きの不均衡がおきるのです。これも末梢を使うときに中枢部の連動性を刺激できるような装着機器を開発すればいいでしょう。

⑵上肢の屈曲パターン、下肢の伸展パターン
 これも下肢は立つため、上肢は補食や手を使うために必然的におきやすいシナジーです。そうするとその生活動作上すくない動きは意図的に積まない限りはできません。リハビリの治療場面だけでは他動的にセラピーするだけでは無理で、24時間使用する部位の管理とコントロールが不可欠なのです。このあたりはモニタリングでき機器にて使用部位をカウントしていって、万遍なく使えるようにフィードバックしていけるようにプログラミングを開発します。

つまり今後再生治療ができたときに必要なリハビリは、生活場面での身体運動における管理であり、数値かなのです。何かのテクニックではなく、統計学的な手法により身体運動の使用頻度をカウントして、適切な配分を指導できるセラピストこそがNEWニューロリハビリセラピストとなれるのです。
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