指導的立場に立つ知識・技能が高い理学療法士とは?

日本理学療法士協会指定研修会 参加報告

 8月31日、大阪で開催された日本理学療法士協会指定研修会に参加してきました。認定専門の理学療法士取得のためには必須の研修であり、毎年狙っていながら自らの研修会の予定とかちあって一向に行けずじまいだった。また学会やその他の研修会にも自分の講習会があり結局予定があわずポイントが取得できないままでいた。皮肉なもので、ある程度講師等で呼ばれるようになると、忙しくなってしまい公的なセミナーに参加できなくなってしまうのだ。つまり本来は認定専門などは、学術や臨床に長けていて、それでいてあちこちに引っ張りだこのように呼ばれる講師の方々こそが相応しいと言えそうですが、暇がないということで結局新しい制度に乗れずじまいになってしまうのです。しかしながら、そのような著名な先生方は、既に何かを確立して別段、認定や専門などを取得しなくても何ら困らない立場にある。実績にて特例というような制度が創設時にできるのも、新人のように一から単位を取得する過程を踏むのには場違いだということとプライドを考慮してのものだろう。また制度を作る段階で携わった先生方の思惑も多少也とも入っているだろう。
 また何かを成し遂げている先生方は、主体的にすべてを考えて動いているので、他人の引いたレールを義務的にやらされることに抵抗感もあるだろう。自分のやりたいことをやるというスタンスと、免許更新のためにやらなければいけない義務とは、割り切って考える必要がある。更新などは仕方なく入るわけで、しかしながらだからこそ改めて初心に帰ることもできるのだ。
 
 さて認定専門理学療法士制度とはなんぞや?という方々は理学療法士の中でも沢山いらっしゃるでしょう。なんて面倒なんだ・・・という思いが先行してしまうのと、何の約にたつのでしょうか?という思いがあるからだ。メリットは現時点ではない・・かもしれない。しかしながら将来、患者さんがより良い治療を受けるための選択の基準となってくる。つまり患者さんにメリットがあるのだ。現在、患者さんは理学療法士を選べない。順繰りに担当が回ってくるだけで、そこには差別化はない。回復期であっても一般病棟であっても、順繰りに担当が変わっていくわけで完全個別担当制ではない。メインは決まっているので、自ずとそのメインの人がある程度全体をコーディネートすることになるだろう。また自然に先輩の担当患者に入ることで学ぶことも多いだろう。つまり、回復期などの365日体制は、単位を維持しなければいけないがゆえに、暗黙のうちに他の人の考え方を学べるシステムになっているのだ。

今回の指定研修会であった労務管理は勉強になったな。運動連鎖アプローチ協会も、自分の理念が反映しており、そしてそれに賛同して集まってきているということなんだと改めて思った。よって何かが足りない集団となってしまうのでは、それは自らの映し鏡のようなもの。

 では、指導的立場に立つということはどのようなスキルが求められるのか?その一つか表題でもある「知識と技術の高い理学療法士」である。
 この理学療法業界は、「知識と技術の高い理学療法士」を目指しているといってもいいでしょう。興味はほぼここにつきます。病院の中だけにいるときには、まさに知識と技術偏重といってもいいかもしれません。しかしながら地域や包括という概念がどんどん入ってくる中で、確実にその意識は変わってきているように思います。社会貢献するためにいかにキャリアを積むかということです。そのためには、もう少し外に出てコミュニケーションをとるべく術を磨かなければいけません。医師はまさにその肩書にて十分に尊重されます。医師ということでどれだけ世の中まかり通っていけるか分かりません。これは悪い意味で言っているのではなく、それだけの責務と立場にあるということなのです。よく言われる例えとして、社会に出れば通用しない・・・という下りです、しかし一体どのような人であれば社会に通用しているのか?そこがよくわかりません(笑)。患者さんからクライアントへ、そしてお客様へ・・・そんな立場を社会人と言っているのかもしれません。ではヤンキーあがりのボクサーはどうなのか?それこそ一般企業では通用しないということになりますが、別にボクサーなのでそれでいいのでは?また野球選手も引退したらどうするの?というようなことが言われます。野球しかやってこなかった人は確かに困るでしょう。しかしながら、一つのことを突きつけていく中で、尚且つ社会性も養っていくということの難しさ・・・そんな人はなかなかいません。スポーツにおいてもインテリジェンスが求められるようになり、頭が良くなくても通用しなくなっています。どのような身体の使い方云々ではなく、賢くなければそこにどんなに素晴らしい知見を与えようとも、取り込まれないのは明らかです。自分の理論やアプローチにて、あたかも素晴らしいパフォーマンスを見せる選手にできるかのような錯覚も多く散見されます。
 錦織圭選手が全米でベスト4に入り、快挙を達成しました。昨年末からマイケルチャンにコーチングの指導を受けており、その効果がかなり大きいことが報道されています。4時間におよび激闘を連日繰り返すなかで繰り広げられる闘いは、もはや身体の使い方といったような陳腐な言葉では語り尽くせない領域です。リハビリにおいてはスポ根のようなハードなトレーニングを課すということはしません。できるだけ苦痛なくリハビリを進めていくということが理念にあります。つまり病気や怪我に打ち拉がれた心に寄り添う、というような側面が求められるからです。しかしながら、マイケルチャンのコーチは、相当ハードなスポ根のようです。究極のメンタリティは究極の日常からしか養えない。自衛隊もしかりですね。
・勝負所での集中力
 ・重圧を跳ね返す精神力
 潜在的な力を引き出す、このあたりはコーチによるところが大きいのでしょう。メンタリティの土台のうえに、技術があることを物語っています。究極のメンタリティを持って選手に立ち向かうからこそ伝わるのだ!治療もしかり!しのぎを削りながら臨むからこそ響くのだ!

 地域包括であってもスポーツであってもそうですが、単に知識と技術だけでは仕事がやりにくい世の中になっています。サッカーで知性がなければ、転落の一途を辿っていくのと似ています。そういった意味において、抜群に飛び抜けた天才もオフザボールの動きや思考がとても大切になってきます。ボールをもったら凄いというのは、ネイマール、メッシやロッペンですが、しかしながらそれでも抑え込まれてしまうことがあるのです。周りが頼ってしまえば、いなくなると途端に破綻します。アルゼンチンのディマリアがいなくなれば、メッシも走らなければいけません。
サッカーのようにバドンドールにもなれば凄いのですが、医療の世界にバロンドール制度はありません。ノーベル賞や明らかな実績となる賞がないのです。人によっては、それは学位であり論文だったりします。臨床家は、こんな選手を見ています!!など自らが吹聴するしかありません。また講師を買って出てアピールするなど。またはFBやブログなどで報告するなどです。本来はそこが公的に認められるようなシステムが伴っていればいいのですが、往々にして自らをプロデュースするという手に出てしまいます。このような流れは元来、整体や柔道整復師の業界にて盛んです。もしくはマルチ商法などの商材を売るビジネスです。マーケティングやビジネススキルから、自らのキャリアをことさら大きく見せようとするものです。時にそれが身の丈に合ったものであればいいのですが、若いセラピストの場合にはそれほどネタがあるわけではありません。ドングリの背比べが、さらに過剰になってくるのは致し方ない現実でしょう。また昨今は潮目が変わっており、10年前まではそれこそ臨床にて素晴らしい実績のあげた理学療法士が崇められていたのですが、現在は政治家も輩出されるようになったことで、職能と政治という全く別の価値観にて取り組んでいる人が増えてきました。つまりは崇拝するべき師匠があってしかるべきなのですが、それが身分保証されているという前提のことであり、認知度が一向に高まらない、また地位や価値が低下してきているとしたら、いつまでもそのカリスマ先生に依存していても何も引き上げてくれません。このような先生になりたい!それは必要ですが、そこに職能と政治という視点をもって、医学・科学としての臨床を研鑽していくべきなのです。
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