有吉弘行とは何なのか?

Category: 多事総論
天真爛漫

 運動連鎖のコーナーにていきなりの有吉ネタです。

 常々、どうしてそんなに売れているのだろう?

 やや疑問というか少しばかりつながってこない感じがあった。

 やはり売れるだけのことはあるよね~と頭では納得しながらも、では何故売れているか明確な答えはわからないといった感じでしょうか。

 面白いとかトークがとかそれは理由はいくらでも挙げられると思いますが、もしこれで凋落していったとしたらまたその明確な転機や理由も分からないでしょう。

 どれもが、~だろう・・・という後付けの理由ばかりであって、評論家もFBやtwitterでのつぶやきも全ては外野の戯れ言なのです。

 それと同じようなことは何故売れているか分からない、そして何故に売れなくなっていくのかもわからない・・他者からは当然だと思えることも、当事者は何故分からないのだろうか?というようなことは非常に多い。

つまり素人目のほうが、より適格な指摘と評論をしていたり当たっていることが多いように感じることもあるのですが、きっとそのような画面だけで、ちらっとニュースをゴシックを一目見ただけで悟ったような語り調は、誰にでもできるということです。

そして当事者になると、それが簡単にできないこと理解することです。例えば何か事件があると先生は何をしているんだ?警察は何をしているんだ?などなど文句ばかりでてきます。では自分は何をしているのか?それが一番の問題です。言いっぱなしではい終わり。次の瞬間からは全く忘れて違うことをしてるはずです。当事者になってその問題解決をしようとするならば、どれだけの労力と手順が必要かを考えなければ行けません。結果、学校の先生やら、役所関係の人に要望ばかりを突きつけて、自分たちが率先的に動いていこうとしない。納得のいくように、説明を・・・とばかり言い放っても、その納得は説明者と個人ではなくて被説明者間にて調整するべきなのです。

業績が挙っていたり、活躍した人に対する賞賛は誰もが惜しみません、しかしながら手のひら返しという言葉を皆さん覚えたようで、ネット上に飛び交う言葉の繰り返しにより、そのアーカイブが自然に残ります。そのアーカイブの変遷にていかに人の思考の変遷が激しいかがわかります。いまは、あたかも一度言ったことを絶対に撤回しない、変えてはいけないというような風潮があります。今はころころ変わると、信用されなくなってしまうということです。この辺りはチーム作りや政党の離合などでも見られます。

有吉さんは猿岩石にてヒッチハイクの旅に出かけ、スターダムにのし上がりました。その後急転直下のごとく低迷したとされています。

その後、芸能人にニックネームをつける辛口の品評が取りざたされ、人気を博してきたように記憶しています。

しかしながら、そのニックネーム付けそのものが、センセーショナルなものとも感じませでした。おそらく、大半のひとが売れ出してから、有吉は面白い!と後乗りしてきた人の方が多いのではないでしょうか?

つまり、面白いと評判になっているものだから、嫌が応にも耳にする機会が増え、メディアに露出しているものだから目にする機会が増えるということです。

とんねるずが『ねるとんベニクジラだん』や『夕焼けニャンニャン』に出て来た時はほんとうに面白いな~と浪人時代に必ず見ていました。浪人時代の唯一の楽しみだったかもしれません。
とんねるずも最初は圧倒的に、タカさんが面白い!でしたが、その後に脇を固めるノリさんがじわじわとその人気の下支えを担っていたように思います。年始のスポーツ対決もノリさんのセンスがなければ、勝負にならない場面がは山ほどあります。つまりは体力勝負のスポーツ対決も年齢にはとうぜん勝てなくなります。

話は変わりますがお笑い界の重鎮は長らく、タモリ、たけし、サンマ、ダウンタウン、とんねるず、ウッチャンなんちゃん、辺りが独走しています。しかしながら画面に出てくるその姿を見ると、年をとってきているのが分かります。

お笑い界も多様化しており、各々が限られたピースの数を埋めている状況です。

MCがなんとなくお笑い界の行き着く位のようなイメージがありますが、リアクション芸人や珍獣ハンターなど、独自の路線にて道を切り開く必要性があります。

ましてやアイドルもアナウンサーも被ってくる時代…

アイドルやダンサー、ミュージシャンなど、分かりやすい自己表現のできる立場になりたい若者は山ほどいます。

ブレイク、再ブレイクを繰り返しながら、その周期が10年単位だったりします。下積み時代が10年というのも珍しくありません。奇抜な演出や物珍しさで一発芸人と言われる人たちも、その後の継続に苦労します。賞味期限があり、使い捨て消耗時代とも称され状態です。結局はその面白さや魅力をだれが引き出すか?ということになるのでしょう。
ひな壇に並んで番組をトークにてもりあげるという形式も多く見られましたが、最近はどうなのでしょう?アメトークが続いていますので、まだまだ健在なのでしょうか?

さて話がそれましたが、有吉さんが売れていることは確かですが、御三家!と言われるような時代ではないようです。自然にフェードアウトしていっても、多分それほど気にかけるひともいないでしょう。言われてみれば最近はテレビで見ないね!という人は山ほどいますが、関心ごとが多様化していますので、いちいちテレ事情をリサーチしていられません。

オリエンタルラジオが出て来た時には、一気に来た感じがありましたが、あれぐらいではないでしょうか?最近オー!という出方は。しかしながらその後は定位置?に収まっているような、どうなんでしょう?

そんなのかんけーねー!小島よしお
も流行りましたね(^^)

爆発的なインパクトを与えるわけでもなく、話がうまい?というカテゴリーでもないような。饒舌なタイプでもありませんよね。世界観!ということになるのでしょうか?
その独特の世界観が変わらない。特別狙うわけでもなく、時代にへつらうわけでもない。

大概は人目を気にしたり、人の評判を気にしたり、よく思われようーと行動します。子供が無邪気で時にはらはらさせられたり、ペットがイタズラをしても憎めないのは、思うがままに表現するからでしょう。天真爛漫という言葉があるように、天真爛漫な子には人には敵わない感じですよね。ヤンキーもある意味天真爛漫です。ワルさをするヤンキーは見た目も雰囲気もまさしくヤンキーです。

しかしながら、最近の事件などは明らかにワルとかヤンキーとは違いますね。

天真爛漫に、好きなように、思ったままに言動を発するのは大人の世界では許されません。自ずと自制を求められ、天真爛漫と対局にあるタイプを大人と定義されます。法律やルールや判例があって『学習する』『覚える』というのが現代です。

天真爛漫を演ずるというのがキーワードかもしれません。天真爛漫とはケタケタと笑っているような周りを明るくさせるようなイメージですが、それはキャラクターとして誰でもできることではありません。

有吉さんは天真爛漫なのです。

それには天真爛漫の定義を考え直さなければなりません。

子供から大人になるにつれ、実は社会生活が送れるように学んでいきます。世の中のしきたりやルールなど、また失敗を重ねることでその結果から重みを感じていきます。ある意味失敗から抑制や自制を学ぶということになります。このルールが情報化社会において多様化しすぎており、ものすごい多くの常識が上乗せされてきます。そして本当の自分らしさは奥底に押し込まれていきます。社会という人間が作り出したルールは、最大公約数をとりながら多数決にて決まっていきます。

どん底をみると、この常識やルールの重みがとれるのでしょう。

有吉さんの目は変わらない本音というか自分の根っこを見つけたのでしょう。

そのむき出しの本性がきっと彼の魅力なのでしょう。
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